『箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川』
この唄をご存知でしょうか。東海道中で難所と言われた「箱根の峠越え」以上に「大井川の川越え」が大変だったことを物語る唄です。
その大井川と密接な関係にある大井神社の三年に一度、10月中旬に開催されるのが「島田大祭帯まつり」です。日本三大奇祭の一つに数える説もある島田大祭は、掘れば掘るほど深すぎるのですが、今回は次の3つのポイントに絞って掘り下げてご紹介していきたいと思います!
①島田と大井川
②街と伝統芸能
③神輿渡御行列一覧図
東海道は、江戸時代に江戸から各地を結ぶために整備された五街道のひとつであり、江戸から京都を結んでいました。
その頃、参勤交代や庶民の中で大流行した『お伊勢参り』で東海道は広く利用されます。
誰の断りもなく自由に伊勢へ旅できる『ぬけまいり』も流行り、十返舎一九の東海道中膝栗毛という滑稽本でも、当時の自由で楽しい、また想像以上に大変な東海道中の旅を想像することができます。
そこで東海道の難所といわれたのは箱根の峠、そして島田宿と金谷宿のあいだに流れている大井川の川越でした。
中でも大井川の川越は橋が架けられていなかったこと、渡し船がなかったことにより、水が増水してしまうと2、3日は川止めされてしまい、越えられなかったようです。
その影響で、島田宿の宿泊客は増加することで宿場町として発展し、島田にとって大井川は恵みの川でもありました。
耳寄り情報:この◯の中に✖️のマークは、大井神社の御神体の木が大井川から島田に流れ着いた際、✖️の形になっていたことが由来なんですって!
この大井川を鎮護している大井神社は、島田宿に鎮座する水神様として今も島田市を守っています。
また島田の大井神社には三柱の御祭神が祀られていて、全て女神様であることから安産のご利益もあるようです。
島田大祭は1695年から始まり、三年に一度、寅、巳、申、亥の年の10月中旬に三日間開催され、2019年には109回目を迎えたそうです。
大井神社の御神輿が前鎮座地であった御旅所へ里帰りさせるという意味があるようです。
島田大祭の別名でもある『帯まつり』の最大の見どころは、金襴緞子の丸帯(とっても高価な帯だそう)を、二本の太刀に掛けて歩く25人の大奴です。
江戸時代の風習として、島田に嫁入りをすると丸帯を持って町中に挨拶回りをしなくてはいけませんでした。それを安産の守護神である大井神社の、神輿渡御警備役の大奴の太刀に掛けるようになったそうです。
そうしていく内に、全国の帯業者が見物に来るようになり、丸帯は豪華なものになって行き、流行を見極めていたとか。
ファッションショーのような役割も果たしていたのかもしれません!
大祭は22の町内を9つの街(ガイ)で分けています。
それぞれの街では、青年と呼ばれる18歳から40歳までの若者、40歳以上の中老によって成り立っています。
一人一人役割があり、その役割の提灯を持ってお祭りに参加しています。
その街によって祭りでの役割は大きく異なり、皆自分の街のプライドを持って祭りに参加しているそうです。
第1~5街は、奉納踊りとして、屋台上踊りとが披露されます。登場するのは2歳から10歳くらいまでの可愛らしい踊り子たち。
各街から3人ほど選ばれるようです。
小さな踊り子だけでなく、それを支える振り付け師や三味線、唄、鳴り物により、こころをひとつにした舞台が出来上がるそう。
昔は各街が芸を競いあったとか!
江戸時代、旅の長唄芸人を助けたことで、島田大祭のために江戸の芸人が駆け付けたことがきっかけで、この島田の屋台は一流芸人への登竜門であると言われてるほどになり、毎回東西から全ての一流芸人が集まるため、長唄まつりとも呼ばれている!
一方、屋台の先で披露される地踊は各街ごとのオリジナルな長唄で振り付けされ、数百人がその精華や粋を競います。
地踊は女性が中心となって参加できるため、街一丸となって、最後には涙を流すほど盛り上がるようです。
ちなみに13日には地踊コンテストが開催されたようで、第4街が見事豪華賞に輝いたそう!
江戸時代の中頃に、島田宿で蔓延した疫病の退散を願うために踊り始めた踊り。
踊りの構成としては、踊り子四役と呼ばれる三番叟、お鏡、鼓、ささらが同時に別々の型の踊りを披露します。
踊り子は小学4年生から高校生から選抜され、そのチームで3年間練習するそう。
条件はご両親が島田鹿島踊保存会の会員で、島田大祭に関わっていること。
伝統を絶やさず受け継ぐことは、やはり簡単なことではないようですね…。
江戸時代の大名行列がそのままタイムスリップしてきたような光景でした。
大奴の後に大鳥毛、お殿様と続きます。
(神輿渡御行列一覧図のところで詳しくみていきます!)
明治時代以降は十万石の格式で大名行列が執り行われるようになったようで、(大名行列は格式によって規模が違う)それが今でも受け継がれているようです。
また、江戸時代中頃より、大名役(お殿様)は島田宿の代官から宿場内の名家・名門の子供が務めるようになったそうです。
今年はなんと、お殿様役に女の子が抜擢!
111年ぶり、そして300年を超える大祭で3回目のことらしく、とても注目されていました。
江戸時代にタイムスリップしていても、やはり時代は令和。女性が祭りで活躍できる機会が増えていきそうですね。
元宮は神輿を担ぎ、新組は神輿渡御関連の役割を担っているそうで、神社に直接ご奉仕する重要な役割です。
3日目に行われる『お渡り』の神事に全て携わっている!
大井神社から御旅所までのお渡り前、立ち寄りでの中饌祭の儀式、御旅所での神事に参加します。
つまり、一番神に近いところで役割を担っているのです。
※行った時には全ての神事が終わっていて、残念ながら御旅所も解体中でした。
御旅所はクギを使わない伝統の技で建てるんだとか…!
江戸時代にタイムスリップした気分を味わえる島田大祭。
奇祭と言われるのはなぜ?その理由を探りたいと思います。
実は祭りの1日目と2日目は、とても厳しいしきたりがあるようです。
同じ市といえども、この祭りの時は、街は国になり、国境線が引かれます。
一つの街で同時に二つの催し物が行われることは決して許されていません。
したがって、同時に出入りしなければならないとか…!
そのため、祭りの数ヶ月前から青年たちは細かなスケジュールを立て、必ず実行しなければならない、時間厳守という決まりがあるそうです。
連絡手段として携帯電話はご法度。
必ず伝令係と応接係が各街の青年本部に直接出向いて連絡を取り合わなければなりません。他街を通過したい時は、許可制。んーシビア…(笑)
島田大祭の特徴の一つとして、街毎に法被を着ています。
表面を表看板、裏面を裏看板と呼んでいるそうですが、他街に行く時は裏看板にするんだとか。これはそれぞれの街を尊重している日本人らしいしきたりですね。
そのため裏看板には皆さん凝った刺繍をしているらしい!(約100万円かけているという噂もあるくらい)
細かいしきたりはまだ沢山存在しそう。
これらのしきたりは、少しでも守れないと、、、どうなるのでしょうか。(笑)
ゆとり世代を生きていた私としては驚くことばかりのしきたり。。。
3日目のお渡りでは、国境線は排除され、全て繋がる神輿渡御行列が行われます。
この様子が江戸時代を偲ぶ元禄時代絵巻を想像させるといいます。
なかなか観ることのできない複数の伝統芸能が行われるパレードは、日本人も外国人も興味が湧くのではないでしょうか?
大名行列は、とても静かに執り行われます。
屋台の青年達の掛け声とは正反対に、ゆっくりと行列が進行していき、大奴も声を出さず楽器も使わず行進していきます。
これを静の舞と呼んでいるようですが、動きの影響なのか、違う時代にいる感覚に陥りました。
大名行列を見たことがないはずなのに、少し懐かしい気持ちにもなるのだから不思議ですね。
この3つの理由でも、充分日本三大奇祭の名にふさわしいと思いますが、まだまだ深い島田大祭。探りきれません。(笑)
それでは私が実際に自分の目で見た最終日の神輿渡御行列(大井神社から御旅所を約10時間かけて往復)を写真メインで紹介していこうと思います。
注目ポイント
25名の大奴に指示をする、大奴師匠。大奴の選手としても12回の参加経験があり、師匠としても3祭目である大ベテランだそう。
注目ポイント
なんと曽祖父から受け継いだ4代目の高校生が担当したそうです。
注目ポイント
この重い大鳥毛を、3人ほどで回していましたが、私には大名行列で一番大変そうに思えました…。顔を真っ赤にして頑張っていた方もいらっしゃって、心から応援してしまいました。
見学していたら、昔務めていたお兄様からシールを貰いました!
注目ポイント
紙吹雪を撒いてくれるが、金と銀の紙片を拾った人はその年縁起がよいとされるらしい!
注目ポイント
御神輿は掛け声等は掛けず、とても静かに担がれていて、神聖な空間でした。雨も少し降っていて、とても大変そうでした。
屋台の見どころのひとつ、すれ違いは時間の関係で見ることができませんでした…(泣)
注目ポイント
怒号のような掛け声と威勢で先程までの静かな空間とは真逆の盛り上がりでした。
屋台も、引く紐を下ろしてはいけない等の細かいルールがあるんだとか!
この静と動の二面性も島田大祭の最大の特徴なのではないでしょうか?
あいにくの雨天により、最終日の本陣入りは中止となり見れませんでしたが、今年は13日にも行われたようです。1番のクライマックスで、厳かな空気で執り行われてとても感動するようなので、次回は是非観たい…!
台風19号の影響で1日目は中止となってしまったようですが、2日目3日目と無事大祭を実施することができたのは、大井神社の水神様のお陰でしょうか?
私は最終日しか見ることができませんでしたが、初めての島田大祭帯まつり、その奇祭ぶりには驚きが多かったです。
何より調べれば調べるほど奥が深い…!
母の実家が掛川ということもあり、小さい頃から静岡県にはよく訪れていたので、説明はできないけれど静岡独特の雰囲気を味わうことができました。(笑)
「穏やかなようで、楽しいことにはなんでも熱くて本気、仲間意識も強い!in 城下町」
祖父母の影響もあり、静岡県には勝手にこのような印象を抱いていたので、それが具現化されたような気持ちになりました。
次は1日目、2日目のしきたり、屋台のすれ違い、そして最後の本陣入りを観たい。
地踊コンテストも観てみたいし、最終日の夜行われる地踊も観たいし、あれ??全然観れていない…?
まだまだわからないこと、観れていないものが多いことが記事を通してわかったので、三年後に持ち越そうと思います!
参考
・静岡新聞
・島田大祭の大名行列
・島田大祭公式サイトきやり
・ささえるチカラ