オマツリジャパン

(写真:渡辺 葉)

2016年の文化の日(11月3日)、雨乞い太鼓踊りのおまつり「田山花踊り」を見に、京都府唯一の村、南山城村へ行った。京都・奈良・三重・滋賀、4府県の境い目に位置し、山の斜面を利用した日本茶や紅茶の生産で知られている村だ。江戸時代は柳生藩に属していた。

雨乞い祈願と田山花踊りにまつわる基礎知識

マイクロバスの窓から見えた茶畑。(写真:渡辺 葉)

まつり当日、名古屋からJR関西本線に乗って移動したが、伊賀から通った。その経路は、ちょうど雨乞い踊り文化が広まった道をなぞっていたのかもしれない。山を抜け木津川を眺めながら月ケ瀬口駅へ着き、踊りのスタートする旧田山小学校へとマイクロバスで移動した。準備風景を見たくてゆっくりできなかったが、校内には居心地良いカフェもあり、ランチも食べられるようだった。

旧田山小学校校内の様子。(写真:渡辺 葉)

雨乞いの儀式は世界中に存在する。大雑把に分けると、祈りや身を清めることで神仏にお願いするもの、神仏を芸能で喜ばせて降らせようというもの、逆に神仏を怒らせて降らせようとするもの、雷鳴を太鼓や鉦で真似たり水を撒いて雨と似た状態を作って降らせようとするもの、山頂で火を炊くもの、生贄(いけにえ)など捧げ物をするものなどがあるようだ。田山花踊りは、芸能と太鼓で雨を導こうとするものだ。

この地方のかつての雨乞いには、14の段階があった。お堂にこもる、供え物をする、灯明をともすなど、1つやって降らなければ次の段階へと進めていった。全てやると40日以上かかる壮大な儀式で、それほど雨は切実に求められていた。各儀式を行う為に、奉行所に費用や次第などを届け出て許可を得た文書が残っている。花踊りは、14段階のうちの最終にして最高の儀式で、雨が降ったお礼の「願すまし」を兼ねている。

田山花踊りが開始された時期は不明だが、江戸中期の1773年に行った記録が発見されている。以降続けられていたが次第に儀式が衰退してゆき、大正時代の1924年を最後に一時途絶えた。中断の間も、唄は老人を中心に祝いの席などで唄い継がれており、復活しようという声が高まって、1963年に「田山花踊り保存会」が結成された。約40年途絶えていたが、記録を頼りに、中断前に残っていた唄12曲全てを復活させた。かつては全12曲を夜通しかけて踊ったが、現在は半日なので、毎年2、3曲ずつ踊って次代に継承しているそうだ。

田山花踊りの小道具や準備など

主役の「中踊り」を務める青年たちの友禅(ゆうぜん)織りの衣装には、田山に流れる名張川の秋の風景が織り込まれている。このデザインは、1963年花踊り復活と同時に、染色家皆川月華(みながわげっか)に依頼して作成されたもので、私が見学した2016年には、消耗した衣装が再び当時の模様で復元された。

新調された衣装の背に、2mある竹に和紙の飾り(シナイ)を背負おうと、たすきを締めている様子。和紙の芯には稲わらが入れてあるそうだ。(写真:渡辺 葉)

まつり行列で演技が行われる長谷川流棒術は、創始者の長谷川金右衛門が源義経から教わったと伝えられている、棒を使った武術だ。棒術は、あちこちの農村のおまつりで行われることがあり、私が以前見た愛知のまつりでの棒術は、義経の父である義朝が農民に教えたと言われている。

長谷川流棒術を演じる子どもたちとひょっとこ。踊りの師匠でもある道化のひょっとこは、長くはみ出したわらじを履き、腰に下げたびくにお菓子を詰めていて、時々子どもたちに配る。(写真:渡辺 葉)

まつりの稽古は8月から始まる。パート毎に師匠がついて、後輩たちを指導する。足でステップを踏みながら叩く複雑な太鼓のリズムは、口伝えで教えられる。唄の役にも振付が少しある。毎年何人か新人が入り、秋まで稽古が続けられる。他にも、役者が使用するわらじは、毎年村でとれる柔らかい餅米のわらを編んで用意しているそうだ。

まつり本番のレポート

まつり当日、9時から神事が諏訪神社で行われる。大正時代には、田中家という家で踊ってから、神主役の神社へのお参りを合図に行列を始めていた。現在は13時に校庭で演技が開始(雨天時は体育館で行う)、小学4~5年生5人が交代で大太鼓を打つ「入端(いりは)太鼓」に続いて、お囃子(はやし)唄に合わせ円になって「愛宕踊(あたごおどり)」が始まる。

いりは太鼓の様子。山伏役がホラ貝を吹く。山伏は雨乞いにまつわる芸能を広める役割をしたとも考えられている。(写真:渡辺 葉)

校庭でのあたご踊りの様子。落ちた和紙の花飾りを拾っている人がいた。(写真:渡辺 葉)

13時半、諏訪神社へ向けて、約100人の役者が並んでの行列が始まる。入端(いりは)太鼓とホラ貝が響く中、一行は踊りながら進む。ササラすりが「ヤーハー」と掛け声をあげるのが可愛らしい。金紙を垂らした花笠をかぶっているのは「唄付け」だ。

ササラすりの衣装は藍染で、茶摘み衣装風だった。(写真:渡辺 葉)

前が見づらそうな唄付け。小さな切り紙模様の穴が開いている。(写真:渡辺 葉)

神社への道を踊りながら進む「中踊り」。14時から諏訪神社の境内で、愛宕踊りが披露される。(写真:渡辺 葉)

神夫知(しんふち)と呼ばれる選ばれた小学生が太鼓に登って、花踊りの成り立ちを口上で説明した後、御庭踊りが披露される。花飾りを庭にこすって、飾りを散らしながら踊る。中踊りの役者が太鼓をたたく場面もある。太鼓が交代するとリズムが変わる。間奏にあたる部分で踊りの振付も変化する。

しんふちの口上の様子。(写真:渡辺 葉)

お庭踊りの様子。(写真:渡辺 葉)

踊り終了後は、つきたての紅白のお餅を使った餅投げが行われる。私が行った年は、むき出しの状態の餅がたくさん飛んで来た記憶がある。なかなかワイルドな締めくくりだった。

2021年は新型コロナウィルスまん延防止の為中止となった。2022年の秋の開催を、集落の人たちとまだ新しい衣装が待ちわびていることだろう。

開催日時:毎年11月文化の日
開催場所:京都府相楽郡南山城村田山(旧田山小学校、諏訪神社)
問合せ先:0743-93-0105(南山城村役場産業生活課)
アクセス:名阪国道白樫ICから車で約20分
     JR関西本線月ケ瀬口駅下車徒歩60分(駅から送迎バスあり)

参考文献:
・『田山花踊雨乞いと喜びの風流踊り 京都府指定無形民俗文化財』
京都府文化遺産活用事業推進実行委員会 企画, 植木行宜, 梁島章子, 山路興造 監修, DVD、2016.3
・wikiwand「雨乞い」の項目 https://www.wikiwand.com/ja/%E9%9B%A8%E4%B9%9E%E3%81%84
・一般社団法人 京都山城地域振興社による紹介サイト ttps://ochanokyoto.jp/event/detail.php?eid=293
・南山城村の方が作られているフリーペーパーサイト「やまびこ」https://www.kyoto-yamabiko.com/300121
・柳生観光協会ホームページ https://www.yagyukanko.com/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E/%E6%9F%B3%E7%94%9F%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/
・三重大学人文学部・人文社会科学研究科 2014年度忍者・忍術学講座 第2回後期要旨
https://www.human.mie-u.ac.jp/kenkyu/ken-prj/iga/kouza/2014/20141115.html
・cafeねこぱん ホームページ http://cafenekopan.com/