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「戦国の雄」毛利元就が暮らした地。安芸高田の郡山城とゆかりの地を巡る

更新日:2022/4/26 安芸高田市商工観光課
「戦国の雄」毛利元就が暮らした地。安芸高田の郡山城とゆかりの地を巡る

西国一の戦国武将とも「戦国の雄」とも称えられる毛利元就は、現在の広島県安芸高田市にある郡山城で生涯を過ごしました。この郡山城は、「史跡毛利氏城跡」として国史跡にも指定されており、日本百名城のひとつにも数えられています。現在も、毛利氏時代の遺構が残る山城です。

27歳から75歳で没するまでの48年間を過ごしただけあり、ほかにも元就ゆかりの地が安芸高田には残っています。

戦国の覇者に思いを寄せながら、史跡を巡れば感動もひとしお。歴史好きなら、ぜひこれだけは巡ってもらいたいおすすめスポットをご紹介します。

<毛利元就(1497-1571)>
戦国時代に、中国地方のほぼ全域を制覇。一代で大国を築き上げた戦国武将。75歳で病死するまで二百数十回におよぶ合戦をくぐりぬけ、毛利氏を西国随一の太守にしました。

2023年は元就入城500周年!国史跡「郡山城」

青年期を多治比猿掛城で過ごした毛利元就は、当主についた27歳から75歳で没するまで、この郡山城で暮らしていました。2023年には、元就が入城してから500周年の節目を迎えます。

城が築かれた時期は不明ですが、15世紀中頃には存在しており、元就の時代(16世紀中頃)に全山が城郭化されたと考えられています。

山城の規模としては中国地方最大。見どころもたくさんあるので、初めて行くならガイドツアーをお願いするのもおすすめです。

元就が住んでいた山頂を目指すなら本格トレッキングスタイルで。登山が苦手な人には、主要な史跡を、気軽に観てまわることができる山麓を中心としたコースでも十分楽しめますよ。

元就の故事「三本の矢」由来の「三本の破魔矢」が頂ける!清神社

郡山築城以前から祇園社として存在していた清神社(すがじんじゃ)は、戦国時代、毛利氏に篤く信仰されていた神社です。正中2(1325)年以後の棟札が全て現存しており、社宝も多くあります。

毎年サンフレッチェ広島が必勝祈願に訪れることでも知られています。

中でも注目は、境内にある椙若社(すぎわかしゃ)です。こちらは元就が大方殿(元就の養母)を祀るために建立したと伝わります。

また、元就が3人の子どもに対して「3本の矢なら容易に折れない」と説いたと言われる故事「三ツ矢の訓」にちなんだ破魔矢も。元就にちなんだ魔除けなら、より力強い気がしてきますね。

人の命を大切にする元就の心遣いが宿る。百万一心碑

ファンならぜひ参拝したい毛利元就の墓地。でもせっかくなら、その向かいに立つ「百万一心」と書かれた石碑をチェックしてみてください。

かつて、城を築くときに人柱をたてることがありました。郡山城を拡張をするとき、工事が難航したため、人柱を立てようとしたそうですが、元就が止めたそうです。そのとき、代わりに埋められたのが「百万一心」と書かれた石碑。そして工事を行う人たちに「日を同じくして、力同じして、心を同じくすれば、何事も成しえる」と説いたと言われています。

この石碑は、埋めた石に書かれた文字の拓本から作られました。人の命を大切にした元就の心遣いが伝わる石碑なのです。

郡山城の周囲だけでも、様々な史跡が残っています。元就が踏みしめた土の上を歩いている……と想像するだけでも、ロマンが広がりますよね。

どのスポットも全身で歴史萌えできること間違いなし! 西国を統一した元就のパワーを授かりに、安芸高田を訪れてみてくださいね。

商工観光課なかむら
西国一ともうたわれた「毛利元就」が生涯を過ごした郡山城。そんな毛利の家紋が入ったお饅頭「百二十五萬石(ひゃくにじゅうごまんごく)」は、しっとり優しいお味が特徴。お土産にもピッタリです。

この記事を書いた人
ブンカジャパン
ココロ舞う。それはきっと神楽のせい 広島県安芸高田市の魅力をご紹介!

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