富岡製糸場で有名な、群馬県富岡市。世界文化遺産に登録されているということもあり、その存在を知っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか?
日本の近代化を支えた富岡製糸場ですが、実はその影響で、ひっそりと衰退して行った文化も存在するんです。
今回は歴史の影に隠された文化の舞台、妙義山について深掘りしていきます。
登山の名所、信仰の対象 日本三奇勝・妙義山
群馬県富岡市に存在する、妙義山。
日本三奇勝に数えられる山は、難所が多く荒々しい岩肌が特徴的です。
現在、多くの登山愛好家が訪れる山は江戸時代には山伏で賑わいました。
というのも、古くから、登山の名所は信仰の対象となることがあり、妙義山もそんな場所の一つだったのです。
妙義山周辺の人々は古くからこの岩山を朝夕拝み、いつしか信仰が生まれました。
山の麓に鎮座し約1,500 年の歴史を持つ妙義神社には天狗の飾りなどが残り、山伏がいた事を示しています。
富岡製糸場が誕生するまでの時代、妙義山は山伏が修行の為に集まる山だったのです。
妙義山と山伏 「自分を見つめ直す」修行の場
山伏にとって山は「自分を見つめ直す」修行の場でした。
特別な衣装を身に纏って法螺貝を吹きながら山を歩くイメージがある山伏は、1000 年以上の歴史を持つ日本独特の宗教「修験道」の修行者です。
江戸時代には 17 万人いたとされ、日本人にとって縁が深い存在でした。
山伏にとって「山を登る」ことは、自分の煩悩を打ち消し、困っている人達に手を差し伸べられる強い自分を作ることが目的でした。
だからこそ、険しい山を求め妙義山にも訪れたのでしょう。
妙義山に現在も残る、山伏の足跡
山伏の修行場であった妙義山は、富岡製糸場の建物を支える木材を得る目的で切り開かれ、また同時期に起こった廃仏毀釈により、修験道の文化が失われ、山伏も消えていきました。
しかし、妙義神社の山門は仏教建築だったり、飾られた天狗の面や宝物館の仏像など妙義山の至る場所にその面影が残っています。
そして山の中腹にある「大の字」は「大日如来を祀っている」目印でもあるといわれており、古くから山伏や地元の人々もここを目印に遥拝していたようです。
おわりに
山伏の考え方はとても長い歴史があり、自然と共生するライフスタイルは今の時代にも強く影響を与えています。
妙義山を登るならレジャーとして楽しむだけでなく、山伏と同じく自分自身を見つめ直す時間としてみてはいかがでしょうか?