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クリスマスは12月25日ではなかった? サンタやツリーの由来もご紹介!

更新日:2020/12/1 タカハシコウキ
クリスマスは12月25日ではなかった? サンタやツリーの由来もご紹介!

12月に入ると、待ち遠しいのが“クリスマス”。キリスト教の祖、“イエス・キリスト”が誕生した日としても知られています。

当日が近くになるにつれ、街はイルミネーションで彩られ、幻想的な雰囲気に。オーナメントや電飾で飾りつけられた大きなモミの木・クリスマスツリーは夜の空に瞬き、美しく輝きます。子どもたちはプレゼントに胸躍らせ、大人たちは家族や恋人と、ローストチキンやケーキなどを食べながら楽しいひと時を過ごします。

しかしなぜ、イエス・キリストが誕生した日であるクリスマスが、キリスト教だけでなく世界中で親しまれるイベントとなっているのでしょうか? クリスマスツリーがモミの木である理由は?

そして忘れてはならないのが、“サンタクロース”という謎の人物の存在。イエスでもない彼は、どういった経緯でクリスマスを代表する人物となったのでしょうか?

今回はそれらの疑問を一気に解決していきます。

16日が生まれた日? クリスマスの起源とは?

イエスの生誕日、そして原型の儀式が催されていた日は諸説存在しますが、最も興味深い説は1月6日説。

もともと古代キリスト教では、現代でいうイースター(復活祭)が重要視され、盛大な儀式が行われていました。一方、イエスが誕生した日はさほど重要視されておらず、儀式が行われていなかったどころか、あまり知られていなかったとされています。

しかし3~4世紀ごろ、キリスト教が各地へ伝播。バシレイデス派と呼ばれる派閥の活動が活発になりとエジプト周辺へ教えが広まっていくと、事態が変化しました。

この当時、エジプトで信仰されていたのはエジプト神話の神々。なかでも他の神に殺害されながらも復活を遂げた冥界の神・オシリスは、ミイラがいつの日か復活すると考えていたエジプト人から絶大な信仰を得ており、1月6日には盛大なお祭りが行われていました。

一度死に、やがて復活する、という神にしか成しえない奇跡。イエスの復活を重視するキリスト教・バシレイデス派が教えを広めるうえで、オシリス・エジプト神話の神々は強大なライバルだったのです。また1月6日は、ギリシャ神話の生と死の輪廻を司る神・ペルセポネが誕生した日としても絶大な人気を誇っていました。

そこで考え出されたのが、ライバルの多い1月6日に、あえてキリストの誕生を祝う祭り・降誕祭を開催すること。この勢力争いはやがてキリスト教が優勢となり、1月6日にキリストの誕生した日を祝う、という風習が受け継がれるようになっていったのです。

12月25日のクリスマス ルーツはローマにあった

さて、現在親しまれている12月25日説はローマ発祥のもの。こちらの由来にもキリスト教の教えを広めようとする当時の思惑が存在します。

12月25日はもともと、ローマに根付いていたミトラ教という宗教の祭日でした。ミトラ教が崇拝するのは、太陽神・ミトラ。彼らは太陽の力が一番弱まる冬至の周辺、特に12月25日を、この日を境に太陽が力を取り戻し始める日として「不滅の太陽の誕生日」と考えていました。

キリスト教にとって不滅といえばイエス。先ほどのエジプトの説と同じように、ミトラ教もキリスト教にとって大きなライバルだったのです。

そこでキリスト教の人々は、旧約聖書から“儀の太陽”の一説を引用。「12月25日はイエスの誕生の日」だと主張し、徹夜でミサを執り行うようになりました。この儀式は、当時ローマで親しまれていたプレゼントを交換し合う“サトゥルナリア祭”や、ローマ北部で行われていた豊穣を祈り薪を燃やし続ける“ユール”という土着の儀式を吸収しながら、拡大していきます。やがてミトラ教が衰退したのちもキリスト教は勢力を広めていったため、12月25日=­イエスが誕生した日、というイメージが定着。

そこからしばらくは、1月6日説と12月25説、そのほか諸説が入り乱れていましたが、ローマ帝国がやがて12月25日説を推奨したことで、統合されていきました。

のちに、マルティン・ルターによる宗教改革が行われた際には、クリスマスのプレゼント交換やお祭り騒ぎはキリスト教に由来しない、と規制を免れます。そうして宗教色の薄れたクリスマスは、長い時間を経て、現代のように、世界各国で親しまれ楽しまれる文化となっていったのです。

また現在でも一部の地域では、クリスマスを1月6日としていたり、カトリックの影響が強いフランスやイタリアなどの国では12月25~1月6日までを一連の期間としてお祝いをしていたりします。

“サンタクロース”は奇跡の象徴!? 聖夜のヒーローの正体に迫る 

キリストが生誕した、と“決められた日“であることが分かったクリスマス。では肝心の“サンタクロース”の由来は、どのようなモノなのでしょうか?

実はサンタクロースは、大昔に実在したある人物がモチーフとなっています。そのモチーフとなった人物は“聖ニコラウス”。彼は西暦350年ごろに活躍した、とされる小アジア(現在のトルコ)の司教でした。そして、6世紀から9世紀ごろにささやかれるようになった彼のある伝説が、サンタクロースの最も遡った由来とされています。

 

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その伝説とは、クリスマスおもしろ辞典慣行委員会編 (2003) 「クリスマスおもしろ辞典」日本キリスト教団出版局 の記述によると、「3人の娘を身売りさせなければならなくなった貧しい貴族の家に、聖ニコラウスが夜中、こっそり金袋を放り込んだ」というもの。

しかしこのときの彼の格好は、やせており、右手に司教杖を携えた現代のサンタ像とはかけ離れたものでした。ちなみにこのとき投げ込んだ袋が暖炉に干してあった靴下に入った、という言い伝えが存在。クリスマスプレゼントをもらう際は靴下を釣り下げる、といった風習の由来となっています。

聖ニコラウス伝説は、当時のヨーロッパで大人気となり、「嵐の中の舟を導いた」「船の小麦を増やした」などの尾ひれがついていきます。やがて彼が起こした(とされる架空の)奇跡は各地で土着の文化と混ざり合い、12月24日に子どもへプレゼントを配る・ドイツのクリストキント、煙突から家庭へ入り贈り物をする・イタリアのべファーナ、太鼓腹な特徴の人物が登場する・イギリスのファーザークリスマス、聖人を意味するシンタクラースが登場するオランダの聖ニコラウスの祝日、などクリスマスに関連した多様なサンタクロースの前身が構築されていきました。

現代のサンタクロース像が決定的に出来上がったのは、1833年12月23日のアメリカでのこと。ニューヨーク州トロイの地方新聞トロイセンチネルに寄せられたあるコラムがきっかけでした。コラムの名前は“クリスマスの前の晩”または“聖ニコラスの訪問”、現代でもアメリカで有名な詩として親しまれています。ニューヨークの神学者・クレメント・クラーク・ムーアが執筆したといわれるも、真相が定かではないこのコラムは、「クリスマスイブの夜に」「トナカイのソリに載って」「煙突から家庭に侵入する」「陽気な小太りのおじさん」という、各地のキャラクターをミックスした人物が登場。背景にはニューヨークという街の独特な特性があったとされています。ニューヨークはアメリカの中でも特に、様々人種の人々が暮らす多様性の街。そんな場所で、できるだけ多くの人がクリスマスを楽しめるよう、多様なクリスマス像をまとめ上げていった、というわけです。

A beautiful view of the Empire States and skyscrapers in New York City, United States

その後、ドイツ出身のイラストレーター・トマス・ナストが、毛皮のローブを窮屈そうに締めたイラストを描いたことで、そのイメージが定着。シンタクラースがアメリカ流の訛りを伴って広まることで“サンタクロース”という名前も登場しました。

赤い毛皮のコートは、アメリカの飲料メーカー“コカ・コーラ社”が女性や子どもへの販促を勧めようと、イメージキャラクターにサンタクロースを起用したのが由来です。サンタクロースを起用する際、諸説あった服のカラーの中で自社のカラーである赤を採用。大々的に打ち出したことから、赤い毛皮のコートのイメージが定着しました。

 

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かくして、聖ニコラウスの伝説は様々な文化・イメージを吸収し、現代知られているサンタクロースへと変化していったのです。

クリスマスツリーはなぜモミの木? 由来や飾りつけの意味を解説

クリスマスツリーはズバリ、ドイツ発祥の文化。8世紀前半のころの、ベネディクト会の司教であった“ボニファティウス”のエピソードがクリスマスツリー発祥のカギとなってきます。

先ほども参照した クリスマスおもしろ辞典慣行委員会編 (2003) 「クリスマスおもしろ辞典」日本キリスト教団出版局 こちらに書かれた内容をわかりやすくしたものが下記の文章。

ある日のイスラーム郊外。グルマン人たちが雷神トールの聖木とされていた大きな樫の木を組み、子どもをいけにえにしようとしていました。そこへ通りかかったのが、ベネディク“ボニファティウス”。彼はゲルマン人の行為を見とがめ、樫の木を切り倒し子どもを助けました。ゲルマン人たちはこれに驚き、トールの祟りを恐れましたが、ボニファティウスには何も置きませんでした。ボニファティウスは樫の木の代わりに、きれいな三角形のモミの木を持ち出し、キリスト教三位一体の象徴とした、というのです。キリスト教の三位位一体とは、おもに、「父なる神」「子なる神」「聖霊なる神」を現わします。

これ以降、ゲルマン人の文化が根付いた土地ではクリスマスにツリーが飾られるようになったのです。

クリスマスツリーの燈を飾るようになったのは、それからしばらく後のこと。宗教改革を行ったマルティン・ルターの行動がキッカケといわれています。彼はクリスマスイヴの夜、モミの木の梢に見えた星々にいたく感動。ルターはどうにか再現を試み、モミの木にろうそくを何本もたて、飾りました。ルターの感動から始まったクリスマスツリーへのろうそくの飾りつけは、のちに技術の発展を経て、より安全なペパーライトへと変化。このペッパーランプは、現代でもイルミネーションに用いられています。

またこのほかにもいくつか、クリスマスツリーの飾りつけについてご紹介していきます!

ベル

「クリスマスがきた喜び」を伝えるベル。もともとは、古代ヨーロッパで魔除けに使われていたもの。現在でもドイツやオーストラリアなどでは、クリスマスに大きな金を鳴らして悪霊を追い払う儀式が行われている。

ボール型オーナメント

金・銀色のボール型のオーナメントは、リンゴの表現しています。このリンゴは、アダムとイブの伝説「創世記」に出てくる、禁断の果実。中世、受難劇を上演した際、モミの木にリンゴを吊り下げて、禁断の実がなる、善悪の知識の木に見立てたのが始まりなのだそう。

靴下

こちらは先ほどお話した聖ニコラウスの伝説が由来。フランスなど一部の地域では、靴下の代わりに靴を飾ることもあるそうです。

ジンジャークッキー

クリスマスに食べるだけでなく、クリスマスツリーに飾ることもあるジンジャークッキー。

ヒト型を模している場合には、ジンジャーブレッドマンと呼ばれることも。由来についてはは諸説あり、イギリスのヘンリー8世が黒死病(ペスト)を防ぐべくしょうがを食べることを推奨したこと、クリスマスのごちそうを買えない人がクッキーでごちそうを模したこと、24日に夜にやってくるサンタクロースをもてなすためのもの、などが有名です。

おわりに

日付、サンタクロース、クリスマスツリーなど、様々な文化やあとからできた行事を吸収し、今や世界中で愛されるようになったクリスマス。どんな楽しみ方でも、クリスマスはそれを受け入れる懐の広さ持っています。皆さん、ぜひとも思い思いのやり方で、クリスマスを楽しんでくださいね!!

この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
地域のお祭りやインタビュー、由来を調べるのが好き。いろんなお祭りを知りたいと思っています。

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