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鑑賞するだけではない?市民参加で地元愛も育む「山代大田楽」の魅力に迫る

更新日:2024/3/5 稲村 行真
鑑賞するだけではない?市民参加で地元愛も育む「山代大田楽」の魅力に迫る

山代大田楽の歴史は始まりから26年とまだ日は浅い。しかし、地元の中学一年生が学校の授業の一環で、この大田楽の踊り手を務めるほど、地域の方々には馴染み深い芸能となっている。なぜ、地元民に親しまれる芸能になったのだろう?と思ったことをきっかけに、大田楽についてもっと知りたくなった。今回は、石川県加賀市山代温泉で、2021年10月30・31日に行われた山代大田楽の様子とその魅力についてお伝えする。

山代大田楽とは?

田楽と聞くと、中世の芸能を思い浮かべる方も多いだろう。田楽は貴族や民衆などの身分や年齢、性別などにかかわらず参加することができ、日本中で大流行した芸能である。ただ、それも猿楽という観劇が流行し始めた室町時代には姿を消してしまった。

この芸能をもとに1990年、狂言師の五世野村万之丞氏が舞踊家、音楽家、俳優たちとの協働作業により、構成演出して誕生したのが「大田楽」だ。田楽と比べると躍動的なリズムが特徴である。大田楽は始まり以来、1993年度には文化庁芸術祭賞を受賞するなど、国内外の注目を集めていった。そのような中で、山代大田楽は大田楽が生まれた5年後に、山代温泉の開湯1300年祭のタイミングで始まった。

当初はこの開湯1300年祭の単発イベントとして演舞を行う予定だったものの、続けていくこととなり現在で26年目になる。今では地元民はもちろん、石川県外の人まで踊り手を務め、仕事を辞めてでも練習に参加しに来てくれる人もいるという。また、地元民の理解も広がりつつあり、地元愛を育むきっかけづくりにも繋がっている。

素晴らしい躍動感!山代大田楽の様子

2021年の山代大田楽は8月に開催予定だったものの、コロナ禍での延期が相次ぎ、10月30・31日の20~21時の日程で開催された。従来であれば、観客席を設けて服部神社の鳥居の前での演舞となるが、今回は服部神社から山代温泉の総湯・古総湯の前を通り、温泉通りに抜けていくという行列を作って行進しながら要所要所で演舞が行われる形となった。コロナ禍でマスク着用を徹底して、感染対策に配慮しながら実施された。

こちらが、20時に服部神社の鳥居前で山代大田楽が始まった時の様子。石段はライトアップされ、そこに演者が行列を作っている。先頭の王舞(おうのまい)が神社から鳥居をくぐり通りに出ると、山代大田楽の行列は動き出す。

オレンジ色の服を着た王舞の後ろに続くのが、黄色と萌黄色の2体の獅子である。黄色の方が雄で尖った角を持ち、萌黄色の方が雌で擬宝珠(ぎぼし)のような形の角を持つ。その獅子の後ろに続くのが笛を吹く楽隊の演者たちだ。

山代温泉の古総湯前で行進はストップして、様々な演舞が繰り広げられた。獅子の雌雄2体の掛け合いは見事で、大きな獅子頭を軽々と持ち上げて口を開閉する姿に迫力を感じた。

その後、再び行列を作り温泉通りを移動。ある旅館の前ではプロジェクションマッピングを投影する中での色鮮やかな演技を見ることができた。ササラを持って踊る華やかさに彩りを加えるように美しい空間が立ち上がり、感動して動画や写真の撮影をしている人も多く見られた。

今回の山代大田楽では、地元の中学一年生が、学校の授業の一環で演者として参加していた。一生懸命踊る姿、挨拶する姿、素早く移動する姿など、その振る舞いの1つ1つに練習の成果が窺えた。

最終的には、温泉通りを歩き終えて21時ごろに終了となった。その後は獅子が子供の頭を噛んだり、地元民が演者をねぎらったりと、賑わいが見られた。また、浴衣を着た観光客もちらほらと見られ、地元民だけでなく観光客にとっても魅力的なイベントであり、そのことに地元民は誇りを感じているようにも思えた。

楽市楽座でも山代大田楽を実施

また、山代大田楽の本番とは別に、10月29日から11月2日には「街を劇場に」と題して楽市楽座(がくいちがくざ)というイベントが開催された。山代温泉の専光寺や服部神社が会場となっており、プロの琵琶や雅楽、津軽三味線などの伝統芸能や音楽を聴けるようなイベントだった。10月31日には伝統芸能の演者と山代大田楽のコラボレーションも行われ、荘厳でありながら躍動感のある、なかなか見ることのできない貴重な公演を拝見することもできた。

地域交流と地元愛を育む場

今回は、山代大田楽を拝見するだけでなく、大田楽を学び継承して地域に生かす活動を行っている「わざおぎ」という組織の、山代における塾長を約10年間務めておられる上出晃史さんにお話を伺うことができた。

印象的だったのは「まちづくりは人づくり」という言葉。山代大田楽は単に鑑賞する芸能であるだけでなく、地域との交流を通じて、まちづくりを進めるための貴重なきっかけにもなる。実際に、今回の山代大田楽には、市民の有志や地元の中学一年生が踊り手として参加されていた。大田楽を通して大人も子供も世代を超えた繋がりが生まれ、挨拶ができる関係性ができることを目指しているという。

また、「人が喋っているときに喋らない」など、礼儀を重要視していることが芸能が続いていく秘訣でもあるとのこと。ただ単に芸能を継承していくのではなく、それを観光客や地元の方との関係づくりに生かしていくことが重要である。山代大田楽が魅力的であれば、子どもたちが高校、大学へと進学する中で市外に出たとしても、また山代温泉に戻ってきてくれるきっかけになるかもしれない。このように地元愛を育むことを考えながら、山代大田楽を継承しているようだ。

芸能の広がりとまちづくり

私はお祭りのライターを務めている傍ら、日本全国で獅子舞の調査も行っている。その中で、伝統を継承することに義務感を感じているところや、若い人が獅子舞をすることで活気が出るからと担い手の年齢を若い人に限定している地域も多いと感じる。

このような地域の中で成功事例はあるものの、やはり熱意ある人の存在や、地元民に様々な関わりしろがあるということが大事であるようにも思う。例えば保存会を作り、年齢にかかわらず獅子舞に興味がある地元の人が主導で、獅子舞を運営するという組織形態をとる場合もある。

山代大田楽の場合、担い手の熱量があることに加え、お互いに踊りのスキルも高め合える環境があるようだ。「自分には難しい」と思う人がいたとしても、少なからず「自分もやってみたい」という人が出てくるだろう。地元民とのコミュニケーションや関わりを増やすという意味で間口を広げながらも、その踊りの質を高めて継承していくことで芸能の持続可能な循環を生んでいく。同時にまちづくりにも良い影響をもたらす。

このような動きは、獅子舞などの郷土芸能が日本全国に広まり根付いた原点のようなものを想起させるようで、とても興味深く感じられた。

■「山代大田楽」の詳細はこちら

■山代温泉ホームページ https://yamashiro-spa.or.jp/

この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
日本全国500件以上の獅子舞を取材してきました。民俗芸能に関する執筆、研究、作品制作等を行っています。

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