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久富盆綱曳き。鬼が導く極楽浄土とは?!

更新日:2020/7/30 鹿ちゃん
久富盆綱曳き。鬼が導く極楽浄土とは?!

活力あふれる街、福岡県筑後市

福岡県南部、筑紫平野の中央に位置する筑後市は、周辺地域の新鮮な農作物や特産品が集まる豊かな場所だ。この街には新幹線が止まる。自然と共にある生活は、交通の利便性と巧みに融合していた。筑後市の北には、九州最大の河川筑後川が沿うようにして流れる久留米市、東には茶畑の合間を縫うように伝統工芸産業が集積する八女市、西には掘割が縦横に流れる水の都柳川市が隣接している。市街地すぐの高速道路をたどれば、すぐに顔を出してくれる魅力的な周辺地域だ。

地方の過疎化が深刻な近年でも、筑後市はほとんど人口減少していないという。筑後市に活力があふれる理由は、周辺地域の魅力と交通の利便性だけでなく、農業の仕組みにヒントがあるように思えた。ここ、筑後平野は一戸あたりの耕地面積が狭いため、早くから多角農業が行われている。労働力や土地、機械などを効率よく活用し、稲作や野菜、果樹、家畜などを組み合わせて行う方法だ。

今回の旅は、子供たちが真っ黒い鬼となる、一風変わった盆祭りを見るためであったが、祭りの合間で目にした田畑は深く印象に残っている。祭事が行われる熊野神社近辺にも、田んぼとイチジク畑が隣接する小さな農家があった。限られたスペースをうまく活用する、日本らしい生活を垣間見ることができる情景だ。

久富盆綱曳きとは

久富盆綱曳きは、毎年8月14日の盂蘭盆に行われる行事であり、不幸にして成仏できない亡者の霊を供養するために始められた。この行事では12歳までの子供達が鬼に扮して現れる。全身をススで真っ黒に塗り、藁で編んだ角と腰ミノを身につけ、大綱を曳いて死者たちの魂を引き上げる。真っ黒で怪しげな子供たちの容姿と一般的なイメージの中にある盆行事「盆踊り」とはかけ離れた祭事に、近年“奇祭だ”と注目の目が注がれているが、この行事も古くから伝わる鎮魂の1つである。

盆行事というのは、仏教徒によってできたとされている。

日本の神様が太陽や山であった頃、鎮魂は神を対象とするものであった。多くは自然災害などによる凶作を鎮めるための祈りにつながる。鎮魂の対象が祖先、あの世の人となったのは、仏教が日本に伝わり魂という考えが人間の魂と捉えられるようになってからである。久富観音堂盆綱曳きで使用される大綱が観音堂の大きな梁に吊るして練り上げられる様子からも、仏教に由来する行事であることを知ることができた。

当日の様子

盆綱曳き当日、朝から祭りの準備で人が集まり、熊野神社近辺は賑わいをみせる。身体にぬるススを用意する者、装束を準備する者、元気あふれる子供を誘導する者、熱中症対策にあれこれ準備をする者、大勢の人々が忙しそうに行き来していた。境内の西端にある観音堂では、大人たちが大汗をかいて大綱を練りあげている。直径30cm、長さ20メートル、重さ約400kgとなる大綱を練り上げる作業は、かなり根気のいる作業だろう。大綱創りは、準備というよりも、神事の1つであるように感じた。祭はまだまだこれからだが、大人達の真剣な面持ちに胸が熱くなる。子供を中心とした祭で、大人がここまで真剣でいることができる地域はそう多くない。この祭りが大切な鎮魂であることを思わせる、良い時間が流れていた。

集まった子供は50人程、10時から始まる祭に向けて、次々とススを塗られていく。指先から首、目の周りまで真っ黒になった子供達は、恐ろしい鬼というより、ヤンチャで悪戯好きなゴブリンのように見えた。ススを塗られている時は大人しくしているのに、真っ黒になってしまうとやたらと元気に走り回るようになる。「ほら、まだじゃろ」と装束を着せようとする大人が張り上げる声も混じり、ちょっとした御祭り騒ぎ状態だ。

 

10時、いよいよ大綱引きの始まりである。

大綱を曳きながら「わっしょい!」という掛け声と共に、約3kmの道のりを2時間程かけて練り歩く。民家や田んぼの横道、車道を通りぬけ、グングンと元気よく進む。

この日は台風が迫っていた。爽やかな青空の下では、時々強い風が吹く。向かい風を受けながら、重い大綱を懸命に曳く子供達の姿に、とても力強いものを感じた。近年は少子高齢化が進み、子供を中心とする民俗芸能は、元気を無くしてしまうことも多々ある。そんな時代背景をものともせず、先祖の魂を奮い立たせるような活力が久富盆綱曳きにはあった。

途中、団地内の公園で休憩をとった後も、全員が一丸となり、力を緩めることなく歩き続ける。最後は小走りで、境内の鳥居を潜り抜けていった。大綱曳きを終え、万歳をする子供達の姿が清々しい。

 

子供も大人も、熱い想いを持ってこの祭りに挑んでいる。スポーツのように爽快な鎮魂行事だった。

 

 

長い長い梅雨が訪れた今年、苦しい現実と直面する事態となりました。令和2年7月豪雨、久富盆綱引きの開催地である筑紫平野を潤おす筑後川も氾濫した河川の1つです。時として人間は自然の脅威に無力となってしまいますが、それでも立ち向かうため、気持ちを強く持つため、古くから人々は催事を大切にしてきました。こんな時こそ、文化を伝えていかなければいけない、そして久富の地で祭りを通してもらった活力の恩を返したい、そう思い言葉にした次第であります。些細ですが、この記事が誰かの力になり、支えとなれば幸いです。

【令和2年7月豪雨により被害を受けられました皆様、心よりお見舞い申し上げます。一刻も早い復旧、復興を願っております。】

令和2年7月豪雨災害義援金

この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
写真家として、日本中のお祭を撮りながら旅をしています。

オマツリジャパン オフィシャルSNS

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