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「大根祭り」奇祭に秘められた過去とは|観光経済新聞

「大根祭り」奇祭に秘められた過去とは|観光経済新聞

2019年からスタートした、観光経済新聞のオマツリジャパンコラム記事連載!2022年も「お祭り」をフックに、旅に出たくなる記事の連載をして参ります!奇祭好き、ケンカ祭り好き、お神輿好き…等、様々なライターさんに記事を執筆いただく予定ですので、ぜひご覧ください♪(オマツリジャパン編集部)

奇祭に秘められた過去とは

今回は「子どもたちがわんぱく過ぎる奇祭」といううわさの、江戸時代から160年以上続く千葉県山武郡芝山町山田地区の大根祭りを紹介しよう。

大根祭りでは、当日は村中が「鍋かけず」といって家のカマドで火をたかず、神社の手前にある集会所に集まって「神の食」を食べ、祭事を祝う。「神の食」はご飯にみそ汁、ごまめに黒豆、白和え、かぼちゃ、里芋、昆布、きんぴら、生揚げと、栄養満点。食事中は無病息災を願って獅子舞も踊る。祭りには七五三と元服祝い、火災除けの意味もあるそうだ。上座には大根とかぶによって男性器と女性器を模して作られた「神物」も堂々と飾られていた。

昼食が終わると午後1時ごろからいよいよ大根投げの開始。神主を含む大人たちが神社へと移動し始めると、子どもたちが前に立ちはだかり、おもむろに大根を投げつける。対する大人はむしろでガード。全国的にも珍しいこの大根投げは、昔の合戦を模したもので、戦国時代の金光寺合戦で戦死した三谷大善の霊を弔う意味合いもあるのだとか。

しばらくするとパチパチと炎が爆ぜる音が。何と神社の前に建てられた小屋が派手に炎上している! 神主らの進行を阻止するためとはいえさすがにこれはやり過ぎ? いや、実はこれも恒例行事。この過激さ故に「大根祭り」には「あらい(荒い)祭り」の別名もあるのだ。正面の火を避け、神主らが神社に到達して無事ゴール。激しい戦いの後、あぜ道には大根の残骸だけが残されたのだった。

その昔、この山田地区では病難、災難が多く、子どもたちの体が弱く健康に育たず、村人は苦悩していた。そこに立ち寄った修行僧が祭事を行うように勧め、これが大根祭りの由来となった。子どもたちのわんぱくぶりを許容する大根祭りのラディカルぶりは、子どもたちが今年も元気に育っているという何よりの証拠だったのである。

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この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
奇祭ハンター、美酒ナビゲーター。「毎月奇祭」を目標に奇祭旅を行い、お祭りやお酒の情報を挙げています。今までに50以上の奇祭を巡り、600種類以上の日本酒を飲酒。祭りがないときは大体、酒飲んでます。

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