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佐藤家代々の伝承が、地域内外から担い手が集まる郷土芸能に。川西大念佛剣舞の継承活動に迫る

更新日:2024/2/29 稲村 行真
佐藤家代々の伝承が、地域内外から担い手が集まる郷土芸能に。川西大念佛剣舞の継承活動に迫る

岩手県奥州市衣川地区に伝わる「川西大念佛剣舞(かわにしだいねんぶつけんばい)」は、世界遺産として知られる中尊寺とその始まりを同じくする歴史ある念仏踊りです。中尊寺の境内において、毎年5月1日~5日と11月1日~3日に開催される藤原まつりや、8月24日の施餓鬼会で奉納されます。

庭元・佐藤家に先祖代々引き継がれてきたその踊りは、現在担い手不足が深刻化する中で、外からの人を受け入れることにより伝承されています。若手の広報活動や剣舞の体験会、学校教育との連携など、その活動は幅広いです。

奥州市の川西伝承館にて、川西大念佛剣舞保存会の庭元・佐藤円治さんをはじめとした担い手の方々にお話を伺いました。

佐藤円治さん

川西大念佛剣舞は約900年前から、岩手県奥州市衣川の川西地区に伝わる、浄土信仰の要素が強い念仏踊りです。中尊寺を建立した奥州藤原氏の初代・清衡公が、前九年・後三年の役で亡くなった者たちを供養するためにつくった踊りとして伝承されています。

昭和40年頃まで川西地区の佐藤一族間だけで継承されてきたという川西大念佛剣舞は、高度経済成長期以降、住民の地域外流出という大きな壁にぶつかりますが、地域内外の担い手が新たに加わることで現在まで絶えず継承されてきました。

——元々は佐藤家で伝承されてきた歴史ある踊りを、地域内外の方々が受け継ぐという方向性に転換されていったのですね。その流れについてどのようにお感じでしょうか?

佐藤さん「私自身は小学校4年生から踊りを始めました。今はもう踊っていないですが、団体の庭元(家元にあたる存在)を務めています。今は昔と違って会社の仕事が忙しく、演舞に参加できない人が増えたように感じます。

私は佐藤家本家の人間ですが、ほかにも7軒の佐藤家があり、それらの担い手によって受け継がれてきました。今では、地域内外の人が入ってきてくれて、若い担い手が頑張ってくれています。練習して型ができるようになったとしても、踊りの強弱までつけられるようにするには10年、20年かかります。最初はみんなに追いつくことに精一杯ですよね」

また、川西大念佛剣舞保存会・事務局長の菅原賢一さんにもお話を伺うことができました。踊りを始めてもう50年になる菅原さんから、「若い頃と比べて変わったこと」を切り口に継承への取り組みについてお聞きします。

——若い頃と比べて、踊りや担い手に何か変化はありましたか?

菅原さん「うーん、踊り自体の型は変わっていないです。同世代のメンバーは7~8人いたのですが、残っているのは僕しかいません。家庭の事情などで続けていくのが難しい人もいました。僕も60歳くらいで体力が続かなくて辞めようかと思いましたが、後輩に呼ばれて結局太鼓を叩くことになりました。若い人は踊りをして、高齢になるとお囃子に回ります。

継承ということで言うと、ただ毎年同じように踊りを引き継いでいくだけでは成り立ちません。昔は、例えば青年団体協議会の繋がりで旧ソ連に行ったり、戦没者の慰霊ということでパプアニューギニアに呼ばれたりということもありました。国内では国民文化祭や国立劇場、ほかの土地での演舞などもあります。たまにはこういう刺激も必要なのです」

菅原賢一さん(写真中央)

——踊りの演目数と、それを伝承する工夫についても伺いたいです。

菅原さん「15~16種類はあります。ただ、人数が足りないので一部しかできていないのが現状です。基本的には矢車、押込(おっこ)み、入剣舞が主要演目となっています。昔は口伝をするか、秘伝書を見るしか覚える方法はありませんでした。ただ最近は動画のアーカイブができます。作品性の高い映像だと部分的なカットも多いので、本当にアーカイブするには、四つ角から定点で三脚4台、カメラ4台を使って撮るしかないのではと思います」
次に30代の踊り手であり、佐藤家の血筋でもある三浦健太郎さんにもインタビュー。若手の視点で見た川西大念佛剣舞についてお話を伺いました。

——いつ頃から川西大念佛剣舞の担い手として活動されているのですか?

三浦さん「小学校4年生の頃からかかわっています。自分のおじいちゃんが剣舞の保存会の会長だったのがきっかけで興味を持ちました。一時期、団体を離れていましたが、社会人になってから踊り手として再びかかわるようになりました。ほかの子どもたちも高校から部活動や学業が忙しくなり(一時期離れたとしても)大学卒業後にまた復帰してくれるというケースが多いです」

三浦健太郎さん(写真中央)

——ほかの子どもたちはどのようなきっかけで「入りたい!」となるのでしょうか?

三浦さん「若手がTwitter、Instagram、Facebook、YouTubeなどのSNSで広報活動をしてくれています。いかに格好よく見せるかが大事です。最近、地元の子どもたちは県外に出てしまうことも多く、盛岡市など外からの人も「来るもの拒まず」で受け入れています。遠方の人はだいたいSNSを通じて活動を知ってくれます。
興味を持ってくれた人は、まず体験会に参加してもらって、その流れで踊りの担い手に加入することが多いです。もちろん地元の人が中心となって運営しており、地元の小学校に同好会があるところもあります」

川西伝承館でおこなわれた練習会でのインタビューの次の日。岩手県奥州市の水沢市文化会館(Zホール)で開催されたイベント「おうしゅう文化体験フェスタ」で、川西大念佛剣舞の出展があるとのことで伺ってきました。

広報担当の高橋幸宏さんによれば現在、SNSの他に団体紹介のカードやパンフレット、写真集なども制作されているとのこと。川西大念佛剣舞のファンの方が撮影した写真を送ってくれることもあるそうで、団体内部にとどまらず、ファンの方との交流も大事にされている様子が伺えました。

このイベントでは午前10時・11時からの2回、川西大念佛剣舞の踊り体験がおこなわれました。子ども達が楽しそうに踊る姿が印象的だっただけでなく、踊りの経験がある小学生が、ほかの小学生に教えるという場面もあり、継承活動が進んでいる様子が伺えました。

2022年9月に保存会に加入した、20代の菅原章太さんも子ども達に踊りを教えていました。小学生の頃に剣舞を習っており、保存会に加入してまだ1カ月ですが、亡霊が憑依したような素晴らしい踊りを見せてくれたのが印象的でした。そこで少しお話を伺ってみることにしました。

——踊りを始めることになったきっかけや、川西大念佛剣舞の魅力を教えてください。

菅原さん「中学生の頃には川西大念仏剣舞に興味はあったのですが、いろいろな不安もあり保存会に入るまでに至りませんでした。それから川西大念仏剣舞のことを深く考えることもなく時が過ぎて、社会人となり、地元のお祭りで川西大念仏剣舞を久しぶりに見る機会がありました。太鼓と笛の迫力に圧倒されてもう一度剣舞を踊りたいと思いました。前庭元の佐藤円七さんがインタビューを受けている動画を見て、円七さんの川西大念仏剣舞を絶やしてはならないという強い想いを聞いて、川西地区の人間としてこれはやらねばならないと思い保存会に入ることを決意しました。保存会に入る前からYouTubeで川西大念仏剣舞の動画を繰り返し見て、自分で自主練習していました。自分で言うのもなんですが『人の真似をすること』が得意です。
実際に入ってみて、とても楽しいと感じています。川西大念佛剣舞の魅力は「迫力」があることです。特に矢車という演目は、動きが激しく跳ね回る踊りなので迫力があると感じます。この魅力をもっと伝えたいです。矢車の他に押込、猖足、魔王、若人という1人で踊る演目があります。押込は踊れる人がいるのですが、猖足、魔王、若人は現在踊れる人がいません。 昔の貴重な映像が残っていたのでそれを見て練習をして、すべての踊りを復活させることが目標です」

また、イベント出展や出演など、調整役としてかかわっておられる高橋幸宏さん(32)は、地域内外から担い手が集まる今の保存会の状況について、このようにお話しされていました。

高橋さん「保存会の体制は、これまで年配の方々が中心でしたが、若手の声も活動に反映させるために、体制を見直しました。 見直しにあたっては、踊りが得意な人は指導担当、撮影が得意な人は広報担当など、若手の会員が得意分野を活かせるように役割を分担しました。その結果、若手の会員が主体的に取り組むようになり、保存会の活動が活発になったと感じています。また、男性に限らず女性も入っていた時期があり、この団体を通じて旦那さんと出会い結婚したというエピソードもありました。このように興味を持ってくれた人を担い手として柔軟に受け入れ、徐々に今のような組織ができ上がったのです」

また、午後2時ごろからは、 川西大念佛剣舞子ども同好会による演舞がおこなわれました。小学生の迫真の演技を拝見して、子どもの頃から担い手育成がおこなわれていることを実感しました。

この子ども達はのちに中学生、高校生となり、一時期通学のために故郷を離れることもあるでしょう。しかし、子どもの頃の経験から「また故郷に戻って剣舞を踊りたい」とUターンしてくる担い手も多いはずです。

また、広報活動や体験会などを通じて剣舞の魅力を知り、それがきっかけとなって地域内外から新しい担い手が集まってくる仕組みも整っています。

元々は佐藤家のみによって受け継がれてきた川西大念佛剣舞は、社会情勢を受け入れ、そして子どもから80代まで多世代がかかわる素晴らしい継承活動へと発展しているのです。

この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
日本全国500件以上の獅子舞を取材してきました。民俗芸能に関する執筆、研究、作品制作等を行っています。

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