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新社殿限定御朱印に、月替わりの御朱印も!伊勢神宮から約400km離れた遥宮・小石川大神宮の歴史に迫る

2021/6/27
2021/6/29
新社殿限定御朱印に、月替わりの御朱印も!伊勢神宮から約400km離れた遥宮・小石川大神宮の歴史に迫る

東京ドームがある東京メトロ後楽園駅からわずか5分。交通量の多い春日通りを曲がると、厳かな雰囲気を漂わせる神社が見えてきます。

神社の名前は小石川大神宮。伊勢神宮の遥宮という特別な神社であり、遠く離れていながらにして深い繋がりを持っています。なぜ東京という離れた場所に、伊勢神宮と繋がりのある神社があるのでしょうか?

今回お話をいただいたのは、小石川大神宮の4代目宮司・佐佐木宮司。

小石川大神宮 佐佐木宮司 2

伊勢神宮との繋がりや小石川大神宮の成り立ち、地域との繋がりについて、お話を伺いました。

(※以下、文中の「」内は全て佐佐木宮司のコメント。『』は全て、木村 誠 著・編集(1967)【崇敬五十年 佐佐木勝造半世紀】稲穂出版 からの引用。)

鳥居には月読宮の古材が!限定の御朱印も配布している、小石川大神宮

小石川大神宮は東京都文京区にある神社さん。建立50周年を記念して、新社殿が建造されました。

じつは小石川大神宮、東京都にありながら伊勢神宮の遥宮という特殊な神社さんでもあります。遥宮とは、伊勢神宮のお宮のなかでも、特に遠く離れた場所にあるお宮のこと。

御祭神は、伊勢神宮と同じく天照皇大神(天照大神の別名)。物事をあまねく照らし、安泰を与える神様です。言わずもがな伊勢神宮と深い関わりを持っており、境内にある鳥居には特にその繋がりが表れていると、佐佐木宮司は話してくれました。

「小石川大神宮にある2つの鳥居は、伊勢神宮の別宮である、月読宮の古材が用いられているんです。入り口にある鳥居は平成25年に行われた遷宮の古材が、社殿前にある鳥居には、平成5年に行われた遷宮の古材が、それぞれ用いられています。」

「じつは社殿前の鳥居は、以前の旧社殿で用いていたものの外皮を削り、移設したものなんです。伊勢神宮に使われているヒノキはとても高品質なので、数㎜削っただけで、新品のような風合いになるんですよね。中身もしっかり詰まっていて、強度も問題ありません。」

取材では、鳥居に用いられているものと同じ木材を見せていただきました。加工する前の丸太の状態で、幾層にも年輪が積み重なっており、質の良さが伝わってきます。直径約20㎝ほどですが、元の木の4分の1ほどを削りだしたものだというのですから驚きです。

小石川大神宮で現在、配布されている御朱印は3種類。1つは以前から配布している通常のデザインのもの。御朱印にされている社紋は、古来、皇室などで用いられていた菊の御紋と代々宮司を務めている佐佐木家の家紋・菱を合わせたもの。花と菱が組み合わさった、花菱と呼ばれる御紋の一種のようです。

小石川大神宮8

2種類目は毎月デザインが変わる御朱印で、取材をさせていただいた6月には鮮やかなアジサイが添えられていました。

3種類目は、新社殿となったことを記念して配布している御朱印で、堂々とした新社殿がデザインされています。こちらの御朱印は、これから約1年ほど配布する予定とのこと。見逃したくない限定御朱印です!

遷宮を援助 小石川大神宮建立の裏に隠された初代宮司・佐佐木勝造氏の想い

境内を見渡すと、隅の一角にぽつりと恵比寿様が祀られていました。小石川大神宮は七福神を祀る神社さんではなく、また境内に別の神社さんもありません。いったいどういうことなのでしょう?

小石川大神宮5

「境内の隅にいらっしゃる恵比寿様は、小石川大神宮をこの地に起請した初代宮司・佐佐木勝造が個人で所蔵していた恵比寿様なんです。私の曾祖父にあたる佐佐木勝造は、界隈で熱心な敬神家として知られていました。小石川大神宮の建立も、彼の想いが発端となっています。」

その言葉と共に、佐佐木宮司からいただいたのは2冊の本。水色の表紙のものは平成28年、小石川大神宮の建立50周年を迎えたことを記念して発行された冊子で、小石川大神宮の歴史や以前の周年祭典の様子が記録されています。もう一冊は、初代宮司・佐佐木勝造氏(以下・勝造氏)の生涯を記録した伝記 木村 誠 著・編集(1967)【崇敬五十年 佐佐木勝造半世紀】稲穂出版 です。

小石川大神宮9

これらの資料によると、勝造氏が生を受けたのは今の北海道、洞爺湖湖畔近くの壮瞥地区。

勝造少年は開拓家業の影響により、休校や転校が相次ぎ、学業の遅れや周囲との足並みのずれから、いたずら好きの少年として育ったとのこと。

いたずら好きだった少年が熱心な崇敬家となったのは、少年期を過ぎ、青年となったときのことでした。

そのころ勝造氏は近隣で営業していた土建屋に給仕として出稼ぎに出ており、賭け事や夜遊びに出かけることもしばしば。実家にはあまり戻っていなかったそうです。そんなある日、休暇をとり出稼ぎから戻ってきた勝造氏は、母とともに、北海道豊浦町にある桜八幡宮へお参りにいくことになりました。

慣れた様子で深くお祈りを捧げる、勝造氏の母。その背中を見て勝造氏は、母の過労や忍び寄る老い、そして自らがかけてきた心配の多さから、母が足繫く神社へお参りしていたことを悟り、『いつもお願い事ばかりしてきた氏神さまだから、なにか神社にお礼をしてやろう。そうすれば両親も喜ぶだろう』と決意します。

こうして、勝造氏は桜八幡宮へのぼりや手水鉢を奉納し、崇敬家としての道を歩み始めたのです。

【崇敬五十年 佐佐木勝造半世紀】には、勝造氏の崇敬への想いが綴られていました。

『俺はただ大神さまを拝んできただけの話だ。頭が悪いから大神さまだけが頼りで、それが俺の心を支えてくれた。』

小石川大神宮6境内には佐佐木勝造氏の銅像屋宇治橋の様子が展示されている

勝造氏はその後、自ら土建屋を立ち上げ、北海道地域で広く活動するまでに成長させました。事業を拡大させる傍ら、さまざまな神社へ熱心な祈祷や奉納を捧げていた勝造氏は、やがて戦後の資金不足で遷宮が難航しているという相談を受け、伊勢神宮へ資金を奉納。勝造氏の尽力により資金を得た伊勢神宮は、まずは昭和24年に宇治橋の建て替えを実施しました。さらに勝造氏は奉納を続け、4年後の昭和28年には神社の建て替えが完了。無事、戦後初の遷宮が終わりを迎えました。

「遷宮は本来、橋の建て替えと神社の建て替えが同時に行われる行事でした。しかし一連の経緯により、現在まで続く4年のズレが発生しているんです。」

と佐佐木宮司。

かくして崇敬者総代となった勝造氏は東京進出の際に、かねてからの念願であった神社を建てる構想を実現させるべく、なんと、伊勢神宮への相談をする前にビルを建て、次いで社殿を建築。

その後事後的に伊勢神宮へ起請を行い、伊勢神宮は詮議を重ね、特例で勝造氏の懇願を受け入れます。まだ運用可能であった海外へ神社を建立するための戦時中の制度を応用し、天照皇大神の別大麻が授与され、昭和41年3月7日、伊勢神宮から約400㎞離れた文京区小石川の地に、伊勢神宮の遥宮・小石川大神宮が誕生したのです。

 

小石川大神宮 8旧社殿の様子 ビル1階を抜けると境内が広がっている

佐佐木宮司は勝造氏について、

「私は会ったことがないのですが、曾祖父はかなりのワルだったと聞いています。学校も小学校までしか出ておらず、読み書きができなかったそうです。」

「崇敬家となってからの熱意はすさまじかったようで、以前まで住んでいた曾祖父の代からの自宅には、先ほどご紹介した恵比寿様や名前の彫られた手水鉢、さらには五重塔が建てられていました。社殿の建て替えの際にそれの整理を行い、手水鉢と五重塔は50年以上も前の物だったということもあり、新しい社殿の地中に埋め、恵比寿様だけは境内に安置することにしたんです。」

「ただ一代で大きな会社を築き上げていたり、伊勢神宮にお願いする前にビルと神社を建ててしまったりという点を踏まえると、かなりのやり手だったんでしょうね(笑)」

と、話してくれました。

地域と共に歩むため 「この場所を守り続けていきたい」

現在、富坂二丁目町会の氏神を務めている小石川大神宮。元々は崇敬神社であるため、土地の神様である氏神の役割は持ち合わせていませんでした。しかし富坂二丁町会の人々からの願いを受け、氏神を引き受けることになったのだとか。

じつは現在の小石川二丁目あたりにあった富坂二丁目は、白山神社や簸川神社、北野神社など周囲の神社の間にある地域で、氏子地域としてどこにもあてはまらない、飛び地のような存在でした。人々はどこにお参りしていいかわからず、悩み果てていたのだそう。そんなおり富坂二丁目町会の役員が、小石川大神宮の崇敬会に入会したことから、お神輿を預かり、氏神としての役割を持つようになったといいます。

「富坂二丁目地域の約600世ほどの方々は、小石川大神宮のことを氏神だと感じてくださっています。全国にも2000名ほどの崇敬会の方がいらっしゃって、本当にたくさんの方から支えてもらっているんです」

新社殿となった今は、隣のビルを保育園として文京区に貸し出しており、平日は園児たちがお散歩に来たり、歌が聞こえてきたりと、にぎやかで楽しいと佐佐佐木宮司。東京ドームも近いことからコロナ禍以前は、ジャイアンツの試合やアーティストのコンサートがあると多くの人が立ち寄っていたそう。毎年秋に行われる例大祭や新嘗祭にも多くの人が参加してくれていた、と話してくれました。

小石川大神宮3絵馬には多くの願いが寄せられていた

「建立から50年を超えて、だんだんと地域の神社として認知してもらえてきたのだなと感じています。地域や崇敬会、お参りしてくれる人々に健康や安泰のため、また感謝を込めて、しっかりと神社を守っていきたいです。そのうえで、たくさんの人が来てくれる工夫をして、神社が朽ちることなく繁栄していけるよう努めていきたいですね。」

おわりに

地域や訪れてくれる人々のため、伊勢神宮の遥宮という特別な場所を守っていく。佐佐木宮司の会話からは勝造氏から受け継がれてきた、想いの強さをうかがい知ることができました。

月替わりの御朱印は始めて3か月。取材中も多くの人が御朱印をいただきに社務所を訪れており、好調の様子でした。

小石川の地に建立されて50年。小石川大神宮は佐佐木宮司のもと、これからも人々の拠り所として繁栄していくことでしょう。後楽園や東京ドームを訪れた際は、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか?

小石川大神宮4