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これも獅子舞!?扇子を獅子に見立てる意外な理由とは

更新日:2022/9/15 稲村 行真
これも獅子舞!?扇子を獅子に見立てる意外な理由とは

獅子頭も胴体もない獅子舞が存在するという。そんなことを聞きつけて、長野県松本市から車で1時間、上高地にも程近い集落・奈川寄合渡(ながわよりあいど)に行ってきた。

この地域には「奈川獅子舞」といって、通常の獅子頭と胴体を身にまとう獅子がある一方で、それらを持たず扇子のみで獅子を表現する手踊りがある。なぜそのような獅子舞が誕生したのだろうか?その由来を、2022年9月3日に行われたお祭りの様子から探ってみたい。

長野県の秘境で行われる「奈川獅子」

松本市奈川寄合渡に伝わる奈川獅子は、毎年氏神である天宮大明神の秋のお祭りで奉納されている。獅子神楽*の系統であり、その由来は富山県のキンマヒキ(彩漆塗職人)の横井市蔵という人物が、大正初期に寄合渡に移り住んで、地元の人々に教えたのが始まりだ。横井氏が伝承した獅子は富山県南砺市の獅子舞の形態と言われており、現在は獅子舞と手踊りによって構成されている。

*獅子神楽とは宮中ではなく民間で行われる里神楽の一つで、獅子頭を御神体とし、それを舞わせることを儀式の中心とする神楽のこと。

元々奈川といえば明治末期までは牛追いたちが多く住む地域だった。歴史的に見れば富山県方面との繋がりのある交通の要衝だったともいえる。そのような背景もあって、獅子舞が伝えられたのだろう。奈川獅子は平成19年には、松本市重要無形民俗文化財に指定されている。

予想以上に激しい奈川獅子の演舞

それでは、獅子舞を現地で拝見した様子を振り返っておきたい。当日は雨だったので、通常は外で開催するところを、天宮大明神の向かい側にある地域の体育館での開催へ変更となった。

奈川は松本市の中心部から松本電鉄沿いに進んで約1時間の道のりである。女工の通り道だったことで知られる野麦峠にも近い場所に、奈川寄合渡はある。

神事ののち、獅子舞は19時半に始まった。太鼓や笛の音とともに、獅子舞が会場に入場。入場と退場がしっかりあって、客席が設けられて獅子舞を見るという感じだったので、演劇的な要素も強い獅子舞だと感じた。

獅子舞に対峙するのは数名の獅子捕り。そして、獅子に対して時々ちょっかいを出して、観衆を笑わせる天狗もいる。

獅子舞の演舞は予想以上に激しかった。「獅子殺し」の形態を持つ獅子舞なので、雄獅子が薙刀によって倒されるシーンなどは特に見応えがあった。やはり獅子を退治するところは、富山の獅子舞にも似ているなと感じた。

獅子舞を見た後に、扇子を使っての手踊りも見ることができた。最初は蝶々みたいだと思って眺めていたが、手踊りの腕や足の動きによくよく注目してみると、獅子に動きがそっくりだ。

19時半に始まった演舞は21時ごろに終了!大人の獅子舞、子供の獅子舞、子供の手踊り、大人の手踊りと、世代ごとの違いまでたっぷり演舞を堪能できた。獅子舞と手踊りの様子に関しては、こちらの動画にまとめたのでぜひご覧いただきたい。

大獅子退治の壮絶なストーリー

演舞を拝見した後、よくよく資料を読んでみると、奈川獅子にまつわる1つの物語が存在するらしい。その物語の発端となるのが、飛騨の国境の山奥に潜むといわれる一頭の大獅子だ。この大獅子が村に出てきては田畑を荒らし、家畜に危害を加え、村人たちを苦しめていたという。この大獅子は神出鬼没で一夜のうちに七つの山を越えため、人間業では容易に討ち取ることができなかった。

そこへ不思議なことに大天狗が現れ、狩人たちを助けてようやく討ち取ることができた。狩人たちは大獅子を討ち取った喜びに疲れも忘れ、互いに手柄話に花を咲かせていた。
すると死んだと思っていた大獅子が息を吹き返し、狩人たちに猛然と襲いかかってきて再び苦しめた。狩人の中に薙刀の名手がいて、大獅子との大乱闘の末に、最後にとどめを刺した。この物語を獅子舞と手踊りとで表現しているのが、奈川獅子のようだ。

獅子舞の演目は
①祇園囃子
②きよもり
③よしざき
④獅子ころし・きりかえし
⑤薙刀
の5つの場面で構成される。

①の場面で獅子が田畑を荒らして村人を苦しめる。②③で棍棒や竹槍では獅子を打ち取ることができなかったが、天狗が技を使って最終的にそれを打ち取ることに成功。しかし④で手柄話に花を咲かせる村人をよそに獅子が生き返り⑤で天宮大明神の薙刀を天狗から受け取った村の薙刀名人が死闘の末に獅子を退治するというストーリーとなっている。獅子舞にこのような物語が隠されていたとはとても興味深い。

扇子は獅子舞上達の登竜門!?

ところで、獅子舞と対になって実施される手踊りにはどのような意味があるのだろうか?ここでいう手踊りは、扇子を獅子に見立てて踊るもので、身体的な動作は獅子舞も手踊りも大きく変わらない。ただし、手踊りでは⑤の薙刀の演目が行われないという違いがある。

演舞終了後、地域の方になぜ手踊りがあるのかを尋ねてみたところ、とても興味深い答えが返ってきた。「扇子で舞うことができなければ、獅子を舞うことはできない。扇子で舞うことができれば、獅子を舞うことはできる」といわれているらしい。つまり、獅子舞上達のための登竜門のような存在として、手踊りが導入された可能性があるのだ。

ここからは僕の推測だが、扇子を扱うときに大振りに軽やかに練習してみることで、その身体感覚を染み込ませることができ、獅子頭と胴体を扱いやすくしている可能性もあるように思えた。
獅子舞と手踊りの両方があることで、獅子舞がうまく次世代に継承されているということなのだろう。獅子舞継承の工夫をまた1つ知ることができ、充実した獅子舞取材となった。

参考文献
奈川獅子舞保存会資料
小林幹男『信濃の獅子舞と神楽』(信濃毎日新聞社, 2006年8月)

この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
日本全国500件以上の獅子舞を取材してきました。民俗芸能に関する執筆、研究、作品制作等を行っています。

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