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十番稲荷神社、渋谷宮益御嶽神社、皆中稲荷神社 酉の市 三の酉レポート

更新日:2020/12/28 ちゃそっこ
十番稲荷神社、渋谷宮益御嶽神社、皆中稲荷神社 酉の市 三の酉レポート

11月26日(木)に酉の市 三の酉が開催されました。色々と行きたい場所がありましたが、全部回るのは厳しかったので、麻布十番駅近くの十番稲荷神社、渋谷駅近くの渋谷宮益御嶽神社、新大久保駅近くの皆中稲荷神社で開催されていた三の酉に参加しました。浅草酉の市のような規模の酉の市ではありませんが、新型コロナにも負けず、地域に根差し、伝統が脈々と引き継がれている酉の市三の酉の様子をお伝えいたします。

酉の市 三の酉とは?

酉の市は、鷺神社御祭神の御神慮を伺い、御神恩に感謝して、来る年の開運、授福、殖産、防災、商売繁盛をお祈りするお祭りで、毎年11月の酉の日に行われています。酉の日とは?と思われる方が多いかと思いますが、酉の日とは古代中国で誕生した十二支が深く関連しています。12年に1回「酉年」があるのと同じ様に、12日に1回の周期で「酉の日」が来るという仕組みです。干支の表記が記載されているカレンダーを見ると酉の日が分かります。11月に酉と記載の入っている日に酉の市が行われます。

干支カレンダー https://eto-calendar.com/

十番稲荷神社の様子

東京メトロ麻布十番駅の近くの十番稲荷神社ですが、普段とは全然様子が違います。様々な熊手に彩られ、とても賑やかです。三の酉は平日でしたが、商売繁盛を祈願して沢山の人が訪れていました。

神社の本殿もいつも以上に綺麗に彩られています。HPによると「もとは末広神社(旧坂下町鎮座)および竹長稲荷神社(旧永坂町鎮座)です。両神社は、昭和20年4月15日に戦災に遭い焼失、昭和25年6月復興土地区画整理により、両社境内地を現在地に換地、隣接指定されました。その後両社は合併して社名を十番稲荷神社と改称し、平成9年3月29日、現社殿に建て替えられた」とのことです。

神社の窓口では文字通り最大と思しき熊手が販売されていました。「かえる」お守り等も有名なようで、防火・火傷のお守りとしてだけではなく、「かえる」の語音から旅行や入院の際に無事かえる、元気でかえる、あるいは、遺失物がかえる、若がえる等のお守りとして貴ばれているそうです。新型コロナのお守りとしても良さそうです。

渋谷宮益御嶽神社の様子

JR渋谷駅近くの宮益坂にある渋谷宮益御嶽神社に来ました。美人なお姉さん達が受付で奮闘されていました。屋台も結構出ていたので、人通りは渋谷らしく多めな状況でした。

神社前の酉の市の様子です。三の酉と言うこともあってか、熊手が結構無くなっていました。神社の参拝客や熊手目当てで来た人で賑わっていました。

ケバブやたこやき等、お祭りらしい屋台が沢山出ておりました。女性も多い渋谷ですので、クレープ屋さん等のスイーツ系も盛況の様子でした。神社のある宮益坂付近の再開発も進み、どんどん綺麗になっております。この御嶽神社ですが、東京都青梅市の武蔵御嶽神社の系統かなと思っておりましたが、御由緒には大和国吉野郡(奈良県)「金峯神社」の分祭社と記されているようで、歴史的な影響を感じます。詳しくは御朱印・参拝記録・神社情報・考察ブログの「御朱印・神社メモ」さんが参考になります。

御朱印・神社メモ https://jinjamemo.com/archives/miyamasumitakejinja.html

2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公である日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一の構想と、初代東急電鉄社長の五島慶太による渋谷の発展の歴史もありますが、昔から渋谷という土地は神仏や経済のみならず、世の中の変化を大きく受けながら、柔軟に発展してきたのかなと想像が膨らみます。渋谷女子が東急や西武で買い物するけど、PARCO、丸井、109でも買い物するみたいな、神社運営にも、そのような柔軟性があった結果かもしれません。

渋谷発展の歴史 https://www.kokugakuin.ac.jp/article/121369

皆中稲荷神社の様子

JR新大久保駅近くの皆中稲荷神社に来ました。HPによると「鉄炮組与力が射撃の研究に精魂を傾けておりましたが、なかなか思うに任せず、一夜煩悶のまま眠りに落ち入りましたところ、稲荷之大神が夢枕に立たれ霊符を示されました。翌朝不可解なまま社頭にお参りを済ませ、大矢場にて射撃を試みたところ百発百中、全て的中、見事な進境に驚いたとのことであります。これを目のあたりに見た旗本の士が競って霊符を受け射撃をしたところ、みな百発百中的中した」との言い伝えが広がり、願いごとをする参詣者が日増しに多くなりました。その流れの中から「皆中(みなあたる)の稲荷」と称えられるようになり、「皆中稲荷神社」と呼ばれるようになったそうです。

大きい熊手が目立っておりますが、こちらの熊手もかなり売れたのか殆ど残っておりませんでした。関係者の皆さんは焚火で暖を取っておりましたが、都内で久しぶりに焚火を見たような気がして、肌寒いこともあってか少しテンションが上がりました。

鉄砲組百人隊行列という案内を発見しました。徳川幕府は「鉄炮組百人隊」を現在の新宿区百人町に駐屯させていたそうです。そのことから町名も百人町と名づけられたそうです。その幕府鉄砲組百人隊が神社に奉納したと伝えられる出陣儀礼を復元した行事があるとのことを知り、是非次の機会に参加したいなと考えております。お祭り目当てに、こうやって街を歩きまわると色々な発見があって楽しいです。

いかがだったでしょうか。2020年は新型コロナの影響で、酉の市も入場制限や屋台の制限など制約を受けましたが無事三の酉まで終えることが出来たところが殆どだったのではないでしょうか。2021年は例年通りの酉の市が開催できるよう楽しみにしてます。

この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
東京を中心にお祭り巡りをしている、ちゃそっこです。町内のお祭りから建国記念パレードまで楽しそうなお祭りであれば、大体何処にでも出現します。悩みは夏祭りの予定かぶり。※2021年5月ライター契約終了。2021年6月~フリーライター

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