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三陸花火の挑戦 今も復興途中の陸前高田で行われる花火大会。関わる人々の思いとは

2022/12/9
2024/3/5
三陸花火の挑戦 今も復興途中の陸前高田で行われる花火大会。関わる人々の思いとは

2022年10月8日(土)、岩手県陸前高田市にて、三陸花火競技大会2022 ~未来を見る だから挑む~ が開催されました。

春のエンターテイメント性を高めた「三陸花火大会」と、競技を盛り込んだ秋の「三陸花火競技大会」を合わせ、三陸花火は今回で4回目の開催。毎回、趣向を変えた演出で、来場客を最大限に楽しませる魅惑のイベントです。

この三陸花火はコロナ禍の2020年に突如として現れた衝撃の花火大会として認知されていますが、その出で立ちまではあまり知られていません。今回の記事では、実行委員として活動する筆者が、関係者がどのような思いでこの大会を造っているかを徹底取材。人々の声と、2022年の三陸花火競技大会の様子をお届けします。

なぜ、陸前高田で三陸花火が生まれたのか?

三陸花火が行われる岩手県陸前高田市は、東日本大震災の大津波によって壊滅的な被害を受けた太平洋沿岸の町。実はこの町の復興と三陸花火には大きな関わりがあることをご存知でしょうか。

最初にお話を伺ったのは、大会の主軸を担う浅間実行委員長と 株式会社マルゴーの齊木社長。実はお二方共に、陸前高田との関わりのきっかけは地域外からの復興支援ボランティアとして携わったことです。

株式会社マルゴー代表取締役:齊木 智(さいき さとし)社長
2022年の「大曲の花火」にて「内閣総理大臣賞」(=総合優勝)を獲得。世界トップクラスの技術とセンスを誇り、花火業界をリードする存在の同社は、震災以降に会社一丸となって復興に携わった経緯を持ち、三陸地域と深い縁があります。

三陸花火競技大会実行委員長:浅間 勝洋(あさま かつひろ)さん
もともと神奈川県横浜市在住でしたが、震災後にボランティアとして精力的に震災復興に携わり、2019年に陸前高田市へ移住。2020年に「三陸花火」を新たに発足させ、地域の目玉コンテンツとして育て上げました。

震災と復興支援活動を経て三陸花火を発足させるまでの経緯や、抱く思いについて伺いました。

左:浅間勝洋実行委員長、右:齊木智社長

— お二方とも、三陸での復興支援ボランティアに長く携わったことが三陸花火の開催に繋がっていると伺いました。最初に三陸に関わったきっかけと、開催までの経緯を教えてください。

齊木社長:震災が起きた時にニュースを見聞きして、これは大変なことになったと思いましたね。最初は募金などを行ってたのですが、そのうち花火師として貢献できることはないかと考えるようになりました。

最初は家族で気仙沼の大島に行ったのですが、その話をマルゴーの社員にすると共感してくれて、「連れて行ってください」という人が次第に増え、会社を挙げて大島で鎮魂の花火を打ち上げることになりました。

打ち上げの際には、大島のみなさんに「ほうとう」を振舞いました。地元山梨の人々や企業も賛同してくれて、たくさんの野菜や麺を持って行きました。大島の方々は、ほうとうと花火で体も心も温まってくれましてね。帰りのフェリーをみんなで見送ってくれたのが嬉しくて、今でも覚えていますね。

気仙沼に足を運ぶうち、自然と陸前高田にも足を運ぶようになりました。奇跡の一本松などを見に立ち寄っていましたが、どんどん街が変わっていくんです。今は緑が広がっているけれど、震災当時はガレキと土で茶色の風景で……。そのうち復興計画が発表されて、だんだんと将来の青写真が見えてきて、「こんな場所で花火ができたらいいな」と思ったんです。

— 浅間さんはもともと神奈川県の方ですが、陸前高田に関わる最初のきっかけはなんだったのでしょうか。

浅間さん:やはり震災の様子を目の当たりにして「何かできることはないか」と思ったのが最初のきっかけですよね。当時の仕事がイベントプロデュースだったため、クリエイターとお仕事をしていたので、避難所を回ってプロのメイクアップアーティストによるメイク体験を行っていました。それを被災地域の400箇所くらいで続けましたね。

その後、陸前高田市の事業で交流人口の活性化施策などを請負ったりするようになり、三陸花火の話が出たのは2019年です。一緒に実行委員会でやっている佐藤(副実行委員長)が齊木社長とつながって、「一緒に花火やりましょう」という流れです。

三陸花火はコロナ禍の2020年に「みんなで夢を打ち上げよう」というコンセプトで始まりました。地域への交流人口を増やしたい思いでやっているので、その目的通りに進んでいると思います。多くの人が参加し、人が集まる活気のある町にしたい。定期的に開催することによって、全国から注目を浴びるきっかけになってもらいたいと思っています。

— 長く復興支援で関わり、かける思いも強い花火大会かと思います。三陸花火への思いをお聞かせください。

齊木社長:三陸花火には「花火師を含む若手が輝く場になり、花火業界を盛り上げるために様々な挑戦をする場になって欲しい。」という思いが込められています。挑戦をしている大会なので演出や花火の種類に対する挑戦を行う。まずウチはできるだけ新作を打ち上げるなどのチャレンジをしていく。

あとは色の濃さや明るさ、多彩な色彩を活用してウチが得意な色の変化や動きで、みなさまに思い出を作ってもらったり感動してもらえるよう、「今まで見たものをさらに超えるものを」という思いで作っています。

この花火を見て笑顔になったり元気になったり希望を持ったり、悩みがあってもリフレッシュして前向きになってほしい。「なんであんな小さいことで」と思うようなパワーや元気を、ワクワクするような楽しい気持ちをお届けしたいです。

浅間さん:挑戦という言葉が齊木さんから出てきましたが、マルゴーさんのモットーが「挑戦」ですし、僕たちもこの町が挑戦をしている震災からの復興で立ち上がっていくためにチャレンジをしています。この町の人々は3.11以降ずっと、誰もしたことのない挑戦を続けていて、それが地域の誇りです。

そこで僕たちも花火大会という挑戦をさせて頂き、さらに面白い花火大会にするためにいろんなことをさせてくれる。花火師さんも挑戦するし、花火競技大会も若手にとっての挑戦の場です。郷土芸能団体やステージに出る人も、実行委員会も含めてなんでもやりたいことをやるんです。このように挑戦するスピリットがある土地で、そのような人たちと一緒にやっているという感覚ですね。

— 挑戦が今も続いているという言葉がありましたが、過去に震災復興支援で携わった人々にもその姿を見てもらいたいですね

浅間さん:そうですね。3.11から始まった挑戦をボランティアの人たちがみんなで支えて今があるんだと思うんです。まだまだ挑戦しているからそこに乗っかって挑戦をしてくれる方も欲しいですが、今の陸前高田の姿を見にきてくれて「こうなったんだ」と思ってくれるだけでもいいし。もともとボランティアで関わってくれた人々は花火大会をきっかけにまた来て欲しいですね。

— 花火そのもの以外にはどのようなこだわりがあるのでしょうか

齊木社長:花火屋としては良い花火をあげたいという思いは当然だけど、ウチは「どうしたら継続に協力できるか」ということを考えています。それは三陸花火だけではく、他の地域も含めてそのような大会作りにつなげていきたいという思いからです。我々は花火を作って設置はできるけど、打ち上げられるようにしてくれるのは実行委員会。そういった感謝の気持ちでやらせていただいています。

そんな思いがあるので、「有料観覧席払ってでも来たい」と思って欲しいです。スポーツで言ったら、スタジアムで見て欲しいという感覚です。たくさんの方が来て有料観覧席を買っていただく事で花火大会は存続できますし、企業の協賛スポンサーがついてくれたり、サポート企業がついたりしてくれます。

花火を打ち上げさせてもらうだけだったらどんどん衰退していってしまいます。そんな思いがあるから限定のクラフトビールを作ったり、花火大会のために監修した唐揚げを食べてもらったりしていますし、花火大会ならではの、ここに足を運んだからこそ堪能できる楽しさを体感してもらいたいと思っています。

—齊木社長と浅間さん、お二方とも花火を軸に地域や人に良い影響を与えたいという考えを持っているのですね

浅間さん:そうですね、齊木さんと飲んでたりすると「どうすれば地域が盛り上がるか」という話になります。自分たちは興行だからもちろんですが、齊木さんも「お金を払って見に来てもらいたい」と言います。それはなぜかというと、良い花火大会を地域に残せないからなんです。地域の人々に負担をかけて花火大会をやっているようじゃ続けられないので、このような興行のような形で収益を得て地域に還元しようということを根本に持っていますね。

地域の思い ~みんなが楽しく集まる街へ~

地域外からの復興支援ボランティアとして携わり、三陸花火の中軸を担うお二人の思いを伺いました。一方で陸前高田の人々の目に、三陸花火はどのように映っているのでしょうか。続いてお話を伺ったのは三陸出身で実行委員として関わる方々です。

実行委員会副委員長 伊藤 雅人さん

実行委員会副委員長を務める伊藤 雅人(いとう まさと)さんは、もともと陸前高田在住で、震災後に「陸前高田市災害ボランティアセンター」の運営に携わり、2年間で12万人あまりのボランティアのコーディネートを行います。その後、訪れたボランティアと継続的な関わりを模索する中、2014年に「まるごと陸前高田」という企業研修や修学旅行のプログラムを作って提供する団体を立ち上げ、収益を地域の方々に還元しながら様々な活動を行なっています。

— 伊藤さんは三陸花火にはどのように関わっているのでしょうか

「まるごと陸前高田」という企業研修や修学旅行のプログラムを作って提供する団体を運営しています。特別協賛のサントリーさんは研修からの繋がりから縁があって、協力して頂けるようになりました。今回は陸前高田の農業テーマパーク「ワタミオーガニックランド」と一緒にキャンプサイトを作って、そこでアウトドア用品を防災に使う取り組みを行っています。「災害を学ぶ」だとテーマが基本的に重いし、学校行事などで無理やり聞かされると覚えにくいけど、もっとポジティブに「ついでに防災を学ぶ」という学びを得る機会を作りたくてそのような取り組みを行なっています。スノーピークさんや日産自動車さんとも一緒に企画をやっています。

— 三陸花火では企業さんと繋がって体験などを提供しながら収益に貢献しているという役割でしょうか。

そうですね、そのような役割です。加えて地元の漁師さんや女性会の方々と体験コンテンツを造成して地元に収益を落とすようなことも行なっています。

— 三陸花火の印象はいかがでしょうか。

この三陸花火がきっかけで、東京などに働きに行って、いままで一切帰ってこなかったような人が戻ってきている印象です。「三陸花火があるから陸前高田に帰ろう」という気持ちになっていて、生きる活力を得てまた東京などに帰っているように思います。そういう面で、収益や観光客の来場以外でも貢献している花火大会だと思っています。

— 12万人のボランティアのコーディネートをされたとのことですが、過去に陸前高田を訪れた方々への思いはありますか。

町を見てもらいたいという気持ちはありますが、特にポジティブな高田を見てもらいたいですね。人って単純で、楽しいとか面白そうとかポジティブな動機じゃないと、もういっぺん行きたいとかの原動力にならないと思うので、来て欲しいけど、その人たちが「楽しそう」「面白そう」と思うものを地域側がちゃんと作っていきたいですね。

その方々が「行きたい」と思えるようにしないといけないと思いますが、その点でいうと花火はいちばん分かりやすいですね。震災当時は地域もイベント疲れをしていましたが、今、三陸花火があることで「楽しそう」「面白そう」と思ってもらって、足を運んでもらえるものになれば、ポジティブな陸前高田や三陸を発信できると思います。

実行委員会副委員長 佐藤健さん

大船渡で治療院を経営する佐藤健(さとう けん)さんは、震災発生後に災害FMを立ち上げて被災者に対する情報提供を行い、2012年にはNPO法人絆プロジェクト三陸を立ち上げ代表を務めています。伊藤さんと同じく実行委員会副委員長として運営の中核を担う佐藤さんにお話を伺いました。

— 三陸花火の発足段階から深く関わられていると伺いましたが、きっかけは何だったのでしょう。

震災の年2011年に浅間(実行委員長)と知り合って様々なイベントを一緒にやるようになったのですが、「どうやって三陸を盛り上げようか」「何をして観光客に来てもらおうか」と考えている中、気仙沼のイベントを手伝ったことでマルゴーの齊木社長と知り合ったんです。その後、浅間と話をする中で「花火大会をやりたい」という話が出た時に「良い花火師さん知ってるよ」とお繋ぎしました。

— その後、回数を重ねての手応えはありますか?

もともと有料の花火大会がなかったので最初は懐疑的な声もあったのですが、4回やっていると地元の人もチケットを買ってくれるようになりました。市役所や町の人もどんどん協力的になってきてくれたのが印象的で、続けてよかったと思います。
来場者も1万人を超える規模になりました。連休中に行う日程設定にしているので、陸前高田に来るけど、次の日に大船渡や気仙沼に足を運んで楽しむなど、狙っていた観光誘致には貢献できているのではと思います。
各自治体や市民からさらなる要望の声が聞こえてきていますし、まだ完成ではないですが良い形になってきていると感じていますね。

— 多くの支えによって成り立つ花火大会ですが、協力してくれる方にはどのような思いがありますか。

本当に感謝しかないですね。三陸花火を同窓会のように「花火があるから集まれ」という感じになれば、携わってくれた方が一堂に会してまたそこで再会できるのも楽しみの一つかと思います。
三陸花火に合わせて仙台などから陸前高田に戻ってきて手伝う若い人もたくさんいて「地元でこんな大きいイベントがあるなら関わりたい。手伝いたい」と思ってくれています。準備や片付けは大変なことも多いですが、それでも「楽しい」とやっていただいていますね。

— 佐藤さんは主体的に震災復興に長く携わってきましたが、過去に来てくれた復興支援ボランティアに三陸花火を見に来てほしいという思いはありますか。

それはもちろんありますね。震災から最初の数年は「何かお手伝いを」という方が多かったですが、あれから11年経って、町もちょっとずつ前に進んでいる状態です。
もちろんまだ傷を癒せない方もいますが、「助けに来てください」「支援に来てください」いう時は過ぎていて、今は「あのときこうだった町がこうなったので、花火を見に来てください」という思いがすごくあります。

昨日も来場者の中には震災当時に来てくれた方々が見えていて「こんなんになったね!」って喜んでもらえました。そういう方々はまだまだいらっしゃるので、みなさんに来ていただいて「陸前高田で花火が打ち上がるようになったんだ」というのを知ってほしいし、楽しんでもらいたいですね。

運営ボランティアとして携わる人々の思いとは

陸前高田を愛する様々な人の手で成り立つ三陸花火ですが、運営ボランティアの存在も欠かせません。公式サイトなどを通じて広く募集される運営ボランティアは、総勢およそ60名。有料観覧エリアの場内と、保安区域の警備の業務にあたりました。どのような人々が、どのような思いで参加しているのでしょうか。今回は三陸花火競技大会の次の日に行われた清掃イベント「夢のカケラ拾い」に参加していた3人の方々の声を紹介します。

小林 卓さん(左)、中澤 陵さん(中)、島田知子さん(右)

小林 卓さん(左)は陸前高田とはゆかりがなかった、大分県からの移住者。
震災に関わる映像を見て「何かできることは」と思い2年前に移り住み、復興祈念公園で働いています。陸前高田に住んでいる人の心の復興を完了したいと語る小林さん、三陸花火については「この町の人々が笑顔になってもらうのが嬉しい」と地域の人々の心の面で与える影響とともに、観光面での期待も口にしていました。

中澤 陵さん(中)は、被災当時小学生で、現在は仙台へ進学しています。
仙台の専門学校から陸前高田に戻って三陸花火競技大会の運営に参加しています。他にも同じように陸前高田に戻って来て参加する人も多いそうです。陸前高田を代表するイベントに成長している実感があるとのこと。

島田知子さん(右)は、青森県八戸市から訪れ、2回目の参加です。
「三陸が元気になることに参加し、参加することで自分も元気になりたい」との思いがきっかけとのこと。三陸花火への思いを聞くと、「ぜひ来てほしい。この町に来て、繋がって、『また来てね』と言ってもらえることが嬉しい」とお話してくれました。

夢のカケラ拾い 参加者の皆さま

花火師、実行委員、運営ボランティア。様々な人がこの花火大会に関わっていますが、それぞれの言葉には「地域」や「人」に対する感謝と深い愛情が込められています。未曾有の震災から立ち上がり、今もチャレンジを続けるこの町が多くの共感を呼び、国内トップクラスの花火大会を作り上げているのではないでしょうか。

次のページでは、三陸花火競技大会当日の様子をご紹介します。

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