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高幡不動尊とは?御朱印にご本尊の文字が記される不動堂や大日堂などの堂宇

更新日:2021/10/5 obaq
高幡不動尊とは?御朱印にご本尊の文字が記される不動堂や大日堂などの堂宇

中央に不動明王、大日如来、弘法大師、昌福弁才天などが日替わりで記される高幡不動尊の御朱印

全国各地の神社や寺院では参詣の記念に御朱印を頂くことができます。朱印帳に訪れた神社や寺院の御朱印が並ぶと、貴重な思い出となり写真とは趣の異なる味わいが滲み出てくるものでしょう。東京都日野市に建立されている高幡不動尊では、多種類の御朱印が準備されています。ところが1日に頂ける御朱印は1種類を原則としているため、全てを集めるには数回訪れる必要があります。紙面の中央に不動明王、大日如来、弘法大師、昌福弁才天など、参拝日によって異なる堂宇のご本尊の文字が記されるのです。不動明王の御朱印には、右に弘法大師御作の文字の他、多摩新四國第八十八番の印、蓮華座に不動明王の火炎宝珠印が押されます。

高幡不動尊の不動明王の御朱印

高幡不動尊で御朱印を頂けるのは、境内中央の山門の北に建つ納経所です。納経所では御朱印ばかりでなく、オリジナルの御朱印帳が準備されています。

高幡不動尊の山門

山門前の納経所の案内

納経所

不動堂と五重塔の外観に紫陽花と桜の花がデザインされた御朱印帳

鳴り龍がデザインされた御朱印帳

御朱印の他にも、不動堂の北の宝輪閣にはお守りやお札など多種多様の授与品が準備されています。

不動堂の北に建つ宝輪閣

宝輪閣

宝輪閣内

お守り

お守り

お守り

お守り

新選組ストラップつきのお守り

お札

平安時代初期の9世紀半ばに建立された関東三大不動

高幡不動尊は真言宗智山派の別格本山の寺院で、正式名は高幡山明王院金剛寺です。関東三大不動の一つに数えられています。草創は古文書によれば大宝年間以前とも奈良時代の行基菩薩の開基とも伝えられますが、平安時代の初期の9世紀半ばに、清和天皇の勅願によって慈覚大師円仁が不動堂を建立し、不動明王をご安置したことに始まるとされています。入母屋造り、茅葺形銅板葺の不動堂では毎日、数回のお護摩ご修行が行われています。

高幡不動尊の不動堂

不動堂の参拝所

不動堂でのお護摩ご修行

境内に建ち並ぶ数々の堂宇

不動堂の東で高幡不動尊の玄関の役割を果たしているのが仁王門です。三間一戸の楼門の両側では、金剛力士像が室町時代から参拝者を出迎え続けています。仁王門を潜ると正面の不動堂ともに五重塔がバランス感覚溢れる風景を作っています。

高幡不動尊の境内図

仁王門

仁王門

仁王門の両側の金剛力士像

仁王門の両側の金剛力士像

不動堂に並び建つ五重塔

不動堂の西に建立されている奥殿では、重要文化財の丈六不動三尊も安置されています。総重量1100キロを超える巨像です。奥殿のさらに西には高幡山の総本堂の大日堂が建立されています。入母屋造り、本瓦葺、内陣総漆仕上げの堂宇には鳴り龍の天井画が描かれ、江戸時代の幕末に活躍した新選組の土方歳三の位牌が納められています。土方歳三は1834年に日野市に産まれたため、不動堂の南には銅像が設置されています。

奥殿

奥殿内の丈六不動三尊

大日堂

大日堂

土方歳三の銅像

一年を通して季節の彩りで包まれる山内八十八ケ所巡礼路

高幡不動尊の境内には数々の堂宇が建ち並んでいますが、南の小高い丘には山内八十八ケ所巡礼路が設けられています。豊かな自然に満ち溢れる巡拝コースは、6月にはアジサイ、9月には曼殊沙華が季節の彩りで包まれます。

山内八十八ケ所巡礼路の入口

山内八十八ケ所巡礼路65番札所前に広がる曼殊沙華畑

山内八十八ケ所巡礼路の曼殊沙華畑

山内八十八ケ所巡礼路の曼殊沙華畑

東京都日野市の高幡不動尊では、多種類の御朱印が準備されています。境内に建立されている堂宇のご本尊の文字が記される御朱印を日替わりで頂くことができます。玄関の役割を担う仁王門では、室町時代から変わらぬ表情の金剛力士像が参拝者を出迎えてくれます。不動堂では毎日お護摩ご修行が行われ、境内南の山内八十八ケ所巡礼路は一年を通して季節の彩りで包まれます。

この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
2010年より旅行系のフリーライターとして各種メディアで記事の執筆を行っております。「おまつり」には各々の地域の歴史や伝統、文化が凝縮しています。関東地方で開催されている「おまつり」を中心に、その魅力を紹介して参ります。

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