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「男鹿島“復活”盆踊り」レポート

「男鹿島“復活”盆踊り」レポート

皆さん「男鹿(たんが)島」という島をご存じですか?
瀬戸内海の東部、家島諸島に位置する男鹿島は、姫路港からフェリーに乗って約30分。海水浴や釣りなどのレジャーが楽しめます。かつては採石業で栄えたこの島には、最盛期には数百人が住み、小学校もあったそうですが、現在の島民は約40名。採石業社もかつての10数社から2社に減り、採石業の衰退と共に過疎化と高齢化が深刻に進む島です。また、バブルの頃には、海水浴や釣りを目的にたくさんの観光客が訪れていたそうですが、今はその数もどんどんと減っています。
この島を盛り上げるために、島外から集まった若者による「男鹿島うみのいえプロジェクトチーム」が、「男鹿島“復活”盆踊り」を開催しました。クラウドファンディングにより資金を集め、2017年、2018年と悪天候により中止になった企画が、今年2019年8月31日、お天気に恵まれてようやく開催に至りました。
この記事では主催者や島民の方から伺ったお話織り交ぜながら、「男鹿島“復活”盆踊り」をレポートします!

「男鹿島“復活”盆踊り」とは?

開催のきっかけ

「男鹿島うみのいえプロジェクトチーム」は、2015年、男鹿島で空き家になった元民宿を譲り受けたのをきっかけに発足しました。メンバーのほとんどが、普段は隣島の家島や大阪、神戸で会社員や自営業をしていますが、海水浴シーズンの週末に男鹿島に集まり、「男鹿島うみのいえ」として会員制ゲストハウスやカフェを運営しながら、男鹿島の地域活性化や島民の方々との交流を目指して活動しています。

「男鹿島うみのいえプロジェクトチーム」メンバーの一人上月さんに、盆踊りを企画したきっかけについて伺いました。

上月さん・・・「民宿を譲り受けた当初、元家主の方の持ち物を整理していると、「男鹿島青年団」「盆踊り」と書かれた手拭いが出てきました。島民の方々に盆踊りのことを聞くと、皆さん楽しそうに当時のことを話して下さって。島が賑やかだった頃の話を聞くのにとても良いトピックでしたし、何よりも、娯楽の少ない島で、皆さんが盆踊りを楽しみにしていたことがわかりました。じゃあ、島の方々がそんなに懐かしむ盆踊りを復活させよう!ということになったんです。」

私も当日島民の方々のお話を伺いましたが、当時の盆踊り大会には子供から大人まで多くの島民が集まったこと、とても大きな櫓が建ったことを懐かしそうにお話下さり、島が賑やかだった頃の象徴として、盆踊りを思い出されている印象を受けました。

盆踊りを復活させるべく立ち上がった上月さん達は、まずクラウドファンディングを始めます。寄付者にはオリジナルTシャツやオリジナル手ぬぐい、「男鹿島うみのいえ」の宿泊券、男鹿島の鮮魚便などのリターンがあり、資金を集めました。
男鹿島に来てもらうための宿泊券や、男鹿島のおいしい魚を活かしたクラウドファンディングは、島へ来るきっかけを作ったり、実際に訪問出来なくても島への関心を高め、島との繋がりを感じさせるもので、島を盛り上げる一つの取り組みになっていると感じました。
(瀬戸内の海で取れる男鹿島の魚は本当においしい!!私も、見たことも食べたこともない豪華でおいしい魚の舟盛りを頂きました。)

 

手作りの盆踊り

島の人たちの記憶を辿ると、約30年前までは盆踊りが開催されていたようですが、当時の盆踊りを記録する文書や写真がなく、島の皆さんの記憶も曖昧で、どんな踊りが踊られていたのかなど、詳しいことは定かにはならなかったとのこと。当日は、家島の盆踊りで踊られる音頭や民謡が踊られました。
開催日当日、フェリーで男鹿島に降り立つと、フェリー乗り場すぐ横の「たての浜海水浴場」では既に盆踊り大会の準備が始まっていました。
プロジェクトメンバーやその友人達が大阪や奈良から駆けつけ、櫓や提灯、コンサート用のステージの設営、砂浜の掃除など、一から盆踊り会場を作り上げていきます。櫓の組み立てなど、初めてのことに苦労されたようですが、2年越しの盆踊り大会開催を前に、関係者の熱が高まっているのが感じられました。

海に沈む美しい夕日を背負って、歌う、踊る

17時スタートの盆踊り大会に合わせて、男鹿島はもちろん、隣の家島をはじめ、関西や関東から約60名がぞくぞくと集まりました。
当日のプログラムは、島民カラオケ大会、島ライブ、そして盆踊り。
まずは、島民カラオケ大会がスタートし、島のおっちゃん、おばちゃん達が会場を盛り上げました。
続いて、大阪在住の増田たかこさんのライブ、家島在住の関谷福蔵さんのライブです。島民カラオケ大会の演歌からは一変、増田さんのテンポの良い曲で、島民、島外からの訪問者たち、集まったみんなで音楽を楽しみます。関谷さんは、島への思いを、美しい夕日を背景に歌い上げました。
ライブ後、いよいよ盆踊りがスタート。家島の盆踊りで踊られる「家島音頭」「炭坑節」「東京囃子」「やっとこまかせ」の曲が順番に掛かり、砂浜に建てた櫓の周りを、集まった老若男女が輪になって踊りました。

「やっとこまかせ」

特に印象深かったのは、家島に古くから伝わる踊り「やっとこまかせ」。
地元の方が披露して下さった生唄と生太鼓に合わせて踊りました。
家島の方に伺うと、家島では全員参加で盆踊りを踊り、地元民なら子供から大人まで「やっとこまかせ」を踊れるそうです。宮地区と真浦地区で踊りが違い、宮地区ではタスキを肩に掛けるような振り付け、真浦地区ではハチマキを頭に巻くような振り付けとなっており、地元の方が見れば、踊り方で生まれた地区がわかるということです。
この「やっとこまかせ」が、とっても難しい。家島のお母さま方に手取り足取り教えて頂きましたが、短時間での習得は中々難しいものでした。

盆踊りは、夕日が沈み出した頃にスタートし、フィナーレを迎える頃にはあたりは暗くなっていました。
夕焼けの砂浜に立つ櫓と提灯はとても美しく、島の盆踊りだからこそ見られる光景に感動です。また、日が沈んだ後は、盆踊りの輪を提灯のあかりだけが照らし、この風景も都会の盆踊りとはまた違う美しさで、しみじみと心に残っています。

 

盆踊りの輪から生まれる島との出会い

男鹿島の方々は、ご高齢だということもあって参加人数こそ少なかったですが、踊りを見に来られていた方は、「バブルがはじけた後、島の学校が無くなり、出ていく人も多くなったので盆踊りが無くなってしまった。今日は賑やかで嬉しい」と話されていました。

また、閉会の際にプロジェクトメンバーのお一人が話されていたことが印象的です。
「盆踊りの準備は、島外から『島がおもしろい!』と思って来てくれた人に手伝ってもらった。そうやって、島外から来た我々がおもしろいと思ったことを、島内から来て盛り上げたり楽しんで貰えたりしてとても嬉しい。」

まさに、島内外の人々が協力しあって、みんな一緒になって楽しむことで完成した盆踊りでした。

私にとっても、島の美しさはもちろんですが、島民の方々との交流は大変印象的です。櫓を周りながら、私の踊る「炭坑節」と島の方が踊る「炭坑節」の違いについて話したり、「やっとこまかせ」の踊り方を教えてもらったり、盆踊り大会への思いを伺ったり・・・。櫓を囲った輪から生まれるコミュニケーションは、やはり、盆踊りの醍醐味だと実感した一日でした。

お天気に二度も裏切られたこの「男鹿島“復活”盆踊り」ですが、今年はお天気にも人の温かさにも恵まれた、素敵な盆踊り大会でした。
来年以降の開催は未定のようですが、素敵な夕日、おいしいお魚、人の温かさが待っている男鹿島に、皆さんも是非遊びに行ってみてください。

男鹿島へのアクセス

◆姫路港から男鹿港行のフェリーで30分

◆大阪からの場合

大阪駅から姫路駅までJRで60分。姫路駅から神姫バスに乗り、約30分で姫路港に着きます。

参考:
「男鹿島“復活”盆踊り2019」 http://tanga-bon-dance.mystrikingly.com/

当日の写真も掲載されていますので、ぜひご覧ください。

この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
こんにちは。
盆踊りが好きで、「毎日どこかがダンスホール」というひとりプロジェクトをやっています。
(ただ、盆踊りに行って踊るというだけのプロジェクトです。)

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