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西宮神社の「福男選び」はいつ・何のために始まった?その歴史に多大な影響を与えたものとは

西宮神社の「福男選び」はいつ・何のために始まった?その歴史に多大な影響を与えたものとは

福男選びの始まりと歩んだ歴史

出典:にしのみやデジタルアーカイブ(https://archives.nishi.or.jp/04_entry.php?mkey=1731)

福男選びの起源は、言うに及ばず、人々のえびす様への信仰心です。しかし、レースとして新年のイベントにもなっているのは興味深いポイント。福男選びの始まりはどのようなものだったのでしょうか?ここからは、荒川先生のお話を中心に、都市の発展・歴史とともに変遷してきた福男選びの実態を紹介します。


荒川 裕紀(あらかわ ひろのり)准教授
1977年大阪生まれ。甲南大学文学部卒業、甲南大学大学院人文科学研究科修士課程修了、大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専門は文化人類学。北九州工業高等専門学校准教授などを経て、明石工業高等専門学校准教授を務める。西宮神社開門神事講社の理事として、安心安全な福男選び神事の運営に心血を注ぐ。

出典:にしのみやデジタルアーカイブ(https://archives.nishi.or.jp/04_entry.php?mkey=1724)

「福男選びは、近現代の人々の生活様式の変化によって生み出されたと考えています」と話す荒川先生。これはいったいどういうことでしょうか?

荒川先生:古くから、西宮には「居籠もり」の習慣がありました。忌籠とも呼ばれるこの習慣は、「えびす様が市中を見て回られるから、外に出てはならない」といった由来や、「身を清め、十日戎に参詣するための精神的準備」といった意味があるといわれています。

つまり、西宮神社の氏子は、9日朝から夜中にかけて家に閉じこもらなければならなかったんですね。居籠もりの時間が終わると、みんな一斉に家を飛び出して、喜び勇んでお参りに行く。それが「走り参り」の起源だといわれています。「居籠もり」の習慣は室町時代頃からありましたが、明治になると西宮神社の境内だけで行われるようになったそうです。

出典:にしのみやデジタルアーカイブ(https://archives.nishi.or.jp/04_entry.php?mkey=1730)

このように、西宮神社の十日戎は、いわば「地元ナイズ」されており、当時十日戎のメインであった大阪の今宮戎神社や神戸の柳原蛭子神社とは一線を画していました。明治の改暦(旧暦→新暦)を経て、今宮戎神社や柳原蛭子神社が新暦で十日戎を行うようになったのに対し、西宮神社では旧暦で行っていたことも、棲み分けの要因になったようです。

大正14年4月1日、西宮市制施行日に西宮神社周辺に詰めかけた人々/出典:にしのみやデジタルアーカイブ(https://archives.nishi.or.jp/04_entry.php?mkey=28032)

西宮神社はえびす宮総本社として名高かったため、江戸期より多数の参拝客が訪れていました。そのため、1893年(明治 26年)には官鉄(現 JR)が臨時汽車を出し、多数の乗客を西宮へ運んでいたそうです。このころから、徐々に「新暦の十日戎は今宮と柳原に、旧暦の十日戎は西宮に」という文化が定着していきました。

そんな1905年(明治38年)、インターアーバンとしての発展を続ける阪神電気鉄道が、大阪(出入橋駅)と神戸(三宮駅) 間で運行を開始します。中間に位置する西宮にアクセスしやすくなったということですね。こうして、西宮神社は街からやってきた人々でさらに賑わうようになりました。

阪神電鉄が大正4年に発行した沿線ライフのための月刊誌「郊外生活」の表紙/出典:にしのみやデジタルアーカイブ(https://archives.nishi.or.jp/04_entry.php?mkey=13457)

ところが、西宮神社には大事な「忌籠(いごもり)」の習慣があります。その頃には十日戎期間限定の24時間運行が始まっていたので、夜中にかけてどんどん人が集まってきます。駅から神社までの参道は阪神電鉄による発電によって電気が通り、明るく賑やかです。それなのに、境内には入れないという状態でした。「いつ開くんや!」「明け方まで開かないらしいで!」といった会話がされていたことでしょうね。

それで、待ちに待った人々が、「忌籠」明けの開門と同時にワーッとなだれこんだんです。それが競走に発展し、福男選びの原型になったようです。イベントとして定着したのはもう少し後ですが、福男選びは、近現代の都市化や文明化、いろんな要因が重なって生まれた近現代的な行事なんですね。

福男への想いと意味に「時代」が反映される

出典:にしのみやデジタルアーカイブ(https://archives.nishi.or.jp/04_entry.php?mkey=1715)

西宮神社で公式に福男を認定したのは昭和15年といわれていますが、福男選びの原型はもっと古くから実施されていたんですね。それでは、福男はどのように誕生したのでしょうか?

荒川先生:福男競走(当時は一番参り・一番鈴などと呼称)は大正時代から新聞などにも取り上げられており、恒例行事として認知されていたようです。当時の有名な福男に田中太一さんという方がいて、なんと通算18回も福男になりました。この方は足が速いのはもちろんですが、非常に信心深く、お参りや参道の掃除を欠かさなかったそうなので、そういった「信心深さ」も評価されていたのではないかと思います。

昭和15年8月15日開催「撃英市民大会」の様子/出典:にしのみやデジタルアーカイブ(https://archives.nishi.or.jp/04_entry.php?mkey=14370)

一方で、福男に込められた想いには、時代の変化が大きく反映されていきます。戦時色が強まっていた時代ですから、「敵陣地に一番乗りする」という意味も含まれるようになりました。当時の新聞には次のようなエピソードが紹介されています。

上述の田中太一さんは、昭和14年、一番福の座を同僚の多司馬兄弟に明け渡します。多司馬兄が昭和14年日中戦争に出征した翌年、多司馬弟は見事一番福を勝ち取りました。このとき、兄が戦地から送った「輝かしい興亜新春の一番乗りはきっとお前ががんばってくれ」と書かれた手紙を懐に忍ばせ、敵陣で戦う兄のように頑張ろうという想いを込めていました。

この軍国兄弟の奮戦を祝い、神社側は彼を一番福として認定し、武運長久を祈る目的で特別なお守りを授けました。福男の認定やお祝いはこの時から始まったんですね。戦時下のメディア戦略やプロパガンダが、今日の福男選びをつくったというのは面白いですよね。

現代の福男とはどのような存在?

「福男」と聞くと、福男本人が幸せになるように感じますが、「福を分け与える存在」でもあると聞きます。福男はどのような存在であり、役割があるのでしょうか?

荒川先生:確かに、福男選びをレースだと思っている人や一番になることを目的にしている人もいますね。ただ、やはり根底にはえびす様への信仰心というのがあります。神事としての福男選びが定着したきっかけには、次のようなエピソードがあります。

昭和50年頃、兵庫県北部にある香住漁港の香住水産加工業協同組合の人達が、熱心にえびす様にお参りしていました。えびす様は漁業の神様でもありますから、水産業関係者はとても大切に扱います。この人たちは新年に早朝から昇殿参拝を行うほど信仰心が篤かったといいます。その組合のなかに、えびす様に一番にお会いしたいという想いが高じて福男選びにも参加した西上喜代松さんという方がいて、昭和54・55年に2年連続の福男になりました。

西上さんは次の年も福男選びに参加しようとしたのですが、父親から「一つ目にいただいた福は漁協に分け与える福、2つ目は家族に分け与える福だ。お前は地域と家庭のためにすでに福を分け与えている。3つ目の福をもらってどうするんだ。福の本義は分け与えることじゃないか」と諭されたそうです。

こういった話が伝わり、ただのレースになりそうだった福男選びに、「神事」としての意味合いや、えびす様の福を分け与えるという福男の役割などが定着していったようです。

えびす様は受け入れ、受け入れられる神

えびす様は古くから日本全国で信仰されている神様です。商売繁盛の神や漁業の神など、さまざまな顔を持つえびす様とは、どのような存在なのでしょうか?

荒川先生:えびす様はとても庶民的な神様ですね。水死体やクジラが浜に打ち上げられることを「えびすがあがる」と呼ぶことがありますが、水死体には魚がくっついてきますし、クジラの肉は貴重な食料になりました。こういった「福」をもたらす存在として祀っているうちに、イザナギ、イザナミの子で、海に流されてしまった蛭子命(ひるこのみこと)の神話と合体していったのではないかと考えています。

えびす様の「戎」は、外国や異界のものを表す漢字です。自分たちの知らない外の世界のものを「福」として受け入れ、大事にする文化の象徴だと思います。だから、えびす様って、どんなところにもマッチするし、いろんなところに入っていきやすい神様なんですね。

ヱビスビールで有名なサッポロビール株式会社が恵比寿ガーデンプレイスにてお祀りしているえびす様は、東京に工場を建てた際に西宮神社から勧請してお祀りしたものですから「企業の中に入っていった」神様でもありますね。お分かりの通り、現在この一帯は、「恵比寿」と呼ばれるようになり、山手線の駅名にもなっていきました。

阪神淡路大震災の頃には、福の神を「復興の神」とあやかって、福男選びに復興の想いが込められました。さまざまな信仰の対象になったり、若者を熱くさせるレースでは福男を選ぶ役割を担ったり、とても都合が良い神様なんです。

えびす様はなんでも受け入れるし、どこにでも受け入れられる。そしてどこかで私たちに良いことをしてくれる。そんな存在だと思います。

あらゆる変化とともに福男選びは次の時代へ

伝統と現代化、信仰と実利、一見相反するようで、私たちの文化のなかに欠かせないものたちをうまくすり合わせ共存させる存在、えびす様。人々の生活の変化とともに姿や意味を変えてきた福男選び神事は、実にえびす様らしい神事だったということですね。

2021年、2022年はコロナ禍の影響で、福男選びは行われませんでしたが、2023年は3年ぶりに福男選びが開催されます。熱い想いと信仰の心、すべてが共存する福男選びに注目です。

【参考文献】
西宮神社十日戎の福男はいかにして生まれたか―初代福男のライフヒストリーから― 荒川 裕紀

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この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
人々の心を熱くさせるオマツリは、その地域の歴史や文化を知るための入り口!一味違った角度からオマツリの魅力を紹介します!

普段は金融・経済系の記事ばかり書いてますが、マツログで魂を解放させていただいています。

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