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男鹿のナマハゲの未来 重要なのは人と人との関わり 祭り留学・第4回 なまはげ柴灯まつり直前ツアーをレポート! 

2022/2/8
2024/2/29
男鹿のナマハゲの未来 重要なのは人と人との関わり 祭り留学・第4回 なまはげ柴灯まつり直前ツアーをレポート! 

JR東日本とオマツリジャパンが推進し、オンラインを活用して地方との関係を生み出す新しい交流方式・祭り留学の第4回が、男鹿市観光協会DMO推進室の主催で1月14日(金)に行われました。

今回のテーマは、男鹿市の伝統文化・男鹿のナマハゲの承継について。男鹿のナマハゲは、他地域の伝統文化と同様に継承に関して様々な課題があります。しかしそんななかでも、男鹿市には「伝統文化である男鹿のナマハゲを、未来に伝えていこう!」と活動する若い方々がいらっしゃるのです。

今回は男鹿のナマハゲの承継、そして未来について、

元地域おこし協力隊で、羽立駅前地区のお面作りにも携わった大谷さん

田谷沢地区のナマハゲ会会長であり、同地区の男鹿のナマハゲ行事復活にも携わった板橋さん

男鹿市役所観光課に勤めナマハゲを担いながら、なまはげ柴灯まつりの運営にも関わる伊藤さん

と、異なる経歴をお持ちの3名の方にご意見を伺っていきます。

『おらほのなまはげ』 人々のつながりが作る、ナマハゲの文化―――大谷さん

まずお話を伺っていくのは元地域おこし協力隊で、羽立駅前地区のお面作りにも携わった大谷さん。現在は男鹿市に移住もされている大谷さんは、いったいどんな経緯で秋田県、そして男鹿の魅力に魅せられたのでしょう?

「誤解を恐れずに言うと、最初はあるきっかけがあって秋田県を好きになり『地域おこし協力隊になりたい』と考えるようになったんです」

そこから秋田のさまざまな方に自身の想いを伝えていくようになったそう。そして男鹿市の安全寺地区の方とご縁がつながり、地域おこし協力隊になったのだと話してくれました。

お話を終えた大谷さんが見せてくれたのは金色のなまはげ面。どこか可愛さを感じるこのなまはげ面は、大谷さんが地区の方に許可を得て作ったものだといいます。「いろいろな方にナマハゲを知ってもらいたい、という想いから、地域外に持ち出すため、製作しました」と大谷さん。

こちらのお面は男鹿市のご当地マラソン・メロンマラソンや秋田駅などで活躍しているそうです。地域おこし協力隊で大谷さんは、このなまはげ面などを通して、男鹿に興味を持ってもらうように活動してきたと話してくれました。

ちなみのこの日大谷さんが着用されていた、可愛いナマハゲが描かれているパーカーは、なんと大谷さん自身がデザインしたもの。美術学校で得たスキルを活かし、少しでも男鹿地域の方の役に立ちたいと製作したといいます。「製作にあたっては、描かれている全ての地区の面所有者の方に許可を得ています。まだまだ未熟ですけど、持っているスキルを地域に還元できたら嬉しいですね。頑張っていきたいです」と語ってくれました。

男鹿、そして男鹿のナマハゲの魅力を伺うと

「山や海をはじめとした自然が豊かで、男鹿のナマハゲに関わる人をはじめとして、人と人との間にとても温かい空気が流れている場所だと感じます」

と教えてくれました。

そんな大谷さんが携わった、羽立駅前地区のお面作り。地域おこし協力隊として活動している際に「男鹿のナマハゲで頑張っている人がいるらしい」と噂を聞きつけた羽立駅前地区の方が声をかけてくださったのがきっかけだったといいます。

当時、羽立駅前地区の方はナマハゲ面の新調を考えており、一緒に作ってくれる人を探していました。大谷さんは「これ以上に嬉しいことはない」と快諾。製作が始まったのです。

地域の方々と関わり合いながらデザインを決め、進んでいくナマハゲ面作り。

「女性である私が携わってもいいのか?という不安もありましたが、羽田駅前地区の方は快く受け入れてくれました。地域の方々とのつながり、温かさを強く感じましたね」

ツアーでは実際に作ったお面の写真も見せていただきました。四角く大きな、それでいてどこか愛嬌のあるお面。普段はなまはげ館の展示してあるといいます。

「顔につけて長時間使用するという特性上、軽さを意識し、断熱材を使用しているんです」と製作のこだわりを話してくれた大谷さん。「ただ地域の方が張り切って分けてくれた鹿のツノをつけたら、結果的に重くなってしまいました(笑)」とのこと。羽田駅前地区の方々の温かみが感じられるエピソードですね。大谷さんはこのお面を通してさまざまな人へ、男鹿に興味を持ってもらえるうように活動してきたそうです。

実は大谷さんは、男鹿地域の除雪の仕事をなさっている方でもあります。ここでお時間となったため、最後に紙芝居を取り出してコメントをしてくれました。

「男鹿の方々にとってナマハゲは、それぞれの思い出や心の拠り所となっているアイデンティティといえる存在です。ナマハゲの話をする際、男鹿の人々はみんな『おらほのナマハゲはな……』とキラキラした顔で話してくれます。

私はそんなナマハゲに関わる人、男鹿の人を大切にしたい。

一般的に、ナマハゲになることだけがナマハゲだと思われていますが、それは違います。ナマハゲを受け入れたり、付き添いをしたり、好きなお面を推したり、好きな地域を見つけたり。男鹿のナマハゲは決して一人だけでできるものではなく、さまざまな関わり方をする人がいて、はじめて成り立つ文化なんです。男鹿以外の地域の住んでいる方も自分の好きなナマハゲ、地域、男鹿の人を見つけて欲しいと思います。

男鹿の人々にとって『おらほのナマハゲ』はとっても大切な存在。主催のオマツリジャパンさん、男鹿市DMOさんはじめ、観光として発信する際は、きちんと正しい情報を発信してほしいと思います。

男鹿の方々が話す、ナマハゲがナマハゲです。金や銀、四角など、どんな形であれ、男鹿の方々の心の中にあるナマハゲがナマハゲだと思っています」

そして最後には、大谷さんの画面の後ろに映っていたナマハゲ面のペーパークラフトも紹介してくださりました。こちらにダウンロードリンクを貼り付けておきますので、興味のある方はぜひ、つくってみてくださいね!

なもみをはぐショップ

https://nmmhg.booth.pm/

地域の方々の協力を経て、30年ぶりにナマハゲ行事を復活―――板橋さん 

続いてお話を伺っていくのは、田谷沢地区のナマハゲ会会長であり、同地区の男鹿のナマハゲ行事復活にも携わった板橋さん。

板橋さんによると、2021年はコロナウイルスの影響もあり、65の地域で男鹿のナマハゲ行事が行われたとのことです。2020年のナマハゲ行事は35地域での実施にとどまっていたことを踏まえると、ナマハゲ行事に向けて地域の方々がさまざまな工夫を施したことが伺えますね。

昨年の大晦日の田谷沢地区におけるスケジュールは、15時あたりから、担い手が集まり道具を確認。16時には衣装を着用し、16時30分には神社へ参拝に向かったそう。その後、儀式を終えた後、17時半から地区の家々を訪ねて回る、というものだったと、板橋さんは話してくれました。

板橋さんによると、2021年、田谷沢地区ではお面を新調したとのこと。一昨年までのお面は鬼のような風貌のお面でした。一方、新しいお面は60年前に使われていたものを参考に製作した、巨大なお面として完成。ベースの素材には農業などで用いるザルが使われているとのことで、より生活に密着したお面となったことがわかります。

古い田谷沢地区のお面

「ナマハゲ行事の際は受け入れてくれるお家があってこその行事です。お家に迷惑をかけないため、とにかくお酒に飲まれないようにと、参加者へ呼びかけています」と話す板橋さん。

多くの方が参加するようになった田谷沢地区のナマハゲ行事ですが、一時期は途絶えてしまった時期がありました。そしてそれを復活させたのが、当時35歳だった板橋さんなのです。

「私はとにかく怖がりで、小学生のころはナマハゲが来るたびに隠れていました。ただその一方で『いつかは自分もやるようになるんだ』と感じてもいましたね。

ところが中学校1年生のころに、祖父が亡くなられた後から、なぜかナマハゲが来なくなったのです。身内に不幸があった家にナマハゲは来ないので、最初の年は理解できたのですが、その後も来ないのはおかしい。そう思い大人に尋ねたところ、ナマハゲ行事を続けられなくなり途絶えてしまったことを知りました。」と板橋さんは、当時を振り返りながら話してくれました。

新しい田谷沢地区のお面

その後も、ナマハゲをやりたいという気持ちを抱えていた板橋さん。31歳のとき、地域の消防団に所属したのをきっかけに、ナマハゲ行事復活に動き出します。

「私が所属した消防団は、途絶えてしまうまでナマハゲ行事の中心を担っていたんです。そこで『ナマハゲ行事、またやりませんか?』とお願いし続けました。そして35歳の頃、同じように行事の復活を願う仲間ができたことをきっかけに想いがつながり、地域の方々に協力していただきながら、2015年、23年ぶりにナマハゲ行事が復活させることができたんです。」

復活させた際は、経験も知識もない状態。お面の補修や衣装・ケデを編むなど準備に大きな苦労があったといいます。特にケデはなかなか難しく、町内の先輩方に指導をしてもらいながら、3年ほどかけてやっと編めるようになったそう。

「消防団の先輩など、一度途絶えてしまう前にナマハゲを担っていた方からは、協力をもらいながら『次、途絶えてしまったら、復活は難しい』というアドバイスをいただいており、毎年頑張っています」

板橋さんが復活させた田谷沢のナマハゲ行事は、大きく注目されており、さまざまなメディアから取材から取材をうけてきたそうです。

https://youtu.be/lxAZhf22ASM?t=820

12月に町内に回覧板を回すことで、自然と集まってくるナマハゲの担い手の方々。年末の時期、地域の外から帰ってくる若者などが参加してくれているといいます。

ナマハゲとなまはげ、2つの側面から文化を担う想い―――伊藤さん

さて、次にお話を伺っていくのは、男鹿市役所観光課に勤め、ナマハゲを担い、そして2月に行われる“なまはげ柴灯まつり”の実行委員会でもある伊藤さん。

伝統文化・男鹿のナマハゲは、観光で用いられる場合、ひらがなで表記されます。

伊藤さんが実行員会を務める“なまはげ柴灯祭り”は、毎年2月の第2土曜日を含む、金・土・日の3日間で開催される、平仮名のなまはげのお祭り。900年以上の歴史を誇る神事・柴灯祭(せどまつり)をベースに、なまはげを掛け合わせることで誕生しました。今年は昨年同様、コロナウイルスの対策をした上で、実施される予定です。

ツアーのこの日、伊藤さんはまさに“なまはげ柴灯まつり”の準備に奔走している最中。この日も、会場である真山神社の方やその地区の方々と打ち合わせをしてきたばかりだと話してくれました。

伊藤さんに、なまはげ柴灯まつりの見どころを伺うと

「なまはげ太鼓や、なまはげ踊りも魅力的ですが、一番の見どころは、なまはげが山から降りてくる場面でしょうか?15体のなまはげが松明を持ちながら練り歩く様は迫力満点です。降りしきる雪の中、夜の闇にうかぶ松明の明かりに照らされたなまはげからは、勇壮さと怖さ、2つの魅力が感じられます。参加者の方にとっても、一番近くになまはげを感じられるとことなので、盛り上がると思いますよ。」

と教えてくれました。

今では男鹿のナマハゲ、そして、なまはげに深く関わっている伊藤さんですが、関わり出したのは約2年前のことだったといいます。もともと秋田出身でしたが、県外へ出ており、「秋田に帰りたいな」思ったのをきっかけに、20年ぶりに帰ってきたそう。そこから、縁がつながり男鹿市役所で働くこととなったのです。

昨年の大晦日、伊藤さんの住まれている金川台地区では、コロナウイルスの流行状況を踏まえ、ナマハゲ行事は家に上がらず、玄関で行う形にして実施。さらに伊藤さんは、男鹿市役所で行うなまはげ行事でもなまはげを担っていたそう。ほぼ1日中、ナマハゲ(なまはげ)に関わっていたということになりますね……まさにナマハゲ(なまはげ)三昧!

金川台地区は男鹿市内において新興住宅地であったため、伊藤さんは移住してきた年からナマハゲになれたのだそう。ナマハゲになるにあたっては、歳上の先輩たちからいろいろなアドバイスをいただいたとのことでした。加えて伊藤さんは、男鹿市の観光課であり、なまはげ柴灯まつりの実行委員会も勤めているため、「さまざまな地区のナマハゲがミックスされているように思います。」と自身のナマハゲを振り返ってくれました。

伝統行事と観光、両方の側面からナマハゲ(なまはげ)行事に関わっている伊藤さんからみて、ナマハゲ(なまはげ)行事は一体どのように映っているでしょうか?

「やはり各地区の方々は『おらほのナマハゲ』というように、自身の地区のナマハゲをすごく大切にしていらっしゃる。その上で観光のなまはげに携わるものとして、感じているのは、正しいナマハゲを知ってもらいたいということです。

一方でなまはげ柴灯まつりをはじめとした観光事業は、多くの人に男鹿のナマハゲを知ってもらうためのきっかけだと考えています。男鹿市観光課として、たくさんの人に男鹿のナマハゲを伝え、ナマハゲ文化の入り口となっていくような、なまはげの取り組みができれば良いなと考えています」

鍵は地域の方々とのつながり ナマハゲを承継していくために必要なこと

近年、少子高齢化や時代の変化によって、行事を実施する地区が減少している、男鹿のナマハゲ文化。貴重な伝統を後世に伝えていくには、いったいどういったことを意識すればいいのでしょうか?

投げかけに対し、板橋さんは

「続けていくためには、地域の方々とのつながりが大切だと思います。大谷さんがおっしゃられたように、ナマハゲをやりたい、と思うだけでは行事は成立しません。地域の人に認められて、協力あってこそのナマハゲ行事ですから」

とコメント。

続けて

「実は私は、ナマハゲ行事をやるまで地域と関わってこなかったんです。町内の集まりなどは全て父に任せていました。けれど父が亡くなって、消防団に参加し地域と関わり出すことで、結果的にナマハゲ行事を復活させることができました。ナマハゲ行事を通して、地域の方々とつながりことの重要性を体感しましたね」

と話してくれました。

祭り留学4-9

つづいて伊藤さんも、なまはげ柴灯祭りで使用するお面を紹介しながら、自身の考えを語ってくれました。

「大谷さん、板橋さんと同じように、私もナマハゲ行事は一人で成立するものではないと考えています。行事の実施するには、やることがたくさんあり、受け入れてくださる家々の存在も不可欠ですからね。なので、やはり続けていくために必要なのは、いろいろな人と関わりを持って仲間を増やしていくことだと思います。今、地域の方々は、ナマハゲを続けなければならない、残さなければならないと必死に活動されています。それを我々の世代が受け継ぎ、そして子どもの世代に伝えていかなければなりません。

ナマハゲ行事の本質は子どもを泣かせるものではなく、地域のつながりなど、もっと別のところにあります。世代を経ていくなかで、もしかしたら、形がかわっていくこともあるかもしれませんが、それでもナマハゲ行事の本質を残しながら後世に伝えていけたらと考えています。

ナマハゲは親にとっても、子どもにとっても良いものですからね」

ナマハゲ行事を未来へ伝えていく上で、キーワードとなった地域とのつながり。地域外に住む人々に何かできることはなのでしょうか?

板橋さんは「本物の男鹿のナマハゲは、大晦日の男鹿にしかいない。そこは理解していただきたい」と前提した上で、

「ナマハゲ行事に参加したい、やりたいといった気持ちがあれば、まずは大晦日のナマハゲ行事に参加してみて欲しいですね。現物を見て、ついてまわって、体験して、本物の男鹿のナマハゲに触れてみてほしいです。そこから担い手として活動に携われる場合もあると思います。」と話してくれました。

伊藤さんも「よく秋田のナマハゲ、と言われますが、本来は男鹿のナマハゲ。伊藤さんのおっしゃる通り、本物のナマハゲは男鹿にしかいません。

その上で市役所の観光課として、たとえば、地域外の方も担い手として受けいれている地区と熱意のある方を結ぶなど、ナマハゲ行事をつなげていく活動をしていけたらと思っています。

男鹿のナマハゲを保存し、継承していくには、さまざまな要因により、男鹿に住む私たちだけでは難しいのが現状です。外の人の力を借りるという選択肢も積極的に持っていきたいです」

最後に板橋さんから「男鹿のナマハゲに興味を持っていただけて嬉しい。ナマハゲ行事に携わってみたいと、思っていただけたら嬉しいです」

伊藤さんからは「コロナ禍で、男鹿に行きたいと思ってくださってもなかなか難しい状況です。もしコロナが落ち着いたら、ぜひ足を運んでいただいて、市役所に『伊藤いますか?』と声をかけてください。その際はいろいろなスポットをご案内いたします!」とコメントをいただきました。

伊藤さんによると男鹿市は昨年、コロナ禍を受けてオンラインで旅行気分が味わえるアプリを作成したとのこと。イベントに参加された方、記事を読まれた方で男鹿へ行きたい!と思われたら、まずはこちらのアプリをダウンロードしてみてください!

男鹿市公式HP

https://www.city.oga.akita.jp/soshik/kankoka/3188.html

なまはげ柴灯まつりは、2月11・12・13日開催予定!!

さて、板橋さんからもお知らせいただいた毎年2月に行われる“なまはげ”の一大イベント・なまはげ柴灯まつり。今年は感染症対策、規模縮小などをした上で、2月11・12・13日に開催される予定です。(入場は事前申し込み制で、応募は2月10日締切。またワクチン接種証明書などが必要となります。コロナウイルスの感染状況によってスケジュールは変更となる場合があります。最終決定は2月4日になされる予定ですので、詳細は公式HPをご参照ください。)

なまはげ柴灯まつり公式HP

https://oganavi.com/sedo/

昨年の夏より、男鹿市で祭り留学をおこなってきたオマツリジャパンでは、なまはげ柴灯まつりに合わせ、祭り留学修了式を開催する予定です。

柴灯まつり内で、唯一のナマハゲ面彫師である石川千秋さんが彫られた由緒あるナマハゲ面を、修了証として贈呈させていただきます。

好評につき、募集は締切となりました!現地に行かれる方は、思う存分、男鹿のナマハゲ(なまはげ)文化を楽しんできてくださいね!

おわりに

なまはげ柴灯まつり直前ツアーを銘打った、今回のオンラインツアー。ナマハゲの承継についてもテーマに盛り込み、予定時間をオーバーしてしまうほどの深い内容となりました。

お話を伺った、視点の異なる3名の方が共通して挙げられていた、“地域の方とのつながり”。大谷さん、板橋さんのお話にもあったように、「やりたい」気持ちを持つ人がいるだけではナマハゲになれません。ナマハゲを連れてくる先立ちの人がいて、ナマハゲを受け入れてくれるお家があって成立するのが、男鹿のナマハゲ文化なのです。

そうやって永きにわたり男鹿地域で受け継がれてきた男鹿のナマハゲは、地域の方々が担う文化でありながらも、地域の方々を形作るアイデンティとして役割に保つようになっていきました。

それぞれの方があげてくださった、地域外からも男鹿のナマハゲと関わっていく方法。イベントを通して、ナマハゲに興味を持った方、もっと深く関わりたいなと思われた方、それぞれにできる方法で、男鹿のナマハゲという大切な文化を応援していきましょう!

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