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「玉せせり」とは!?九州三大祭りの一つ、筥崎宮で行われた「玉取祭(玉せせり)」が話題!

2019/1/4
2019/1/4
「玉せせり」とは!?九州三大祭りの一つ、筥崎宮で行われた「玉取祭(玉せせり)」が話題!

2019年1月3日、正月も明けきらぬこの時期に裸の男たちが「玉」を巡る攻防戦を繰り広げる「玉取祭」通称「玉せせり」が福岡県福岡市の筥崎宮(はこざきぐう)にて行われました。

このお祭りは、木製の玉を奪い合い、その年の豊作・豊漁を占う神事。気温10度の中、330人もの裸の競り子たちが勢い水を浴びながら「オイサ!」の掛け声をあげます。玉は直径28センチ・重さ8キロ。ニュース映像やSNS投稿からも唸りをあげる筋肉が見て取れます!

玉せせりはどのような神事?

映像だけでは分かりにくいですが、筥崎宮の末社から本殿までの250メートルを運んでいるとのこと。陸側と浜側のどちらが神職に渡すかが分かれ目となるようです。

玉せせりは約500年前の室町時代に始まったとされる。競り子は豊作を祈願する「陸(おか)組」と大漁を願う「浜組」に分かれ、肩車をしながら、触れると幸運を授かるという重さ約8キロの玉を奪い合う。約250メートル離れた末社から本殿までお互いもみあいながら玉を運び、楼門で待つ神職に渡した組の願いがかなうとされる。

引用:日本経済新聞(2019/1/3)

2019年は浜側が渡したとのことですので、大量が期待されるようです。

この玉に触れると悪事災難を逃れ幸運を授かるといわれており、競り子達は勢い水を浴びながら陽の玉をめぐり激しい争奪戦を繰り広げながら、本宮に向かって競り進みます。やがて楼門に待つ神職の手に渡され、陰陽2つの玉が再び揃って神前に納まり、めでたく神事は執り納めとなります。陸側と浜側に分かれた玉の争奪戦は、一年の吉凶を占う年占いの意味合いもあり、陸側が玉をあげれば豊作、浜側があげれば豊漁と云われている。

引用:筥崎宮公式ホームページ

この不思議な玉の由来は?

気になるこの「玉」の由来ですが、諸説あるようで、玉せせりが行われる「筥崎宮」の公式ホームページですら「玉の由来は定かではない」と前置きされています。海で拾った説の方はとても神秘的で夢がありますね。

玉の由来は定かではないが、神功皇后三韓征伐の際に龍神の捧げた満珠干珠の玉にあやかったものという説、明応三年(1494)正月に博多上須崎の原田某なる人が筥崎宮に詣で、お潮井浜でキラキラ輝き海上に浮き来る2つの玉を拾ったという。また天正年中(1573-1591)肥前呼子の商人が、博多の海上でこれを拾ったと云われ、そのうち1つを筥崎宮に奉納したが、夜に光を放って鳴動するなど、たびたび不思議なことがあるので、他の1つも筥崎宮に納めたという。

引用:筥崎宮公式ホームページ

SNSでも話題!男たちの熱き戦いに感動の声や写真が続々。

博多といば博多祇園山笠というとても勇壮なお祭りがありますが、玉せせりも負けず劣らず勇壮と言われ、九州三大祭りの一つに数えられています。初詣に合わせて訪れた人々のSNSにも男らしさ溢れる投稿が続々。

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#福岡#筥崎宮#玉取祭 #玉せせり 玉取祭は別名「玉せせり」といい、全国に知られる祭(九州三大祭)である。起源は定かではないが、今から約500年前の室町時代に始まったとされ、昔から盛大かつ厳重に行われている神事です。 午後1時の玉洗い式にて祓い清められた陰陽2つの木玉は、東側に約250m離れた場所にある末社玉取恵比須神社に運ばれる。ここで祭典の後、陽の玉は裸に締め込み姿の競り子達に手渡され祭典開始となる。 この玉に触れると悪事災難を逃れ幸運を授かるといわれており、競り子達は勢い水を浴びながら陽の玉をめぐり激しい争奪戦を繰り広げながら、本宮に向かって競り進みます。やがて楼門に待つ神職の手に渡され、陰陽2つの玉が再び揃って神前に納まり、めでたく神事は執り納めとなります。陸側と浜側に分かれた玉の争奪戦は、一年の吉凶を占う年占いの意味合いもあり、陸側が玉をあげれば豊作、浜側があげれば豊漁と云われている。

にっしーさん(@nissi_47)がシェアした投稿 –

訪れた皆さんのコメントにもありますが、観客にも結構水がかかるとのことなので、近くで見たい方はそれなりの覚悟が必要なようです。ただ、この熱気に触れたら良い運気をもらえそうなので、縁起をかつぎたいならやはり前でとのことなのでしょうかね。

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