白装束と烏帽子を着けた十三天狗が、神主とともに、山の麓から愛宕神社が鎮座する山頂へと約4キロの山道を歩き、道中に点在する十六カ所の祠に無言で供物を供える。一方、それを見ていた参拝客は「バカヤロー!」「さっさと歩け!」などの罵声を浴びせ、さらに来年の御利益を求めて供物を奪い合う。
そんな世にも奇妙な奇祭「悪態祭り」が、毎年12月の第三日曜日に行われています。氏子の代表である「総代」として、悪態祭りや節分祭など、愛宕神社で行われる祭事の運営全般に携わる岡野博之さんに、悪態祭りの知られざる歴史や舞台裏の想いなどについてお話を伺いました。
岡野博之(おかの ひろゆき)
1947年茨城県岩間生まれ。75歳。かつては自ら天狗役を務めたこともあったという。氏子の代表として、年間の祭事を取り仕切る総代は岡野さんを始め現在19人。岩間町泉五区の各地区から選出された代表者が職に就くという。
ユニークな悪態祭りの由来とは?
―そもそも悪態祭りの由来は何なのでしょう?
諸説ありますが、江戸時代の中期に為政者つまり藩の役人が村人の政治への不満や一般大衆の考えを聞くために始めたと言われています。祭りの夜に限っては、誰に対してもどんな悪態を言っても罪に問わないと言って始めたと。一種の無礼講ですね。他には、悪を退治する祭り、即ち天狗が怨霊や疫病を退散させるお祭りで『悪退祭り』とする疫病退散説もあります。
―愛宕山では、天狗が神聖視されているのですね。
愛宕神社が鎮座する愛宕山は古来より修験道の霊場として有名で、昔から多くの天狗が棲み、厳しい修行に明け暮れていると伝えられてきました。この天狗伝説を世に広めた人物が江戸時代の国学者、平田篤胤です。現在も、13人の天狗のために村人が13膳のお供えをしたという十三天狗伝説が伝っており、神社の奥には十三天狗の祠があります。
真夜中にラジオからバカヤロー⁉
―「悪態祭り」と言えば、天狗に向かって「バカヤロー!」と罵るシーンが印象的ですが、罵倒されている間は何を考えているのですか?
「あれは、一言も語らずに業に徹する『無言の行』なので、答えるわけには……(笑)。日々の生活や世相への不満を悪態として吐き出すというのが、悪態祭りの元来の趣旨でした。ところが、目の前の天狗に向かって悪態をつくほうがやりやすい(笑)。それで、道中を歩く天狗に向かって『バカヤロー!』、『歩くのが遅いぞ!』と罵る今の形が定着したわけです」
―幼少期の頃の悪態祭りの想い出は何かありますか?
岡野さん「昭和29年、私が7歳の時です。夜中にラジオ放送から突然、『バカヤロー!』と聞こえてきました。番組で悪態祭りを紹介していたんですな。ちょうど昭和29年11月15日付けの「岩間町報」に「悪態祭り」の記事がありました。当時は、今と違って真夜中に祭りが行われていたようです」
過去には火のついた丸太が降ってきたことも⁉
―昔は夜中に行われていた悪態祭りが、今の形になった経緯をお聞かせください。
悪態祭りは、私が知る限りこれまで三度中断しています。1941年までは真夜中の午前0時に行われていましたが、戦時中に一時中断。明確な年代は不明ですが、戦後に復活しました。先ほどお話ししたように、当時は戦前と同様に真夜中に行われていたようです。その後、参拝者の一部が過激な行動で事故が起こり、再び祭りが中断。当時を知る氏子さんの証言によると、この過激な行動とは、神社に続く百階段の上から天狗めがけて火のついた丸太を転げ落として怪我をさせたということです。神社の境内では今も、この時期は夜になると暖を取るために薪木を燃やしていますから、恐らくそれを使ったのでしょうな。
―当時は随分、荒々しい雰囲気ですね。日中の開催になったのはその後ですか?
平成以降ですね。1996年頃に再び復活し、この時から日中に行われるようになりました。2005年までは旧暦霜月14日の開催でしたが、2006年からは12月の第三日曜の開催に固定されました。週末開催で参加しやすくなったこともあり、近年は他県からの参拝客が増えました。テレビで取り上げられ、芸能人が訪れたり、旅行ツアーが組まれるようにもなりました。悪態祭りの場合、長野県の御柱祭や秋田県のナマハゲと並ぶ日本三大奇祭(※諸説あり)として紹介される機会が多いのも大きかったですね。一時は参拝客が1000人を超すこともありました。コロナのためにそれも再び中断を余儀なくされてしまいましたが。
来年こそは活気ある悪態祭りの復活を!
―祭りを継承していく上で危惧されている点はありますか?
岡野さん「コロナ禍により、2年間中止を余儀なくされ、2021年は簡略化して神事のみが行われました。この3年で、祭りを運営する総代もほとんど変わってしまった。すると、さすがに悪態祭りを継続していけるかという焦りが出てきました。研修やリハーサルがあるわけではないので、祭りを継承するには、新人の方には本番を体験してもらう他ありません。そこで、本番へ向けての予行演習も兼ねて、今年は関係者のみで規模を縮小して開催することに決定しました。
―2022年は関係者のみでの開催ということですね。
はい。やはり、お祭りは実際に体験してみないとわからない部分も大きいですから。巡業するルートの確認や祠の掃除、そして供え物の取り合いが始まる前、いかに観客を制するか。こうした今までの蓄積を先輩から新人へと指導してもらいます。神主の祈祷が終わる前に、フライングして供え物を奪うのは掟破りなんです。違反すると、昔は青竹で厳しくバシッと叩いていましたが、今はそういうわけにもいきません。違反が起きないように、青竹で封鎖して制するように工夫しています。
―最後に、悪態祭りを見に来る方へのメッセージをお願いします。
今年は関係者のみでの開催となりますが、警備員をつけるなどの感染対策を徹底した上で、来年こそは、従来通りの悪態祭りを取り戻したいと考えております。どうしても『バカヤロー』と悪態をつく場面ばかりが注目されがちではありますが(笑)、天狗といっしょに4キロの道のり歩くのはいい運動になりますし、山頂にある神社というのも珍しい。ぜひ、この神社からの素晴らしい眺望を見るためにも、悪態祭りを訪れてみてください。
あとがき
江戸時代の中期に始まったとされ、現在まで3度の中断を余儀なくされながら、その都度、復活を遂げてきた悪態祭り。年末に行われる、1年たまったストレス発散の「ハレ」の場としての祭りのエネルギー。そして、供え物を奪取するという栄誉のために集まる人々の熱気。コロナ禍前、筆者が実際に祭りを体験した際には「こんなぶっ飛んだ奇祭が日本にもあったのか!」と、大きな衝撃を受けました。祭りを陰で支える岡野さんを始めとする総代の方々の努力が結実し、来年こそは「コロナ、バカヤロー!」と叫び、従来の祭りの活気を取り戻してほしいと、切に願います。
(取材:2022年11月6日)