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「天津司舞」幽玄な春|観光経済新聞

2020/11/7
2020/12/7
「天津司舞」幽玄な春|観光経済新聞

2019年からスタートした、観光経済新聞のオマツリジャパンコラム記事連載!2020年も「お祭り」をフックに、旅に出たくなる記事の連載をして参ります!奇祭好き、ケンカ祭り好き、お神輿好き…等、様々なライターさんに記事を執筆いただく予定ですので、ぜひご覧ください♪(オマツリジャパン編集部)

幽玄な春

 私が初めて平安時代の神様に出会ったのは昨年、天津司神社の小さな境内を包み込むように桜の老木が満開となる頃だった。あの場所は、小ぶりな鳥居をくぐるとすぐに木造の素朴な拝殿があるささやかな神域だが、御神体が平安時代から続く人形という風変わりな一面を持っていた。

 人形が姿を表すのは、例祭日の4月10日に近い日曜日、そこで披露される天津司舞の一時に限られる。私は、その霞のような神を一目見たくてこの地へ訪れたのだが、奥ゆかしい人形は簡単に顔をあらわにしてくれないのであった。

 正午近く、傀儡子(くぐつ)たちが集まり人形を迎え入れると、1キロ先の諏訪神社へ御幸をする。一体一体丁重に拝殿から取り出される人形は、赤い布で顔を覆われていた。遣いの手によって宙を漂うようになった人形は、3体の主神が6体の田楽隊を引き連れるようにして、笛の音と共にゆったりと進んでいく。春風にあおられ桜の花びらが舞う中、姫様は装束にたっぷりと風を含み、妖艶さを放っていた。まるで市女笠に垂衣をして外出をした平安貴婦人のようである。

 御成道は、広大なスポーツ公園を通り抜けていく。行列について歩いている時、見物人の1人である老夫から、かつてこの道はあぜ道であったと聞いた。田植えが始まり、春の訪れに喜ぶ人々がふと手を止めて御幸を眺めたり、子どもたちは「人形芝居だ」と喜々として集まってきたりしたのだろうか、そうであればさぞ穏やかで美しい光景であっただろうと遠い昔に思いが巡る。行き着いた先の諏訪神社も花盛りとなっていた。春一色の舞台であらわになった人形の表情は純朴で大和絵を想起させる。

 こうして思い返すと大いににぎわった祭であった。老若男女分け隔てなく集まり、御船囲いと呼ばれる幕を立ち囲む。幕内で笛や太鼓の音に合わせて見え隠れする物腰の柔らかい人形の田楽舞にみな心を踊らせていた。和やかな春の宴としていつまでも時を重ねて続いていってほしいと願う。

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