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幻想的な雪と光のアートに参加!越後妻有 雪花火

更新日:2021/4/5 佐藤 みずほ
幻想的な雪と光のアートに参加!越後妻有 雪花火

3万5000個もの光が彩る、雪上のアート空間

関東ならとうに春の花が咲いている3月6日、名残の雪降る新潟の“どんづまり”越後妻有(えちごつまり)に咲いたのは「光の花」だった。

午後6時。夜が濃くなるにつれて、凍てつく十日町市のあてま高原リゾート・ベルナティオの雪の丘陵には、カラフルな光が見渡す限りを彩り、「光の花畑」が姿を浮かび上がらせた。

その光景は、3万5000個ものLED電球「光の種」と、雪上に縁取られた629個の円「光の花壇」からなる。なんと一つひとつの光が、人の手で雪の中に植えられたもの。錦鯉のウロコのような綾を描く円は、直径3メートルから6メートル超まで大小様々。そのすべてが人の足で踏み固められたというから、驚きだ。

越後妻有 雪花火 / Gift for Frozen Village 2021

「そうそう。だんだんと光が浮かんでくる、夕暮れの、あの瞬間がいいんですよね!」

この作品「Gift for Frozen Village」を手がけるアーティスト・髙橋匡太さんは当日、嬉しそうに語ってくれた。

この言葉は、作品づくりにともに汗を流す地元サポーターと同じ部屋で休んでいるときに、サポーター同士の会話に髙橋さんが交ざって発せられたもの。ここでは、アーティストと地元住民たちがフラットな関係性で共存している。

0度近い気温の中でも不思議と温かみを感じるのは、多くの人の手と足が加わって成り立つアート作品であることが、理由の一つかもしれない。

「光の花畑」が出現するまでの成長のプロセスが、人工的なイルミネーションとは一線を画す生命力を宿らせるのだろう。数多くのスタッフが携わるなかでも、制作には1週間を要す。そして、たった数時間の輝きの果てに、その幻の花畑は跡形もなく、本物の花の生命をなぞるようにして姿を消した。

1年の1/3もの期間を雪に閉ざされる越後妻有の人々にとって、春を告げる花は特別な意味を持つ。アートの力が、雪を不思議で豊かな資源に変えてくれた。このプロジェクトの名付けの通り、雪上に咲いた光の花は、雪国に住む春待つ人へ届けられたギフトそのものだ。

 

大地の芸術祭

「大地の芸術祭」は、新潟県の中でも特に豪雪地帯として知られる十日町市と津南町からなる「越後妻有」エリア全体を舞台として、国内外のアーティストが地域住民とともに作品を創造する芸術祭だ。東京23区がすっぽり入るという広大な里山空間が、まるっきり屋根のない美術館になる。

今でこそ日本各地を舞台とした芸術祭は数多いが、この大地の芸術祭は、第1回開催の2000年から3年ごとにトリエンナーレの会期を重ね、進化/深化を続けてきた。地域アートフェスティバルの先駆け的な存在として、その名が世界にとどろく。この2021年の夏には、スタートから20年以上の成長を遂げたトリエンナーレの開催を控えている。

私はかつて、東京から新潟へUターンしたばかりの2015年の夏、第6回を迎えたこの芸術祭のアルバイトスタッフとして、メイン会場のひとつ、越後妻有里山現代美術館[キナーレ]に携わった経験がある。

当時、キナーレ中央の池に出現した巨大なアート作品は、2008年の北京五輪開閉会式の花火演出で知られる中国出身のアーティスト・蔡國強の「蓬莱山」。そこで初めて、こんなに魅力的で国際的な“オマツリ”が新潟にあるのかと、地元県民ながらに驚いたのを覚えている。

 

コロナ禍で迎えた春と、「光の花畑」の10周年

その芸術祭の里ではこの冬、1月から3月にかけて「『大地の芸術祭』の里 越後妻有2021冬SNOWART」が開催された。世界が新型コロナウイルスによるパンデミックに見舞われて1年を迎えた今も、その歩みは止まっていない。

しかし、昨年2020年冬の開催時には、コロナ禍の始まりを受けて直前で「雪花火」が中止になった苦い思い出がある。毎年、SNS上で評判が評判を呼び人気の高まりの最中にあっただけに、その中止判断は注目を集めた。

そして本来は2020年が10周年のアニバーサリーとなるはずだった。1年後の今思えば、それ以降、夏や秋の花火を打ち上げられなくなった花火業界にとっても、まるで先の見えない暗く長いトンネルに足を踏み入れた瞬間だったと想像する。

それでも、いくらかトンネルの出口は近づいているのだろうか。この日、2年ぶりに浮かび上がった幻想的な光の空間のただなかに、新しくもどこか懐かしい音楽が漂う。温かく、ぎこちなさも抱えた不思議なリズムで、アーティスト・mica bandoさんの楽曲が光の花畑を包み込む。その中に足を踏み入れた者は誰もが魔法をかけられて、冬の越後妻有から、異次元の春へと誘い出された。

1年遅れで10周年のアニバーサリーとなった今回は、例年7色のLED電球に黄緑色の新色が加わった全8色のスペシャルバージョン。「光の種」と「光の花壇」ともに過去最大の数とのこと。さらに、音楽も今回のために書き下ろされた。

 

花火は雪の向こう側。それでも花火の花束は届いた

想像以上の雪の降りと濃霧に見舞われ、次々と打ち上げられた花火は、残念ながら「足元」の部分しか見えなかった。けれど、軽やかにステップを踏むようなその足取りは光の花畑に舞う蝶のごとく、宙に光のダンスを描いた。

花火の打ち上げは、時間にしてわずかに10分間。それでも、オープニングの三尺玉、途中と締めの2発の二尺玉まで、会場に流れる音楽と連動したミュージックスターマインが切れ目なく物語を紡ぐ。雪と霧に覆われた視界のカラーを機敏に変化させていく花火が、光の花畑の背丈を中空にまで押し広げていった。

花火が見えなくても、三尺玉の大輪が花開いたであろう、轟音の衝撃波。そして次々にあたり一面の色彩を移り変わらせる「光の花束」。その最後には、思わず拍手を送った。天候は必ずしも味方になってはくれなかったけれども、それもこの土地らしい風土だ。この瞬間のために関わった全ての人に、「ありがとう」と言いたくなった。

花火を打ち上げた小千谷煙火興業の瀬沼輝明社長は後日、三尺玉と二尺玉2発がほぼ霧中に隠されてしまったことに、「正直、凹みました」と涙目で振り返った。それでも、「とにかくイベントが形になって、無事に開催できたこと。そして、観客の皆さんも一体になって成功させようという雰囲気が、やっている僕らにも感じられて、感謝です」と思いを語っていた。

作品づくりに参加できる魅力、実感。

この作品にこんなにも感動したのには、もう一つ理由がある。実は私、当日の地元サポーターとして、無数のLED電球「光の種」を雪に植える作品づくりに参加させてもらったのでした。

ところがイメージしていた以上に、今回の参加体験はなかなかにハードだった。

来場者が新潟県民に限定されたのと同様、作品づくりに携わるスタッフも県内在住の地元サポーターのみ。例年大きな力となっていた全国各地からのアートボランティア「こへび隊」の力を借りられず。さらに当日は、会場直前に雪に変わるまで朝から雨が降りしきる中での作業に。光の花畑の制作は2時間押しの午後5時にずれ込んだものの、アーティストとサポーター、スタッフが一丸となって何とか完成したものだった。

地元サポーターは、十日町市の地元住民を始め、近隣の街からも。10年前の当初も知るベテランから、カラフルなウェアをまとった親子連れ、休憩時間にテスト勉強に勤しむ中学生まで、サポーターの顔ぶれは様々。「こんなに悪いコンディションはないね」と口にしながらも、みなさん、楽しんでいるのが分かった。

作品づくりは時間との戦い。そのなかで次第に一体感が生まれていった。特に、同じ班となって一緒に汗を流したサポーター仲間とは、作品が完成した頃には、旧知のチームメイトのようになっていた。

 

次はあなたも、花を咲かせよう

すべての「光の種」の撤収を終えて、サポーターを乗せた帰りのバスが走り出す間際のこと。アーティストの髙橋さんが、「本当にありがとうございました。また来年もよろしくお願いします!」と私たちサポーターに声をかける。誰もが笑顔で応じた。こうして毎年、充実感や話の種がぞれぞれの家へ持ち帰られて、また次の季節での再会のとき、花を咲かせてきたのだろう。

初めてサポーターに参加した理由を尋ねてみると、「もともと一般で来場するつもりだったけど、早々に完売したので、せっかくならサポーターで参加しようと思って」という人もいた。

その感性、素敵です!

作品づくりから参加するスタイルは、ぜひともオススメしたい。次はあなたも、大地の芸術祭の地でアート作品の一部になろう。そうして、五感でこのオマツリを満喫してみてはいかがだろうか。

佐藤 みずほ
この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
世界最大の奉納煙火で知られる花火のまち、新潟・片貝(かたかい)の生まれ育ち。
言葉にできない感動を片貝まつりで経験するあまり、ポエマーになってしまいました。
静かに熱い、新潟のお祭り文化をお伝えできたら嬉しいです。

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