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岐阜県は「地芝居」大国!洗練された地歌舞伎、獅子芝居を地域住民が演じるようになった背景とは?

更新日:2022/10/6 いなむ
岐阜県は「地芝居」大国!洗練された地歌舞伎、獅子芝居を地域住民が演じるようになった背景とは?

地域の人々にとって親しみある芝居、と言うべきか。京都、大阪、江戸という文化の中心地から遠く離れた人々は、なかなか歌舞伎や人形浄瑠璃といった都市文化に触れることはできなかった。そのような経緯から江戸時代に生まれたのが、プロではなく地域の人々が演じる「地芝居(じしばい)」だ。

中でも岐阜県は「地芝居大国」と呼ばれるほどに地芝居が盛んな県だ。地芝居は「岐阜県の宝物」として地域の人々に慕われているが、その魅力はどこにあるのだろうか?
2022年9月18日に開催された「岐南(ぎなん)地芝居公演」を訪れ、公演の様子をレポートするとともに、地芝居とは何か、その発達した背景についても触れていきたい。

地芝居とは?

まず、地芝居の基礎知識について整理しておこう。地芝居は地域住民が演ずる芝居であり、地域に根付いた存在だ。地元の人々が演じることから「地」の字をつけて、「地芝居」と呼ばれている。その中には、地歌舞伎、人形浄瑠璃、能狂言、獅子芝居など様々な芸能が含まれる。

素人の演技ではあるが、振り付けや化粧、衣装など全部自分たちで準備を行い、観客を感動させる芝居づくりは本格的である。また、観客も演者に向かって声を掛ける「大向こう」やご祝儀として紙の包みを客席から投げ入れる「おひねり」があり、参加型となっていることは特筆すべき特徴だ。

岐南地芝居公演における上演中の様子。足元に転がるのは客席から投げ入れられた「おひねり」

岐南地芝居公演を観てきた

今回伺った岐阜県岐南町の公演では、伏屋獅子舞保存会(岐南町)、関市獅子舞保存会(関市)、岐阜歌舞伎保存会(岐阜市)の3団体を拝見できた。最初の2団体が獅子芝居の公演、もう1つの団体が地歌舞伎の公演を行うという内容だった。それぞれの団体の演目について紹介しよう。

伏屋獅子舞が演じた、母と娘の悲しい別れ

岐南町伏屋の獅子芝居は、幕末に尾張の龍介(市川竜介)という人物から伝わり始まった。元々は神前に納める神楽獅子があったが、それに芝居が統合された形だ。
つまり、獅子舞が神事の後、獅子頭を被ったまま浄瑠璃や歌舞伎などの芝居を演じるのが「獅子芝居」なのだが、詳しくは下記の解説記事をぜひご覧いただきたい。

今回上演された「傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)・巡礼歌の段」は十段ものの浄瑠璃で、現在はこの八段目だけ上演されるのが一般的だ。

物語は獅子の演じるお弓が夫の悪事によりお尋ね者となってしまい、娘のお鶴を国許に残し隠れて暮らすことから始まる。ある日、お弓の許を巡礼姿のお鶴が訪れ、「両親に会いたい一心から巡礼姿で諸国遍路の旅に出ていた」という内容を伝える。
無事に母と娘は再会するが、母は娘に罪が及ぶことを恐れ、自分の身元を名乗ることができない。そして、お鶴に国に帰ることを諭さざるを得ないというストーリーだ。悲しい設定に涙を誘うような場面も多くみられた。

神楽獅子の技は圧巻

娘を抱く母の姿

関市の獅子舞は、切ない恋物語を熱演

江戸時代に尾張から伝わった関市の獅子舞は、五穀豊穣、無病息災、商売繁盛を祈り定着した。周辺5地区に獅子舞保存会の支部があるなど、関市では非常に盛んな形態である。

今回の獅子芝居の演目は浄瑠璃の「朝顔日記」というもので、秋月家の娘・深雪(獅子)と宇治川の蛍狩りで出会った宮城阿曽次郎の恋の物語だ。
2人はお家騒動で一時離ればなれになるが、いつしか縁談の話が持ち上がる。縁談の相手が阿曽次郎と知らない深雪は縁談を嫌い、阿曽次郎を探して放浪の旅に出る。

その後、島田の宿で2人は再会するも、盲目となった深雪は阿曽次郎に気づくことができない。恋の困難を描き、それを乗り越えようとする物語だ。声色や仕草が感情を揺さぶってきて、とても素晴らしいお芝居だと感じた。

こちらの神楽獅子の圧巻の技の数々

阿曽次郎を大井川まで追いかけてきた深雪は介抱される

岐阜歌舞伎保存会は、長台詞で有名な演目

岐阜歌舞伎保存会は、平成22年、戦前のにわか芝居を再生した「岐阜まち歌舞伎」を、岐阜座発祥の地である伊奈波神社で奉納したことをきっかけに発足。毎年4月5日の伊奈波神社の例大祭で地歌舞伎として上演される。

今回上演された「若緑勢曾我 外郎売(わかみどりいきおいそが ういろううり)」は、江戸時代に活躍した二代目市川團十郎によって初演された歌舞伎十八番の1つである。

工藤左衛門祐経らが富士の裾野で酒宴を始めようとすると、どこからともなく早口の台詞で有名な外郎売が登場!長台詞の言い立てにその場にいた人々は感嘆する。実はこの薬売りは父の仇である祐経の仇討ちをしたいという思いを秘めて、この酒宴に近づいたという裏話付きだ。

とにかく早口の長台詞に対して、客席から大きな拍手が湧いていたのが印象的だった。

酒宴を始めようとする場面

長台詞で人々を驚かせる外郎売が登場

3つの公演を拝見してみて、これらが全て地域の人々が演じる「地芝居」であることには驚いた。
大道芸のような難度の高い技をこなす神楽獅子や、歌舞伎における早口言葉の連続など、地道な稽古を繰り返していかねばなかなかたどり着けない演技が素晴らしかった。

地芝居の見どころ

地芝居には様々な見どころがある。伝統的なセリフをそのまま伝えているという点では、言葉がわからない部分もあるだろう。しかし、役者の表情や声色などを見ながら、その場面を想像することもできるし、感動する場面も多々ある。

また、先ほども触れたが演者に対して客席から掛け声(大向こう)やおひねりが飛ぶというのも見どころで、観客が演技に対してリアクションをするという関係性がある。現代風に例えれば、SNSでいいねを押したり、YouTubeのスパチャで投げ銭をする感覚に似ている。

江戸時代から芝居小屋には「かべす」が付き物。菓子や料理を食べながら歌舞伎を観る観客が描かれている/三代目歌川豊国「踊形容江戸絵栄」

また、今回は見ることができなかったが、地芝居の楽しみの1つとして、芝居の演技が一段落して幕をおろしているあいだ(幕間)にお弁当や飲み物が出る場合もある。
これを「菓子・弁当・寿司」の3つの頭文字をとって「かべす」と呼ぶ。芝居小屋によっては近所で「かべす」を予約できる場合があり、地域の食を味わうことができるのだ。食事をしてちょっと一息、というところだろう。

実際に今回訪れてみて、各団体の公演の間にある幕間の休憩時間が30分ほどと長かったのが印象的だった。その際に、外のテントで飲食をする人々の姿も見られた。

また、公演場所の歴史を感じるのも醍醐味の一つ。客席から空間一帯を眺めると、その公演場所や芝居小屋の建物の作りに歴史を感じられて、雰囲気も味わい深いものがある。

今回、岐南地芝居公演が行われた会場の風景

地芝居はどのように始まった?

元々、中世以降は長い間、能狂言が盛んな時代が続いた。各地の神社でもその台本が見つかっており、祭礼時に能が奉納されてきたことがわかっている。
それが江戸時代になると世の中がより平和になってきたこともあり、人々は娯楽を求めるようになる。そこで出てきたのが、地方回りの芝居の一座を迎えて、地域の有力者が責任を持って興行するという形態だった。

しかし、役者を都市から呼んできて芝居を楽しむ「買芝居」は容易なことではない。都市で人気の歌舞伎というものを遠く離れた場所でも楽しみたいという思いから発達したのが地芝居だった。近くに住む旅役者に稽古をしてもらって、自分たちで演じることができるようになれば、毎度「買芝居」をしなくても済むというわけである。

江戸時代に地芝居は原則禁止とされてきたが、祭礼の奉納芸あるいはお盆の行事などは例外的に許されてきた。つまり、旅役者から習ったものを自分の地域の行事などと絡めてアレンジして定着させた歴史があるのだ。

地芝居の歴史は江戸時代の宝永3(1706)年に行われた岐阜県の上呂にある久津八幡宮祭礼における上演が記録としては最も古い。この神社には「祭礼日記」なるものが存在しており、この頃に元々、元和元(1615)年に疫病退散を目的に演舞が始まった獅子舞があった。
それが宝永3(1706)年の祭礼日記には、獅子舞に続いて「羅生門」という狂言が奉納されていたと記されている。これに使った鬼面が2つと駒形と呼ぶ馬の作り物も伝わっているそうだ。つまり、獅子舞に加えて娯楽性の高い狂言としての地芝居が取り入れられたというわけだ。

岐阜県の地芝居文化はなぜ発達したのか?

さて、ここまで地芝居について様々な角度から見てきたが、なぜ岐阜県では地芝居が発達したのだろうか?岐阜県は「地芝居王国」と呼ばれており、全国的にも特に地芝居が盛んである。

安田文吉・安田徳子『ひだ・みの 地芝居の魅力』(2009年3月, 岐阜新聞社)によれば、地芝居団体は全国に約200あると言われており、岐阜県が最も多く30団体を有する。次が愛知県で17団体であり、合わせると47団体ということで、全国のおよそ4分の1を占めることになる。

岐阜の中でも東濃地域が17団体と多く、かつて尾張藩領だった場所は芸事に寛容だったという歴史がある。また愛知県では旗本領であった東三河が規制のゆるい地域だった。そのような土地柄も影響して、愛知県や岐阜県には「地芝居王国」と言われるまでに地芝居が定着したのだ。

1971(昭和46)年の段階では、県内で確認された農村舞台の数は264を数え、全国で最多である。日本全国の地歌舞伎保存会の2割が岐阜県に集中しているという事実もあり、地芝居の中では圧倒的に地歌舞伎の団体が多い。

岐阜県各地では、江戸時代から受け継がれてきた伝統が継承されており、役者を職業とするプロが大劇場で演じる歌舞伎では演じられなくなった貴重な演目も継承されている場合がある。

【参考サイト】
地芝居大国ぎふWEBミュージアム

【参考文献】
岐南町『岐南町史 通史編』(1984年3月, 太洋社)
安田文吉・安田徳子『ひだ・みの 地芝居の魅力』(2009年3月, 岐阜新聞社)
岐阜県教育委員会『岐阜県の民俗芸能ー岐阜県民俗芸能緊急調査報告書ー』(1999年3月)
岐阜女子大学地域文化研究所『岐阜県の地芝居ガイドブック』(2009年3月)
岐阜女子大学(代表者:持田諒)『岐阜県地芝居研究調査 岐阜県の地芝居を育む人と風土』(2009年)
岐南町『ふるさとの文化財』(2003年9月)
岐南町歴史民俗資料館『民俗資料集VI』(1990年2月)

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この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
獅子舞マニアです。ライターやカメラマンをしています。趣味は、獅子舞の鼻を撮影することです。その他クレイジーな祭りにも潜入します。

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