2023年3月5日、新型コロナウイルス感染症の蔓延で2019年以来休止となっていた「日本石見神楽大会」が、島根県浜田市の石央文化ホールにて開催されます。 軽快で早い囃子、躍動的な舞。豪華絢爛な衣裳、火花を吐く大蛇など、圧倒的なエンターテインメント性で知られる石見神楽は、日本のみならず海外でも人気を博しています。 石見地域の中でも浜田市は、現在の石見神楽の形を生み出したまさに本場。市内では50余の社中(神楽団)が切磋琢磨する、日本一 神楽が根付いたまちです。 革新と伝統の間で進化を続ける「石見神楽」の魅力を、浜田石見神楽社中連絡協議会会長の長冨幸男さんに聞きました。
長冨幸男さん
浜田石見神楽社中連絡協議会会長。昭和21年(1946年)生まれ。所属する石見神楽長澤社中では、1970年の大阪万博 公演に参加。他にも東南アジア民芸芸能大会、NHKふるさと歌のまつりなど に出演。昭和初期より浜田市田町「龍泉寺二十二世日要上人」から依頼され創作した「加藤清正」は長澤社中の独自演目。
老若男女を魅了!神楽のまちに生まれて
――神楽に関わって半世紀以上と伺いました。長冨さんが神楽をやりたいと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
浜田に生まれた人間は、秋祭りになれば誰もが神楽を見に行くものです。このあたりの子どもたちの遊びとい えば、山で取ったシダの葉を腰につけて神楽らしきものをやります。そのくらい神楽が身近にあるわけですね。 当然私も神楽が好きで、20歳になってお酒が飲めるようになったので、その勢いで社中に行って仲間に入れてもらいました。
――浜田市の神楽・社中の歴史を教えてください。
石見に伝わる神楽は、江戸期以前、神様に奉納する芸事として、神社の宮司さんによって舞われるものでした。しかし、明治時代になって神職による演舞が禁じられたことで、神楽は一般民衆に引き継がれます。はっきりしたことは分かりませんが、私の所属する長澤社中は、明治5〜10年ごろに発足し、その頃には神社へ神楽を習いに行っていたそうです。 どこそこの宮司はあの演目が上手いとか、あっちはこれが上手いとかあったようで、演目に合わせて違う神社に教えてもらいに行っていたそうです。だから、社中によって伝わっている演目、得意な演目が違います。
――現在、どのような方が社中に参加しているのでしょうか?
子どもから壮・老年まで年齢層は幅広いですよ。練習のやり方は変えていますけど、子どもと大人を分けていないので、公演の時には子どもも連れて行きます。見ているだけで学ぶことはあるし、手拍子だけでも公演に参加するのは大事ですからね。 今、長澤社中では、週1回の練習。公演はコロナ前には1年に30回くらい行っていました。みな学校や仕事を持っていますから大変ですけれども一生懸命頑張ってくれています。浜田で育った人間ですから、とにかくやらなければいけない、と皆そういう気持ちなのだと思います。小さい時から神楽に触れているとそういう使命感が生まれるのです。家族もみんな応援してくれますしね。
進化を続ける浜田の神楽!若者たちが活躍
――浜田市は石見神楽を、現在の洗練された様式に磨き上げた先駆者でした。「和紙面」や「提灯型の蛇胴」など、浜田で発明された新しい神楽道具がいくつもあります。
浜田はやはりそのくらい「神楽熱」が高いからでしょうね。新しいものを積極的に取り入れる気性もあったのでしょう。 提灯型の蛇胴にしても、私が子どもの時には「大蛇」を演じても大体はスサノオと大蛇が一対一で戦っていました。今のように大蛇が何体も登場するようになったのは、1970年の大阪万博以降です。私も駆け出しの時に参加したのですが、万博では大蛇をいっぺんに8体出そうということになって、浜田市内の3社中で一緒に披露しました。これが大絶賛だったので、各社中でも大蛇の数が増えていったのです。
万博の少し前は「金の卵」「集団就職」の時代で若い人が減って、神楽の担い手が少なくなったこともあったんです。でも万博を機に再び地元でも神楽熱が盛り上がって、神楽大会や地域ごとの協議会ができたのもその頃です。
――長冨さんは、浜田石見神楽社中連絡協議会の会長でもあります。協議会会長の活動はどのようなものですか?
浜田石見神楽社中連絡協議会には、浜田市内の11団体が参加しています。公演の実施などについては協議会の中堅・若年層のものが進めてくれるので、私たち年寄り連中は従っているだけですよ(笑)。もちろん大事なことは言いますけどね。協議会で各社中の若い人たちがしっかり協力して、まちを盛り上げようとしています。
――浜田の神楽は常に新しいことを取り入れてきた歴史がありますが、若い人を応援する気風があるんですね。
浜田で「八調子神楽」が始まった時には、台本にある演目だけしか舞っていなかったのですが、今では各社中の創作神楽もだいぶ出来ております。今の時代に寄り添った演出も取り入れて、今の時代の人に喜んでいただけるようにするのが浜田の石見神楽の特徴ですね。 ただし、神楽はもともと初代・神武天皇から平成天皇まで125代の天皇のなされたことを、古事記を通して神楽に乗せてきた神事です。この成り立ちについては、しっかり伝え守っていかなければと思っています。
神楽人口はなお増加!オール浜田の連携で文化発信を
――社中にはお子さんや若者もたくさんいて、他所で課題となっているような伝統文化の後継者不足はあまり心配なさそうですね。
そうですね。もちろん長い目で見れば少子化は避けられませんが、神楽が舞いたいから浜田に残って仕事を見つけたいという子や、他県からも神楽が舞いたいと言って転入して来られる方もいらっしゃいます。15年ぐらい前から女性の参加も増えてきました。
――現在、浜田市内で50以上の社中が存在し切磋琢磨されているという事ですが、各団体の連携という点はいかがでしょう。
社中の数は、石見地域の中でも浜田市が随一でしょう。おかげさまで最近でも新しい社中・神楽団ができたり、大学にも神楽サークルがあったり、神楽に親しむ人が増え続けているのは素晴らしいことです。 浜田市は2005年に隣接する自治体と合併して、行政区域が広がりました。これらの自治体では、いわゆる伝統的な神楽を大切に守っておられる社中さんもあります。市内でこれだけ多様な神楽を鑑賞できるのも浜田市だけではないでしょうか。 だからこそ、もう少し連携して「浜田の石見神楽」というのを発信することができればと考えています。各協議会連携の神楽大会もできればいいですね。各社中で保存している古い神楽道具や資料なども貴重な資料ですが、今は倉庫に眠らせたままで、ともすれば燃やしたり捨てたりしてしまうこともありますから、共同でそれぞれの文化を発信する拠点となる施設があれば良いと思っています。そういう点ではぜひ国や自治体など、行政の先導に期待したいですね。
3年ぶりの祭典開催!歴史を紡いでいく
――それでは最後に3月5日の日本石見神楽大会への意気込みをお聞かせください。
日本石見神楽大会は浜田市制施行50周年記念事業として1990年に始まった石見神楽の祭典です。 大会が開催できるのは2019年以来3年ぶりですので感無量です。 昨年夏に東京・国立劇場で行われた公演では、協議会で協力して大蛇50頭登場させましたが、今回の公演でも会場のキャパシティいっぱいの30頭を舞わせます。3年間の辛抱を込めて、この大会は成功させたいという思いでいっぱいです。ぜひたくさんの皆さんに観覧にお越しいただきたいです。
――本日はありがとうございました。
取材:2023年1月15日