「夏越の祓」をご存じですか?
新型コロナウィルス感染症が収まらない6月末、日本各地の神社で疫病を祓う「夏越(なごし)の祓」が行われました。
穢れを祓い疫病退散を祈るこの行事では「茅の輪くぐり」が行われます。 神社の鳥居などに設置された茅(ちがや)で作られた大きな輪を見たことがあるのではないでしょうか。これは素戔嗚尊の神話「蘇民将来」に由来します。 その昔、武塔の神(素戔嗚尊)が旅の途中に宿を頼もうと将来兄弟にお願いをしたところ、豊かな弟・巨旦将来は断り、貧しい兄・蘇民将来は宿を貸し御馳走でもてなしました。その恩がえしに蘇民に対し家族の腰に茅の輪を付けておくようと言いました。その後、茅の輪を持っていない巨旦将来の一族は、疫病で滅んでしまいました。そして「後の世に疫病があった時には、蘇民将来の子孫だと云い、茅の輪を腰に着けた者だけは疫病から逃れることができよう」とおっしゃいました。この神話が元で、全国各地に茅の輪が拡がりました。
その素戔嗚尊を主祭神とされるのが武蔵一宮・氷川神社(埼玉県さいたま市)です。全国に約280社ある氷川神社の総本社で、他の氷川神社と区別する際は「大宮氷川神社」とも呼ばれます。
今回、その氷川神社の東角井権宮司にお話を伺いました。
東角井権宮司にインタビュー
—私たちにとって「祓う」とは、何なのでしょうか。
東角井権宮司(以下、権宮司) 目に見える汚れを取るのがお風呂だとすると、目に見えない汚れを取るのが「祓い」です。日常生活をする中で生じる様々な罪や生活の中の穢れを無くして心身を綺麗にし、新しい出発をするきっかけになります。また、社会の中で生きていくと私たちは様々のことに配慮しながら生きていますが、その中で積み重なる自分の心の傷や疲れなどを解放し安らぎを与えるためにも「祓い」があるようにも思います。大祓の一方で、厄除けなどのお祓いもありますが、これは公か個人かの違いだけ。「公」で行うか「個」で行うか、その違いはあるとしても性質は同じです。お祓いは神道そのものといっても過言ではありません。
—その「祓い」は夏越し(6月)と年末(12月)と、年に二回あります。
権宮司 これから厳しい暑さの夏を越す、もしくは年を越し新たな神を迎えると言う時節にあたり、例えば疫病が流行ったり農作物が不作だったり自然災害がおきたり、そういった社会全体の災いがないように祈るために、大勢の人々の共通の罪穢れを祓うことが公のお祓い「大祓」です。古来、宮中でも国家が安泰で国民が幸せになるよう「大祓」をされております。
権宮司 日本人は人生の様々な節目に合わせ行事を生み、伝承してきました。初宮参り、七五三、厄除け、結婚式などがありますが、それら節目ごとに一度立ち止まって神様の前で人生儀礼の「祓い」をすることで、神に感謝したり自己の行いを反省したりしながら改めて覚悟を決め出発をする。そのような再生、復活がお祓いの大きな意義ではないでしょうか。
素戔嗚尊(スサノオノミコト)とは
—なるほど。素戔嗚尊の神話が元になった「茅の輪くぐり」が全国に広がっておりますが、素戔嗚尊という神様はそれだけ多くの人に認知されている神様なのですね。
権宮司 素戔嗚尊という神様は、多くの人に親近感をもって信仰されている御存在なのだと思います。現代人は時として、神様に対し、完璧で全知全能のイメージをお持ちなのかなと思います。だから武塔の神(素戔嗚尊)が、茅の輪を持っている人だけを助けて、他の人を滅ぼしたというところに怖さを感じてしまうかもしれません。しかし、日本の神様というのは全知全能で全ての人を幸福にするだけではなく、時には人間にとって悪いことをする存在でもあります。また、素戔嗚尊は神話の中で幼い時代から老人時代までを体現している神様です。若い頃は悪さをしたり過ちを犯したりしますが、段々成長していき、雄健で平和な神様となり、最後は大国主命という自分の子孫を育て上げます。素戔嗚尊が愛される理由はおそらくここにあるのではないでしょうか。信仰されているというより親愛されている気がしております。人間らしさが神様として愛されているのではないか、と。
—失敗もするし反省もするし怒られたりもする神様なのですね。
権宮司 そうなんです。その素戔嗚尊の性格を見れば、貧しくても助けてくれた蘇民へ茅の輪を渡して疫病から守ったというのは、なにか人間味がありますね。助けてくれた人にだけ優しくする…それはそれで、そういう神様がいてもいいのではないでしょうか。この神話には「困っている人に優しくしよう」いう訓示があり、かつ「人を助けると自分も助かる」というのも日本や世界によくある昔話のような内容で、だからこそ多くの人に広まったのではないでしょうか。
権宮司 さらにこの伝承が現代まで続いているというのが良いですよね。茅の輪の神話が茅の輪くぐりになり、素戔嗚尊を祀っている神社のみならず全国の神社にもこの行事が広まっていますから。
茅の輪の「茅(ちがや)」について
—なぜ茅(ちがや)を使うのでしょうか。
権宮司 粽(ちまき)にも用いているように、茅にはもともと殺菌や防腐の効果があります。尖った葉は邪気を防ぐとも信じられてきました。それに地味な茅というのがまた良いですよね。生命の息吹に溢れ青々とした茅ですが農作物ではありません。お米や小麦などの穀類にも、そうではない植物にも、様々な植物に役割があるということを今の私たちに教えてくれている、それが茅の輪くぐりという神事に込められているのではないかと思います。茅のその青々としたところに人間は生命の力強さをも感じて、それを巻いておくと魔除けになるというところまで考えたのかと思うと、すごいですよね。
—たしかに茅って普段全く意識していませんでした(汗)ちなみに氷川神社の茅の輪は皆様が手作りされておられるのですか。
権宮司 見沼の田んぼの中に茅を管理されている方がいらっしゃって、そこから刈ってきて作っています。乾燥させるのに約一週間。その後、茅で編んだ紐と、竹と麦わらで真ん中の芯の部分を作り、その周りに乾かした茅を紐でしばり完成させます。私は当社の茅の輪は日本一美しいと思っています。しかも一つじゃなくて二つ作るのです。行きと帰りで2回祓うことができるというのも全国的には珍しいかもしれません。
—一度で二回お祓いができるんですね!
権宮司 はい。多くの神社は参道の真ん中等に一つだけ設置されていますが、当社のように行きと帰りの参道にそれぞれ設置してあるのは珍しいと思います。ただ例年、参拝者の方は茅の輪を8の字に周るのですが、今年は新型コロナウィルス感染症予防を鑑み、参拝の方は三密を避けるために直進のみとして、神職だけで8の字に周らせていただきました。また、いつも茅の輪には人形(ヒトガタ)があり、くぐる時に触れていくのですが、それだと感染拡大の恐れもあるので、今回は人形も神職がくぐる時にだけ付けました。
新型コロナウィルス感染症と神事
—新型コロナウィルス感染症対策はどのようなことをされていたのでしょうか。
権宮司 一般のお店と同じように、授与所にアクリル板を貼ったりマスク着用によって飛沫感染を防いだり、アルコール消毒を行ったり、また手水を流水にして柄杓に触らないようにしました。他にも密を避けるために、人が集まる屋内は人数制限をしたり、ドアを開けて換気を行うと同時に、空気清浄機を置いて対策をしたりしております。過度にウイルスを怖がりすぎず、且つ不安を取り除けるような、一般的に薦められている対策に則った対応です。
権宮司 また、神様を信仰するという気持ちは人間の免疫力を高める作用があるとも言われておりますので、神様にお祈りするという事もコロナ対策になっているとも思います。ですから神社自体の封鎖はせずにおります。神様は災厄から私たち守ってくれているとお伝えしていくことも私たちの使命だと思います。大祓式にしても、本年は一般の参列を中止し神職のみで神事を執り行いましたが、元々は国や地域の為に神職や祭主が国民を代表して行う神事が大祓式ですので、本年のように我々のみで公の為に行事を執り行うというのは、昔の形、元の形に戻ったということですね。
—原点回帰ということですね!そういえば、茅の輪のお守りもありますね。
権宮司 大祓式当日の6月30日まで茅の輪守りを境内でお渡ししておりました。このほか、今年は地域の皆様と協力して、駅構内や駅周辺の商業施設などにも茅の輪を置かせていただきました。新型コロナウィルス感染症拡大が収束するように願う地域の皆様の祈りの心と素戔嗚尊の御心が結ばれたような気がいたします。
—自分も駅でお守りを見ました。自分がいる空間を守ってくださっていると感じました。本日はありがとうございました。