平野郷夏祭り(九町合同曳行)とは
令和5年7月11日~14日、大阪市南部にある平野区の杭全(くまた)神社の夏祭りが盛大に行われました。祭り日程が固定で平日開催となることが多いですが地元の祭り熱が高く参加者も多く、また近隣地区からも多くのギャラリーが集まる大阪市内最大級のだんじり祭りです。祭りは4日間ありますが、11日と14日は神輿と太鼓台の日で、だんじりが巡行するのは12日と13日の2日間になります。その12日のメインイベントが21時45分頃から始まる九町合同曳行。片側2車線の南港通という幹線道路を通行止めにして行われます。
九町合同曳行開始直前の様子
21時45分の開始まで約30分間の休憩。なぜ21時45分開始かと言いますと、南港通はバス通りになっており、その運行の妨げにならないよう最終バスが通過してから道路を封鎖して行うからです。
南港通への進入はお渡り筋(5台)と学芸大通り(4台)と二手に分かれて行われ、パフォーマンスは中央分離帯を挟んでそれぞれに別れて行われます。
私は泥堂町と一緒に南港通に入るのでお渡り筋側にいました。お渡り筋には流町、泥堂町、野堂町南組、野堂北組、市町の順で並んでいました。
私がだんじりに近寄ると祭人が集まってきて写真撮影をよく頼まれます。もう10年以上も通っており各町に知り合いが多数います。
最後尾まで移動したので、出発に備え泥堂町に移動しました。
祭りは町と町とのプライドのぶつかり合い、お互い勢いを競う場面が多いですが、祭りには同窓会的な要素もあり、だんじりが接近するような休憩時間は他町から参加している同級生や顔見知りとの交流の場であったりします。
男性はだんじりを動かすだけでなく各年代に応じた役割があり、いくつになっても参加することができます。そして祭りに参加して無邪気な笑顔を見せてくれます。そんな笑顔が見れるので祭りは見ていても楽しいです。
九町合同曳行
21時45分を過ぎ最終バスが通過しました。流町が最初に南港通に飛び出しました。多くのギャラリーが南港通に集まっていました。しかし安全確保のため厳しい警備体制が敷かれており一般ギャラリーは歩道から出れないように規制がかかっていました。
このような高速回転も見せ場のひとつです。この後、泥堂町は南港通を西に進み、パレードの所定の位置に向かいました。
その移動途中、反対側の車線には学芸大通から入ってきた西脇組とすれ違いました。
その後ろが脊戸口町。ちょうど私が付いている泥堂町と中央分離帯を挟んで反対側でパフォーマンスをします。
九町のだんじりが所定の位置につき、22時を過ぎた頃に合同曳行が始まりました。
南港通を約200m完全に封鎖して、中央分離帯を挟んで5台と4台に別れて一斉にパフォーマンスを行いました。
22時20分過ぎ、所定の位置でのパフォーマンスが終わった後、各町が連なって南港通を移動しました。
おわりに
今年の7月12日は水曜日でした。平日の夜というのにこの賑わい。やっとコロナ前と同じ「通常」の祭りが戻ってきました。 そこには祭りを心から楽しむ祭人・祭華の笑顔がありました。コロナ前は普通にできてた祭りがコロナでできなかったり、規模を縮小したり、いろんな規制がかかったりしていましたが、昨年あたりから「通常」の祭りが戻ってきつつあります。「通常」の祭りができないつらさを経験し、「通常」のありがたみがわかるようになりました。これからも「通常」の祭りが継続して開催されることを切に願います。
13日に行われた宮入の様子はこちらから