こんにちは。大田区西北部の地誌をライフワークとするライターのカワグチです。うだるような暑さが続いておりますが、読者諸兄姉におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。この記事では、東京都大田区にある日蓮宗の大本山・池上本門寺でいただける御朱印と、境内のみどころをご紹介します。
日蓮聖人入滅の霊場・池上本門寺
池上本門寺の正式名称は「長栄山大国院本門寺」。弘安5年(1282年)9月8日、日蓮聖人は常陸国での湯治療養などのため身延山久遠寺を後にされ、同月18日、武蔵国千束郷池上(現在の東京都大田区)の池上宗仲の館にお着きになりました。しかし、衰弱が進んでそれ以上の旅は不可能と察した日蓮聖人はここを最後の居地と定め、池上宗仲邸の裏山に建立された一宇を開堂供養し長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源といわれています。
同年10月13日に日蓮が入滅すると、池上宗仲は法華経の字数に合わせて69,384坪の土地を寺領として寄進され、以来「池上本門寺」と呼ばれるようになりました。池上氏館の居館部分は本門寺西側の谷の一帯に位置し、現在は池上氏館内の法華堂を起源とする本門寺の子院・大坊本行寺の境内となっています。
池上本門寺の御朱印
全国各地の寺社では参詣の証しとして御朱印をいたくことができます。池上本門寺の御朱印には、中央に「妙法」と文字と寺印が重なり合います。ちなみに日蓮宗の場合、「御朱印帳」と「御首題帳」で分かれている場合があることをご存じですか。池上本門寺でも、御朱印帳(神社や他宗派の御朱印があるもの)には「御朱印」を、御首題帳(日蓮宗寺院のみの御首題)には「御首題」を拝受できます(御首題の中央にはお題目が記されています)。
なお、東急線では期間限定で「花御朱印巡り」を開催中(10月31日まで)。「花御朱印巡り」に参加している寺社に専用御朱印帳を持っていくと花御朱印をいただくことができます。池上本門寺でも、東急線とコラボした花御朱印を拝受できました。
※ 花御朱印とは、「東急線花御朱印巡り」限定の花をテーマとした(花びらが印刷された)御朱印です。花びらの色は指定することは出来ませんが、ピンク、青、黄、紫の4種類あります。また、別途御朱印代が必要となります。
専用御朱印帳は公式サイトもしくは、東急線の18駅で購入することができます。
専用御朱印帳には対象の寺社が掲載されているガイドブックが付いてきます。お盆休みは神社や仏閣にお参りに出かけませんか。
池上本門寺の境内と周辺
総門とは寺社へ参詣する人が最初に通る門。昭和20年(1945年)4月15日の戦災を免れた数少ない古建築の一棟で、元禄年間(17世紀末〜18世紀初め)の建立と伝えられています。「本門寺」と刻された扁額は、総門よりも古く、寛永4年(1627年)本阿弥光悦の筆によるもので、現在掲げられている額はレプリカ。オリジナルは霊宝殿に収蔵され常設展示されています。
池上本門寺の表参道96段の石段坂。名称の由来は、『妙法蓮華経』見宝塔品第十一、此経難持の偈文96字にちなむ。慶長年間に加藤清正が寄進したものと伝えられています。
池上本門寺の守護神「長栄大威徳天」を祀るお堂。昭和34年に再建。毎月22日が縁日で、1月・5月・9月には大祭が行われています。
大堂正面に建つ二重門。旧国宝の山門および仁王像は共に昭和20年(1945年)4月15日の米軍による空襲で焼失。三門は昭和52年(1977年)に再建、仁王尊は昭和54年(1979年)に新造されました。旧三門は、慶長13年(1608年)に徳川2代将軍秀忠が五重塔と共に建立。旧仁王尊は、和銅3年(710年)行基菩薩作の古像であったと伝わります。
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祖師(日蓮聖人)を祀ることから「祖師堂」ともいいます。旧大堂は、本阿弥光悦の筆による「祖師堂」の扁額と共に昭和20年4月15日の米軍による空襲で消失。現在の大堂は、昭和39年(1964年)に再建。外陣の天井画を大田区在住の川端龍子に委嘱するも、完成をみることなく逝去されたため未完となっています。川端龍子の遺作として、今も多くの人が訪れます。
旧鐘楼堂は、昭和20年4月15日の米軍による空襲で消失。その際、正保4年(1647年)に加藤清正の娘で、徳川頼宣の室となった瑤林院が寄進した梵鐘も火をかぶり破損ため(亀裂と歪みが生じたため)、再建された鐘楼堂の傍らに仮安置されています。現在の鐘楼は、昭和33年(1958年)に再建されました。
関東に現存する五重塔のうち最も古い塔とされる。高さ29メートル。米軍の空襲による焼失をまぬがれた貴重な古建築の1つ。江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局(正心院日幸尼)の発願により、慶長12年(1607年)に建立されました。
池上本門寺には墓所もあり、著名人では日蓮聖人を始め、紀州徳川家、米沢藩上杉家、肥後熊本藩細川家、狩野常信(絵師)、力道山(プロレスラー)、河上彦斎(熊本藩出身の武士。漫画「銀魂」に登場する河上万斉のモデル)等が眠ります。河上彦斎のお墓は、五重塔付近にありますよ。
昭和20年(1945年)4月15日の米軍による空襲で消失した釈迦堂を再建した本殿。昭和44年完成。現代的な鉄筋コンクリート造の仏堂建築として高い評価を得ています。また、北側に位置する日本庭園・松涛園(非公開)は、本門寺旧本坊の奥庭。桂離宮の建築と造園で名高い小堀遠州によって造園されたと伝えられています。
参拝や散策の合間の休憩に……。大堂を目の前に眺めながら、軽食や甘味を楽しむことができます。
本門寺そば(1,300円)や、2色シロップとフルーツのかき氷(800円)など、どれも美味しそうですね。
大坊本行寺に通じる大坊坂(石段)の中腹には多宝塔(日蓮聖人御入滅の折の御荼毘所)が位置しています。この地は、池上本門寺にとって重要な浄域の一つとされています。
日蓮聖人が生涯最後の20数日間を過ごされた館を、池上宗仲の寄進により開創した池上本門寺の子院。
幕末に編纂された『新編武蔵風土記稿』でもその名を見ることができる車坂。現在は名前通り、参詣者が使用する車用道路となっています。
池上本門寺の南側に隣接する稲荷神社。祭神は長栄稲荷。池上本門寺の長栄堂に祀られている「長栄大威徳天」を、神仏分離令により神と仏に分離。近隣の稲荷社と合祀してこの地に遷座したと伝わっています。
主な年中行事
多くの人に馴染みのある、池上本門寺の年中行事といえば、「節分追儺会(節分・豆まき)」と「御会式」。節分追儺会では池上本門寺に縁のある著名人が来場し豆撒きを行っています。とりわけ力道山の墓所があることから、プロレス関係者が出仕することが吉例となっておりスポーツ新聞の紙面を飾ります。
毎年10月11~13日に行われる御会式では、30万人(多い年は100万人近く)が参詣に訪れ、街全体が大いに賑わいます。この3日間で池上地区の商店街における年間売上の半分を占めると云われ、本堂から参道およびその周辺、池上駅前の商店街に至るまで広範囲にわたって多数の屋台が出店されます。
また、人間国宝の香取正彦氏の手による重さ7トンもの梵鐘があり、大晦日にはこの鐘を打ち鳴らしますことができます。12月31日の23時から鐘楼堂前にて無料整理券が配布され、先着300名の方が、三名一組ずつで鐘をつくことができます。
アクセス
池上本門寺へのアクセスは、東急池上線池上駅より徒歩10分。
道中には数多くの飲食店がありますので、お食事や休憩にも便利です。
日蓮宗大本山池上本門寺
〒146-8576 東京都大田区池上1-1-1
https://honmonji.jp/index.html