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東京音頭とは?盆踊りの定番曲の歴史と魅力

東京音頭とは?盆踊りの定番曲の歴史と魅力

夏のお盆シーズンを迎えると、団地の公園や境内、大規模施設の屋外ステージなどで、お盆イベントが開催されます。都内の盆踊りでは、必ずと言っていいほど「東京音頭」が流れますが、夏祭りの歌、盆踊りの音楽として親しまれている「東京音頭」の裏話、興味ありませんか?

某プロスポーツの応援歌や、とある百貨店のPR販促企画がルーツ?!など、東京音頭の意外な情報をお届けします。東京音頭の歴史と時代変遷の道のりを追ってみましょう!

東京音頭の歴史

各地の盆踊り行事では、ご当地ソングや歌謡曲、アニソンなどで地域住民と観光客の輪を結びつけています。東京音頭は、関東圏の盆踊りの曲目に必ずと言っていいほど組み込まれます。東京音頭はどのような軌跡を辿り、盆踊りの定番曲として定着していったのでしょうか?

元はタイトルすら違うPRソングだった

丸の内界隈を活性化させるためのご当地ソングとして、日比谷周辺の百貨店美松(みまつ)のPR企画として1932年に「丸の内音頭」が誕生しました。さらには、同店の浴衣購入者のみしか参加できなかったちょっとレアなイベントだったとか。翌年、1933年に「東京音頭」と名称を変えレコード化。1976年から、日比谷公園の開園100周年を迎える2003年まで、長年開催されていませんでした。2003年以降、毎年8月に東京駅からほど近い日比谷公園の「日比谷公園丸の内音頭大盆踊り大会」で「丸の内音頭」が再び流れるようになりました。

ロングヒットへの軌跡

日比谷公園から東京都内一帯、そして関東圏の盆踊りでかかるようになった「東京音頭」は、盆踊りの象徴としてロングヒットしました。「東京音頭」が誕生した1930年代は、レコード産業が大きく発展した時期であり、新民謡としてのポジションを確立していました。理由は、百貨店や大劇場、さらには映画会社などのメディアとの提携によるものです。従来の民謡と一線を画したメディアイベントによる宣伝が、「東京音頭」を国民的大ヒット曲へと押し上げました。1971年には、累計2000万枚以上の売上を出したといわれています。

曲の成立ちと歌詞について

東京音頭(旧、丸の内音頭)は、作曲家の中山晋平さんが丸の内の情景を描いて作曲しました。昭和恐慌により景気が悪かった当時の日比谷界隈の飲食店店主たちが、多くの人を元気づけたいという思いからビクターへ依頼をかけたのが東京音頭の生い立ちです。

もともとは、「数寄屋橋」、「大手町」、「丸の内」が歌詞に織り込まれていましたが、「東京音頭」と名称を改めたため、「上野」、「銀座」、「隅田」などの地名が使われ全国に向けて販売されました。

そもそも、盆踊りの歴史は室町時代から始まりましたが、時代の変化にともない500年の歴史を重ねていく盆踊りに合わせるように「東京音頭」が誕生。東京愛が詰まった”新民謡”として、盆踊りに新しいスタイルを提案したのが「東京音頭」です。

今もなお歌い継がれる「東京音頭」

「東京音頭」がリリースされてから間もなく90年が経とうとしていますが、盆踊り以外のシーンでも「東京音頭」の歌詞やメロディが聴こえてきます。さらには、現代版にアレンジされた「大江戸東京音頭」などの平成バージョンも登場します。

スポーツの応援歌

プロ野球チームの「ヤクルトスワローズ」のファンが、”打倒11球団”とスワローズの優勝のために有志によって作られた応援歌です。前奏の部分を「東京ヤクルト」と繰り返し歌い、続けて「東京音頭」の1番を口ずさみながら開いた傘を上下に振ります。

平成版のアレンジバージョンも

東京音頭をアップテンポの民謡調にアレンジした「大江戸東京音頭」。正式名称は『東京音頭・平成版「大江戸東京音頭」』といい、東京はもちろん全国まで波及しています。大江戸東京音頭には、「正調」と「盆踊り」の二つの振り付けがあり、NPO法人「大江戸東京音頭連」が町おこし、市民交流・国際交流の一環として普及に努めています。

まとめ

思わず口ずさんでしまう「東京音頭」。経済振興、地域再興を意図した作曲・作詞や、野球の応援歌にも使われている「東京音頭」は、盆踊りの定番曲として子供から大人まで多くの世代から親しまれています。盆踊り会場で「東京音頭」が流れたら、友人や家族にうんちくを披露してみてください!

この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
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