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ひょうげ祭り。文化継承を根本に持ちつつも、人々が楽しめるお祭りに。

2022/8/30
2024/2/29
ひょうげ祭り。文化継承を根本に持ちつつも、人々が楽しめるお祭りに。

今から300年以上も前に始まったとされる牧歌的な祭り「ひょうげ祭り」。新池を築くことで水不足に悩む浅野村(現在の香川県高松市香川町浅野)を救ったとされる矢延平六を祀る新池神社の神事で、その命日(※1)とされる旧暦の8月3日に毎年行われています。
新型コロナウイルスの影響で3年ぶりの開催となるひょうげ祭り。浅野地区の人々にとってのハレの日であるこのお祭りに対する思いや、後世に伝承する仕組み、今後に向けての展望などについて、香川町ひょうげ祭り保存会会長・上原勉さんにお話を伺ってきました。
(※1)矢延平六が冤罪により追放された日とする説もあります。

上原勉会長

上原 勉(うえはら つとむ)

1942年香川郡浅野村(現高松市香川町浅野)生まれ。香川町浅野土地改良区理事長、香川町ひょうげ祭り保存会会長。 地元に生まれ、幼少の頃よりひょうげ祭りとともに育つ。地域の農業振興のために尽力し、近年では新池に日本最大級の水上式メガソーラーを誘致。また、自分の畑を一面のコスモス畑にするという遊び心も併せ持つ。

―― 上原さんは生まれも育ちも浅野地区と伺ったのですが、地元の人から見たひょうげ祭りはどのようなものなのでしょうか?

上原さん「私が子供のころは本当に地域に根差した祭りで、今のように県内外から観光客が来るようになったのは随分経ってからですね。お祭りの日になると朝から楽しくて、浮かれて遊んでいたら『祭りは昼からだろう!』と親に叱られ農作業を手伝わされた記憶があります。昔は今のようにいろんな娯楽があるわけじゃなかったので、ひょうげ祭りは本当に楽しみでした。 今の農家も大変ですが、その頃は手間暇も今の何倍もかかり、天候によっては報われないこともありました。普段から溜まっているものをお祭りで発散するハレの日だったんじゃないでしょうか。」

―― 文化的な見方としてはいかがでしょうか?

上原さん「どうでしょうね、もの心ついた頃から身近なものとしてありましたから。言い伝えとしてひょうげ祭りの起源などは耳にしましたが、文化的なものとして捉えることはあまりなかったですね。昭和40年に香川県の指定有形民俗文化財に指定されて初めて『そんな大層な祭りだったのか』と皆で感心したぐらいでしたから(笑)」

上原会長

―― そうすると、上原さんが幼少の頃と今では「ひょうげ祭り」に対する人々の意識や思い入れも随分変わったのでしょうね。

上原さん「昔の農家は本当に大変だったので、ある意味『溜め』を発散するのがお祭りでした。今は、農業自体も機械化され、いろんな娯楽も身近にありますから『溜め』というものがそれほどないように思います。そうなると、お祭りを残していくためには『楽しさ』も必要になってくると思います。 半面、人々の生活にゆとりが出てくると『文化的価値』についても目を向ける余裕が出てきます。昔のように日々ギリギリの生活をしていたのでは文化は育たない。そういう意味では、文化継承を根本に持ちつつも、人々が楽しめるお祭りにしようという雰囲気を感じますね。」

町内2kmに渡って神輿と共侍たちが練り歩く「渡御」が行われる農道。のどかな田園風景が広がります。町内2kmに渡って神輿と共侍たちが練り歩く「渡御」が行われる農道。のどかな田園風景が広がります。

―― 文化継承という言葉が出たところでもう少し深堀りしたいのですが、具体的に次世代へ伝える活動などは行われているのでしょうか? 小学校の授業の一環でひょうげ祭りについて学習する場があると聞いています。

上原さん「記憶が定かではないのですが、あれは保存会ができた平成7年頃でしょうか。保存会を立ち上げた人たちと浅野小学校の先生たちとで地元の伝統文化を子供たちに伝えていきましょうという話になったようです。今では、授業で浅野村を水不足から守った矢延平六や、その感謝を伝えるひょうげ祭りについても勉強していると伺っています。また、本番のひょうげ祭りにも参加してくれるんですよ。」

―― 知識的なものは学校で教わり、人とのふれあいや祭りの熱気などの肌感覚は地域の大人たちが身をもって伝えていくという、理想的な伝承がなされているんですね。

上原さん「お祭りを通じて地域の子どもたちが大人たちと接して、いろんな話をしている。この対話や共感、そしてそれらが楽しい思い出になることがやはり大切なんだと思いますね。」

上原会長

―― ひょうげ祭りを継承するために今後さらに必要なことなどはありますか?

上原さん「これは私個人の考えなのですが、学習や体験、言葉による伝承など無形のものも大切ですが、なにか拠り所となる有形のものができればいいと思っています。例えば『ひょうげ祭り会館』のようなものでしょうか。また、地元だけでなく、外の人たちに向けての広報活動も必要だと思います。ひょうげ祭りの魅力を伝えていきたいですね。」

上原会長祭りのクライマックスである神輿を池に投げ込む場所、新池に何の案内もなく観光客が迷っている姿を見て、上原さんが奔走して建てたというひょうげ祭りの大きな看板。外の人に向けての広報も大事だといいます。

―― そして、3年ぶりに行われるひょうげ祭りですが、今のお気持ちはいかがですか?

上原さん「やはりコロナでお祭りが開催されないもどかしさはありましたね。でも、その分、ひょうげ祭りの実行委員も刷新したことですし、皆今年は張り切っていると思います。」

―― 感染症対策についてはいかがですか?

上原さん「細かい決め事については実行委員会で協議中なのですが、当たり前の感染予防は当然行う予定です。また、暑い時期に屋外で行うお祭りですから、熱中症対策や緊急時の救護体制についてもしっかり行いたいですね。」

―― 最後に、ひょうげ祭りに参加される観光客の皆さんにメッセージなどございましたらどうぞ!

上原さん「観光客の皆さんに対しては感謝しかないです。今は神輿渡御の列に参加することはできないのですが、我々も皆さんが『来てよかった』と楽しんでいただけるよう努力しますので、沿道で一緒に『ひょうげ』ながら一体感のあるお祭りを楽しみましょう!」

【編集後記】

詳細については他の項に譲りますが、ひょうげ祭りの起源となる矢延平六にまつわる言い伝えについては並々ならぬ思い入れがあるようで、自身で考察した推論も含めてかなり長い時間語っていただきました。
また、祭りのあり方や今後に向けての展望などについても語りつくせない様子で、上原会長の熱い思いがひしひしと伝わってきました。

今回のインタビューに先立ち行われた実行委員会の会合にも参加させていただいたのですが、熱い思いを持っているのは上原会長だけじゃない。実行委員会をはじめ、地域の皆さんがひょうげ祭りを成功させよう、観光客に楽しんでもらおう、子供たちに思い出を作ってもらおうと真剣に意見を交わす姿に心を打たれました。

ひょうげまつりの「ひょうげる」とは、おどけるとか滑稽といった意味なんだそう。手作りの衣装や武具に身を固めてひょうげる楽しいお祭りにぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

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