福島県福島市松川町で活動する金水晶酒造店。明治28年に創業し、現在に至るまで多くの方々に向け、日本酒を提供してきました。そんな金水晶酒造店は、地元の方々に飲まれ親しまれるだけでなく、御神酒として祭りとも深い関係を持っているといいます。
今回は金水晶酒造店の代表・斎藤美幸さんに、金水晶酒造店や祭りとの関係、これからについてお話を伺いました。
目次
1.旅籠から酒造へ 地元の歴史を刻んだ“金水晶”の名
金水晶酒造店が創業したのは1895年、明治28年のこと。それ以前から斎藤一族はこの地に移り住んでおり、記録では1300年からの変遷が残っているとのことです。
直近に行っていたお仕事は旅籠(はたご)。「蝋燭屋(ろうそくや)」という屋号で現在でいう旅館施設に近い業務をされていたそうです。
「酒蔵を造ったのは曽祖父の時代のことです。その頃というのは、近代化が進んだ時期で、交通機関も大きく発達しました。そのため、これまで宿場町として栄えていた場所は、鉄道などで通り過ぎられてしまう土地となってしまったんです。」
現在、金水晶酒造店が拠を構える福島市松川町も、交通網の発達によって通り過ぎられるようになってしまった土地の一つでした。結果、曽祖父の経営していた旅籠は大変厳しい状況に立たされることに。
「しかし曽祖父には、既に妻も子どももおり、なんとか苦境を乗り切る必要がありました。そこで曽祖父が考えついたのが、酒造りを始めることだったんです。当時は明治維新で人々の生活様式が変わりお酒の需要が爆発的に増えた時期でした。」
こうして金水晶酒造店の前身となった蝋燭屋酒造店酒蔵がスタート。その酒蔵はやがて金水晶酒造店と名を変え、以来200年近く活動を続け、現在は4代目の斎藤美幸さんが代表を勤めています。
金水晶酒造店の名前は、福島市松川町の環境に由来します。というのも昔、松川町では『金』を採取でき、一つの地場産業となっていたのです。『水晶』は水晶沢という沢から来ています。こちらは水晶のように透き通った水が湧いており、かの明治天皇もそのおいしさを褒め称えたと言われるほどの名水なのです。
日本酒を醸造するようになったのちは、そのお酒を氏子でもある諏訪神社の例大祭に御神酒として奉納しているそう。
【福島の酒 本醸造】として市販もされているこのお酒は、福島市唯一の造り酒屋であることを活かすため、飲み手を選ばない、すっきりとした水のような飲み口に仕上がっています。
「地元の方々からは“お祭りで見たお酒”として記憶していただいている」と、美幸さんは話してくれました。
2.「他の誰でもない自分自身が嫌だった」 承継のきっかけ
美幸さんが承継を決めたのは、2015年春のこと。それまではお父様が代表を務め、厳しいながらもなんとか持ち堪えている状況だったといいます。
「日本酒業界の規模は、今や最大時の1/4にまで縮小しており、また交通網の発達から日本中で、地酒が飲めるようになっています。こういった理由から当時はレッドオーシャンと言っていい状況でしたし、今もそうです。だから当時、私は蔵を継がない選択をし、父もそれを止めませんでした。
ところが、ある日、その状況を大きく変える光景を目の当たりにしたんです。ある冬の、吹雪の日のことでした。隣にある霊山町の方々が、トラックにタンクを積み、自分達の地域に湧く水をタンクに入れトラックでうちへ運んできて下さっていたんです。」
実は霊山町の方々は『地元のもので造った酒が飲みたい』といった理由で、20年ほど前から地元の米、地元の水を使ったお酒の醸造を、金水晶酒造店に依頼していたのです。美幸さんはたまたま、実家に帰っており、搬入の様子に居合わることとなりました。
その光景を見た瞬間に、美幸さんは「うちが廃業したらこの方達はどうするのだろう?」と考えたといいます。
普通に考えれば別の蔵に頼むだろうけど、近隣には蔵がないからもっと遠くの蔵に頼むことになるかもしれない。
もしかしたら、うちの廃業がきっかけで“地元の酒”を造る風習がなくなり、祭りにはどこか別の場所の原料を使い、別の場所で醸されたお神酒が用いられるようになるかもしれず、それは隣町だけではなく、自分の住む福島市でも同じかもしれない……。
一瞬のうちに様々な考えが駆け巡り、そしてある結論が導き出されました。
「『本当に金水晶酒造店がなくなってしまっていいのか?』と考えたとき『他の誰でもない私自身が嫌だ』と思ったんです。地元の祭りに使われるお酒は、地元のつくり酒屋で造ってもらいたい。そうして私は、これまでの考えを改め、蔵の承継を決めました。」
3.理念をアップデート 故郷の誇りを伝える酒造り
承継後に美幸さんが行っていったのは、お酒への考え方を現代に合わせてアップデートすることでした。
「父は昭和の職人気質で、活動目標も『おいしいお酒を安く造って、広く飲んでいただき、皆さんに喜んでいただく』というものでした。確かにそれは素晴らしい考えだと思うのですが、現代では、物が不足し酒も足りていなかった時代と比較すると生活水準が向上し、安いお酒も広く行き渡っています。そのため、父の想いを現代に合わせてアップデートし、新たに『地元、故郷のほこりを伝える酒』として、酒質の更なる向上や、価格の改定、ラベルデザインの変更、広報活動の積極化などを行い、金水晶酒造店のブランディングを進めていきました。」
美幸さんの取り組みの中で特徴的な歩みを重ねてきたのが、黒いパッケージの【金水晶 大吟醸】と白いパッケージの【金水晶 純米大吟醸】。
黒いパッケージの【金水晶 大吟醸】は造り酒屋としての技術を追求し、令和3年の全国新酒鑑賞会では金賞を受賞。また令和4年には県最高位の福島県知事賞も受賞しています。加えて過去には、2019年に行われた G20大阪サミットでも各国の代表へ提供されており、日本を代表する大吟醸酒といえるほどのお酒なのです。
酒造米の最高峰・山田錦の中心部のみを使い低温でじっくり発酵させたことにより、ふくよかな味と果物を思わせる、芳醇で澄んだ香りが楽しめます。
一方、白いパッケージの【金水晶 純米大吟醸】は、美幸さんが家業を継いでから仕込み始めた、地元に密着した造り酒屋としての道を追求した品。
福島盆地特有の暑い夏と東北地方特有の寒い冬が育てた、香味豊かなお酒です。福島県の農家が育てた酒米を使用し、福島県独自の酵母で醸された、まさに福島尽くしの逸品なのです。
4.福島の魅力を酒伝える造り 金水晶酒造店のこれから
これからについて伺うと、美幸さんは次のように話してくれました。
「まだ蔵を継いで6年ですが、積み重ねられてきた想いを大切にしながら、私なりに酒造りの意義をつきつめ『地元の誇りを伝える酒』となるべく、活動を行ってきました。
すると、私の姿を見ていられなくなったのか、今度、長男が蔵に帰ってくることになったんです。いま彼と私とで考えているのは、福島の誇りである“桃”を使ってなにか、仕掛けられないか?ということです。」
「桃の旬は夏なのですが、本当に一時期しか流通しないんですよね。逆に日本酒造りは、夏は閑散期となり、冬に繁忙期を迎えます。農家と酒屋、地元の生産者が協力することで何か新しい価値が生み出せないかな?と今、色々と考えているところです。
伝統を大切にしつつ、これまで馴染みのなかった方々にも日本酒を楽しんでもらえるような、新しい商品の開発にチャレンジしていきたいと思っています。日本酒蔵として、時代に合わせた進化をしていきたいですね。」