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釜石まつり 虎が海で舞う!港町の勇壮な祭りをレポート

2022/11/24
2022/11/24
釜石まつり 虎が海で舞う!港町の勇壮な祭りをレポート

2022年10月14・15・16日、岩手県の沿岸部に位置する釜石市にて、3年ぶりとなる釜石まつりが開催されました。露店の若干数の減少を除いては、ほぼ例年通りの規模で復活です。

活気ある港町×郷土芸能の宝庫岩手!この二つが組み合わさるお祭りなので、面白く無いワケが無い!
この記事では2日間の行事に終始密着してその様子をお届け。まつりをとことん楽しめるようにレポートします。

神様が海を渡る!釜石まつりとは?

昭和42年に、釜石の守護神である尾崎神社と、製鉄所の守護神である山神社の二つの例大祭を合同で開催したのが始まりです。なぜ製鉄所なのか?それは長くなるので最後の見出しの方で説明いたします。
日ごとに内容が異なり、初日は神事のみ、2日目が曳き船祭り、3日目が神輿渡御(みこしとぎょ)となります。

三陸海岸総鎮守 尾崎神社(里宮)

尾崎神社は、本宮・奥宮・奥の院・里宮の4つに分かれ、市街地を見下ろす山に里宮、釜石湾の南に位置する青出浜に奥宮があります。ご神体は、普段は奥宮に祀られていますが、お祭りの2日間だけ里宮にお召し、踊りなどを披露します。

その為、1日目の曳き船祭りでは、奥宮の神様をお迎えに上がります。青出浜に通ずる道路は無いので、魚市場より船でお伺いするのです。

海で虎が舞う!曳き船まつり

10月15日の朝、岩手県花巻市から繋がるJR釜石線に乗り、釜石駅に着きました。お出迎えしてくれるイラストの中にも釜石まつりに登場する虎舞が描かれています。

釜石まつり自体は3年ぶりですが、この”曳き船まつり”は19年は台風の為中止になった為、実に4年ぶりの開催です!大量の大漁旗が圧巻です。

10時。奥宮に鎮座されている神様をお迎えに、魚市場から出航します。

ほんと、のどかな三陸の海

正午過ぎ。神様を乗せた船団が、港へ戻ってきます。(背後に見えるのは釜石大観音)

いよいよ、船の上で勇ましく踊る虎舞の始まりです。
船頭で勇ましく出で立つ姿がカッコいい!

只越(ただごえ)虎舞は、唯一の白虎もいます。

よく見ると、虎の顔がちょっとずつ違います。

港内を3周するので、シャッターチャンスはたくさんあるのです。

平田虎舞は岸壁ギリギリでサービス披露!(1本目)
只越虎舞はいきなり急加速!(2本目)

 

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港内のパレード終了後は、奥宮よりお召しした神様を尾崎神社里宮に奉還し、例大祭が行われます。

なぜ岩手に虎が?勇壮な”虎舞”(とらまい)。そのルーツとは

「虎って、もともと日本に生息してないよね?なぜ虎の踊りが昔からあるの?しかも岩手で?」

疑問ですよね。本物の虎が日本に来たのは、江戸末期(1861年)に興業用の見世物として渡来したのが最初ですし。

そのルーツの秘密は、釜石の南隣の気仙地域が造船技術が全国屈指であったことと、江戸との間を千石船(せんごくぶね)で交易していた港町ならではの環境にあります。

復元された千石船 気仙丸(けせんまる)復元された千石船 気仙丸(けせんまる)

江戸時代中期に、千石船の乗組員が江戸で観た歌舞伎芝居「国性爺合戦」の虎退治シーンに感激し、故郷である三陸で再現したのが始まりと言われています。「国性爺合戦」は、舞台が明の時代の中国なので、虎がいたのも頷けます。

「虎は千里行って千里帰って来る」とのことわざがあり、毎日漁に出て無事に帰って来たいという漁民の願いとマッチし、周辺漁村に広く伝わってゆくことになります。

当時は本物の虎が分からないので、権現頭を虎風に模したものを使っていましたが、大正時代より愛嬌のある虎頭が製作され、軽量化したことにより激しい動きが可能になり、現在のような活発な舞へと進化していきました。

虎は笹竹が好物と伝えられたので(パンダかっ!)笹の葉を食べる演目もあります。

駅前のマンホールにも虎舞が描かれています。

二つの御神体がお通りに!神輿渡御

さて日曜。お天気に恵まれました。各団体の屋台も集結しています。

各々、とても精巧な作りで美しい。

尾崎神社・山神社双方の御神体が、渡御出発地である消防署前に着いておられます。

出発に先立ち、合同神事が執り行われます。

12時10分、いよいよ渡御出発です。ここから大町通りへ進んでいきます。

獅子踊りも出発

御神体は最後に出られます

屋台行列のお囃子が通りを進む風景は、とっても華やかで楽しいです。

大町通りでは、踊りながら移動します。子供たちも楽しそう!

台村虎舞

東前太神楽

13時、ご神体が神社前でご休憩するにあたり、各屋台が囲んで迎え入れます。

13時10分から約30分の間、大町通りにて、各団体が場所を変えながら演舞をします。
なので観覧チャンスは数回あります!

平田虎舞

猫のようにじゃれ合ったりします

可愛らしい子虎もいるのです。

東前太神楽

小川獅子踊り

遠野地方(釜石の西隣の山間地)で有名な獅子踊りが、釜石でも踊られています。

大町での演舞終了後は、還御式(かんぎょしき)が行われる魚市場へ移動します。
何と!そこまでは交通規制が敷かれないため、車が除けながら走るスタイル。

神様がお帰りになる 神輿還御式

2日間を里で過ごした尾崎神社の神様が、再び船に乗り、奥宮へと帰られます。
還御式が行われる魚市場には、魚河岸テラスが併設されており、地元の海鮮グルメを味わったり、お土産を買う事が出来ます。

海を眺められるテラスもありますが、お祭り期間は立入禁止です。港を守り続ける神様を上から見てはならないのです。

地元産品を使ったジェラートも食べられます。

各団体の屋台が続々と、魚市場に到着します。

14時20分、ご神体が入られます。みな一斉に歓迎!

尾崎神社・山神社 双方の御神体の前で、それぞれが舞いを披露します。

15時10分、尾崎神社の御神体が奥宮へと戻られます。

船が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けます。

海も街も、威勢の良いお囃子で賑わい、爽快な活気であふれる港の祭り、本当に楽しいです!

日本初の近代製鉄に成功 鉄の街釜石

本記事の冒頭で釜石まつりが「製鉄所の守護神である山神社」の例大祭を由来としていることをお伝えしましたが、最後にそのような神様が祀られている背景となる、「鉄の街釜石」の歴史を解説します。

釜石市は、幕末の地質調査により鉄の鉱脈が発見され、鉄鉱石の採掘が始まりましたが、日本古来の製鉄法だと量も質も劣っている為、効率的な高炉開発が求められました。
そこで盛岡出身の学者 大島高任(たかとう)氏が、江戸や長崎で西洋の先進技術を学び、釜石市大橋に日本初の洋式高炉を建設。1858年(安政4年)、出銑(しゅっせん:溶解状態の鉄を取り出すこと)に成功します。
ここから日本の近代製鉄が始まり、釜石は日本唯一の、”原料現地調達”の製鉄所として鉄を生産し続けます。明治末期に九州の八幡製鉄所が増産するまでは国内の過半数のシェアを誇り、その運搬の為に、東京・大坂に次いで国内3番目の鉄道が敷かれました。

しかし昭和後期になると、海外産に比べてコストが高い事から合理化が進み、鉱山の採掘は終了。
製鉄所の高炉も解体されましたが、施設を線材工場として利用し、現在も稼働しています。

こうした鉄の歴史を学べる鉄の歴史館があるので、ぜひ訪れてみて下さい。釜石駅よりバスで10分です。

釜石へのアクセス

車の場合
仙台方面から
仙台東I.C~釜石中央I.C 約3時間

公共交通機関利用の場合
東京方面から
JR東北新幹線(はやぶさorやまびこ) 東京~新花巻 約2時間40分~3時間20分

JR釜石線(快速はまゆり) 新花巻~釜石 約1時間30分
[新花巻駅での釜石線への乗り換えは、一度改札を出て200メートル歩きます]

曳き船祭り会場の魚市場は、バス(東前行き)で7分

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