2019年からスタートした、観光経済新聞のオマツリジャパンコラム記事連載!2022年も「お祭り」をフックに、旅に出たくなる記事の連載をして参ります!奇祭好き、ケンカ祭り好き、お神輿好き…等、様々なライターさんに記事を執筆いただく予定ですので、ぜひご覧ください♪(オマツリジャパン編集部)
復活した雨乞い踊りの最終形
京都府唯一の村で、山の斜面を利用した日本茶や紅茶の生産で知られている南山城村。ここでは、毎年、文化の日(11月3日)に雨乞い踊りのおまつり「田山花踊り」が開催される。
この地方の雨乞いには14段階あり、全てを行うと40日以上かかった。その規模が、昔の農村での雨への切実な願いを物語っている。花踊りは、14段階の最終にして最高の儀式で、雨が降ったお礼を兼ねていた。
確認されている田山花踊りの最古の記録は1773年のものだ。以降続けられていたが、次第に衰退し、1924年を最後に一時途絶えた。中断後も、祝いの席では唄い継がれていた。復活の機運が高まり、1963年に保存会が結成され、記録を頼りに、中断前に残っていた唄全てを復活させた。
主役が着る友禅織りの衣装は、染色家、皆川月華に依頼して、花踊り復活時に新調したものだ。さらに、私が行った2016年に、1963年復活時の衣装が復元、披露された。衣装には、田山に流れる名張川の秋の風景が織り込まれている。
まつり当日、午後1時に旧田山小学校校庭で演技が開始、小学生による「いりは太鼓」に続いて、お囃子(はやし)歌に合わせ、円陣を組んで「愛宕(あたご)踊り」が披露される。神社へ向けて100人規模の踊り行列が始まり、太鼓とホラ貝が響く。藍染めの茶摘み衣装を着たササラすりの子らが掛け声をあげる。すげ笠に金紙をたらした「唄付け」の姿が印象的だ。
午後2時から諏訪神社の境内で、愛宕踊りが披露される。選ばれた小学生が太鼓に登って、まつりの由来を説明する口上を暗唱した後、御庭踊りが披露される。青年たちは背中に背負った2メートルある竹飾りを庭にこすったり跳ねたりして、激しく踊る。踊りの後、餅投げが行われる。私が見た年は、むき出しの状態で紅白の餅がたくさん飛んで来て、なかなかワイルドだった。
2021年はコロナで中止となったが、22年の秋の開催を集落の人たちとまだ新しい衣装が待ちわびていることだろう。