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興福寺とは?多種類の御朱印が頂ける平城京の寺院に漲る1300年を超える歴史

2021/12/22
2021/12/22
興福寺とは?多種類の御朱印が頂ける平城京の寺院に漲る1300年を超える歴史

種類豊富な興福寺の御朱印

全国各地の神社や寺院では参詣の記念に御朱印を頂くことができます。朱印帳に訪れた神社や寺院の御朱印が並ぶと、貴重な思い出となり写真とは趣の異なる味わいが滲み出てくるものでしょう。

奈良市に堂宇を構える南都七大寺の一つ、興福寺の御朱印は種類豊富です。境内中央の中金堂と東金堂に挟まれる勧進所では、「令興福力」、「千手観音」の文字が記された御朱印を頂くことができます。いずれの文字も太い線で流れるように書かれ、エネルギーを頂くことができそうです。南円堂の御朱印には西国第九番の朱印が押されます。他にも藤原鎌足のご詠歌「頼もしく あゆみをはこべ ひとことの ねがひもすてぬ ちかい今せば」が、和かな書体で詠みこまれる御朱印も準備されています。

「令興福力」の文字が記される興福寺の御朱印

「千手観音」の文字が記される興福寺の御朱印

興福寺南円堂の御朱印

藤原鎌足のご詠歌が記される興福寺の御朱印

東金堂から眺める中金堂と勧進所

勧進所内

南円堂の御朱印受付

各々の御朱印窓口に並ぶオリジナル御朱印帳もバラエティー豊かです。

オリジナル御朱印帳

オリジナル御朱印帳

オリジナル御朱印帳

オリジナル御朱印帳

オリジナル御朱印帳

669年に創建されたと伝わる興福寺

興福寺は、669年に藤原鎌足が重い病気を患ったときに、夫人の鏡女王が夫の回復を祈願して京都に建立した山階寺を前身としています。672年の壬申の乱の後、奈良に移築され厩坂寺と名付けられました。その後の710年の平城遷都の際に、藤原不比等が平城京左京の現在地に移転し、興福寺と改名されたのです。

広大な敷地に建ち並ぶ堂宇の中でも中心となるのが中金堂です。藤原鎌足の願いであった釈迦三尊像を安置するため、平城京遷都の直後に造営が始まったと推定されています。創建から6度の焼失、再建を繰り返し、現在の建物は2018年に復元されたものです。

境内案内図

中金堂

中金堂

広々とした境内に建立される東金堂、五重塔、南円堂

中金堂の東側には聖武天皇が、726年に東金堂が建立しました。創建以来5度も被災し室町時代の1415年に、前面を吹き放しとした寄棟造りで再建されています。創建当初の奈良時代の雰囲気を色濃く残す堂内には、本尊薬師如来坐像を中心に、日光・月光菩薩立像、文殊菩薩坐像、維摩居士坐像、十二神将立像、四天王立像などが安置されています。

東金堂

東金堂内

東金堂の南に並び建つのが五重塔です。730年に藤原不比等の娘、光明皇后の発願で建立されました。その後、焼失、再建を繰り返し、1426年頃に再建された塔が現在に残っています。古都奈良を象徴する建物となっており、五重塔としては国内で京都の東寺に次いで2番目に高い塔です。

南北に並び建つ東金堂と五重塔

五重塔

五重塔から中金堂前の参道を南に向かうと南円堂に突き当たります。813年に藤原冬嗣が父の内麻呂の追善のために建立したと伝わります。基壇築造のときには地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら作業が進められたことが発掘調査で明らかになっています。現在の建物は、1789年に再建されたものです。

南円堂

一年を通して行われる多種多様の年中行事

1300年を超える歴史を繋ぐ興福寺では、一年を通して多種多様の年中行事が行われています。3月の「三蔵会」、4月の「仏生会」、「放生会」、「文殊会」、7月の「弁財天供」、10月の「塔影能」、「大般若転読法要」では日本の伝統文化が語り継がれます。中でも5月第3金曜日と第3土曜日に南大門跡の「般若の芝」で催行される「薪御能」には、金春、金剛、宝生、観世の四座が一堂に会します。

南大門跡

奈良市の興福寺では種類豊富な御朱印を頂くことができます。広々とした境内では、中金堂を中心に東金堂、五重塔、南円堂などの堂宇が1300年を超える歴史を漂わせています。

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