郷土芸能を次の世代にしっかりと繋いでいくために、私たちは何ができるだろうか?担い手不足に悩む地域の方も多いはずだ。
2023年1月2日、長野県北佐久郡御代田町塩野地区を訪れた。きっかけは、獅子の歴史を地域の皆様や子どもたちに伝えたいという地域の方からのご連絡をいただいたことだった。
その時に獅子舞の話も伺ってみると、新型コロナウイルスの流行を機に、家を一軒一軒門付けして回るのではなく、地域の主な拠点を回る形に変えたらしい。その結果、地域に住む方々がお正月の2日に集う場もできたようだ。他にも子どもたちが獅子舞に参加したくなるにはどうすればよいかを考え、様々な工夫をされていてとても驚いた。
全国の郷土芸能団体の皆様に継承のためのヒントとしてぜひ参考にしていただきたいと感じ、この記事を書くことにした。
獅子舞が繋がれてきた歴史
御代田町は浅間山南山麓に位置する。1400年以上の歴史がある真楽寺などが有名で、町の歴史は非常に古い。今回訪れた塩野地区の獅子舞の始まりは定かではなく、大正年間までは1月15日に道祖神場の前で大人が担い手となり悪魔払いの獅子が舞われたと言われる。御代田町は周辺地域も含めて道祖神の信仰が盛んであり、道祖神の前で演舞を実施するのは他県から見れば珍しい特徴である。
昭和初期ごろから獅子舞の担い手は子どもたちに変わり、2~3日かけて個人宅を回るようになった。しかし令和2年からのコロナ禍の影響で、獅子舞の方向転換が再び必要となる。令和3年の獅子舞は中止せざるをえず、翌年令和4年の獅子舞からは各戸を訪問していたのを道祖神含めた地区内4箇所の拠点で舞う形に変更。獅子舞の歌は生声で歌うのではなく、カセットテープに吹き込んで流すということも始めた。
また令和5年の獅子舞に向けて、令和4年の反省会を開くと共に、獅子頭の修復を行ってきた。コロナ対策をするとともに、時代に合った獅子舞の形を模索している最中のようだ。
獅子舞が町を巡り舞う
令和5年1月2日、獅子舞を見学させていただいた。地区内4箇所の拠点回りが行われたので、その時間と場所をここで記しておこう。舞場は道祖神のほか、消防団詰所、公民館、集会所ということで公共施設が中心だ。午前中2時間のみで完結するコンパクトな獅子舞となった。約20分間隔で各拠点を回り、塩野公民館で10分間の休憩が入った。
10:00〜10:20 西田の道祖神前
10:30〜10:50 消防団詰所前
11:00〜11:30 塩野公民館前
11:40〜12:00 第一集会所前
各所では獅子舞が行われる前に、まず地域住民が500~1000円ほどご祝儀を包んで、受付の人に渡すところから始まる。ご祝儀と引き換えに飴や御幣の切れ端をいただくことができるのだが、この御幣の切れ端は囲炉裏の自在鉤に吊るしておくと火の神となる由来を持つ。
ただ現代では囲炉裏が存在しない家も多いため、好きなものを一枚ひいて神棚に供える風習となっている。飴については風邪を引いた時に舐めると治るという話が伝わる。
それから区長さんの挨拶があり、簡単に獅子舞の歴史に関するお話が行われる。そして御幣を持っている子どもたちが頭を下げる観客をお祓いして回っていく。
それが終わるといよいよ2頭の獅子が太鼓とカセットテープの唄に合わせて舞う。場所によっては舞いを2度繰り返す所もある。
その後に頭噛みや記念撮影が行われ、この一連の流れが4拠点で実施された。また、獅子舞が終わった後はお昼から30分程度、獅子舞の振り返り会が行われて終了となった。
地域交流とコロナ対策の両立
獅子舞を拝見して、まず徹底的に地域交流が模索された獅子舞だと感じた。各拠点では演舞後に毎回、集合写真を撮ったり、記念撮影をしたりする地域住民の姿が見られた。また獅子頭で頭を噛んだり、御幣でお祓いをしたりという姿も印象的だった。
全国を見渡せば、50代以上のお年寄りが神社での奉納のみをするような極めて神事に近い獅子舞もあるので、それとは対照的に住民に開かれた獅子舞のようにも思える。
コロナ禍以前は家を一軒一軒回り、鬼門の場所から大幣を持ってお祓いをするとともに、疫病退散の獅子舞を実施してきた。世帯数も多いので2班に分かれて獅子舞をしてきたそうだ。そうなると、相対的に一箇所に集まる人の数は少なくなる。
しかし今回は町内の主要拠点で回る形に変えたことで、町の皆が顔を合わせることができ、正月の賑わいが生まれたという。普段の獅子舞は家の中まで入るような所作があるため、それを外で行える点でコロナ対策にもなった。
大人が子どもから助言をもらう
また、獅子舞を拝見していて、子どもたちが徹底的に参加しやすい獅子舞だと感じた。舞い方自体はそれほど複雑な所作がなくてシンプルだ。演舞も掛け声も全て子どもが担当する一方で、お菓子やお年玉も渡されていた。このように子どもが責任を持って取り組む一方で、参加しやすくなる工夫がたくさんあるのだ。
加えて驚いたのは、獅子舞を実施した後にお昼から30分程度の振り返り会が行われたことだ。大人が子どもに「獅子舞をより良くするためにはどうしたらよいか?」という意見を求める場となった。
大人が子どもに獅子舞を教えることはあっても、大人が子どもに助言を求める機会は郷土芸能の世界においてなかなかない。子ども目線でどんどん新しいやり方を模索していくことは郷土芸能の継承という点で非常に大事なことだと気付かされた。
例えば今回、太鼓は最小学年の小学5年生が担当した。その理由は獅子の中に入ってしまうと周りが見えないが、太鼓を叩くということは周囲の状況を見てタイミングを計り、先輩たちの舞う獅子をしっかり見られるからとのこと。将来自分たちが獅子を担うためにこの経験が必要で、次世代を担う最小学年に夢を託したのだという。
「太鼓は重くなかったかな?」という大人の質問に、小学5年生の子どもたちは「思ったよりは重かった」とか「2人ペアで交代にしたら大丈夫だったが、1人で持ってたら重かったと思う」などと答えていた。なるほど、小学5年生にとって太鼓は重いけれど、2人ペアで交代しながら叩けば体力的にきつくないというわけだ。
獅子舞の運営にはPTAが関わる
この獅子舞を運営する組織の形態もとても興味深い。保存会が令和4年になくなり、今回の獅子舞からは区や小中学校のPTAが共に歩みながら実施に至ったようだ。この形態で獅子舞を運営している例は全国的にも珍しい。運営にPTAが関わっているのは、やはり子ども主体の獅子舞であることを考えてのことだろう。
地域の方に担い手募集に関して、お話を伺うことができた。「今年の担い手は小学5年生から中学3年生までで、合計27人です。獅子舞の担い手募集に関わっているのは小・中学校のPTAの役員さんで、学校で獅子舞に出たい人を募集するお便りを配ってもらっています。様々な場所に巣立っていく子どもたちにとって、御代田町塩野がいつでも帰ってこられるふるさとであることを目指しており、獅子舞をすることでふるさとの良き思い出を作ってほしいです」と、想い溢れるお言葉をいただいた。
時代に合った獅子舞の形とは?
獅子舞の振り返り会の終了後、区長の内堀泰行さんに今年の獅子舞を実施した感想を伺うことができた。
「コロナ禍になる前までは、今までのものを引き継ぐことをただやってきただけでした。しかし、コロナ禍になって生活様式が変わり、獅子舞をもう一度見直すきっかけになりました。昔は襖を取っ払ったり布団を押入れに入れたりすれば広い空間ができましたが、今はベッドを置いて空間が狭くなり個室という考え方も生まれています。だから玄関から家の中まで入ってくる獅子舞は生活様式とのずれを感じることもあります。だからこそ今回のように拠点のみの獅子舞にしたのです」とおっしゃっていた。
ある時代に正しかったことに固執すれば、時代に取り残されることもある。変えるところは変える、継続することは継続するという判断が大事だ。これは地域によって正解が異なるからしっかりと向き合って考えねばならない。
内堀さんは最近獅子頭の全面修復が行われたことに関して「子どもたちのモチベーションを上げて、獅子舞への愛着を持ってもらうためです」とお話をされていた。
今回の取材を通して、子ども目線で繋がれていく獅子舞の素晴らしい事例に出会うことができた。郷土芸能の継承に悩む全国の担い手にぜひ届いてほしい。
<参考文献>
御代田町誌編纂委員会『御代田町誌』1996年3月
小林幹男『祈りの芸能 信濃の獅子舞と神楽』2006年8月