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【向島百花園梅まつり】江戸時代から文人墨客のサロンとなった日本庭園を彩る梅の花

更新日:2020/8/29 obaq
【向島百花園梅まつり】江戸時代から文人墨客のサロンとなった日本庭園を彩る梅の花

江戸時代には「新梅屋敷」と呼ばれた向島百花園

向島百花園は、1804年に仙台出身の骨董商によって造園された日本庭園です。開園当初には約360本の梅が植樹され、「新梅屋敷」と呼ばれていましたが、1809年頃から「百花園」と呼ばれるようになりました。江戸時代には多くの文人墨客がサロンとして利用した庭園では、毎年2月中旬から3月上旬にかけて「向島百花園梅まつり」が開催されています。2020年は2月8日~3月1日に行われました。

向島百花園の入口に掲示される2020年の「向島百花園梅まつり」のポスター

向島百花園入口に掲示される園内マップと2020年の「向島百花園梅まつり」のポスター

向島百花園のパンフレットの園内マップ

向島百花園へのアクセスは東武スカイツリーラインの東向島駅から西へ徒歩8分です。入園料金は150円で、開園時間は9:00~17:00(最終入園は16:30)です。入口を入ると庭門が、江戸時代の情緒に包まれる日本庭園に誘いこんでくれます。

向島百花園の入口

向島百花園の庭門

和ののどかな雰囲気が漂う広場

庭門を潜ると小さな広場です。中央にはあずまやが築かれ、その傍らにも休憩用の長椅子も設置され、のどかな雰囲気が漂います。広場の脇の井戸は、梅洞水と呼ばれています。

庭門の先の小さな広場

広場に設けられたあずまや

広場に設置される長椅子

梅洞水と呼ばれる井戸

広場から少し奥に進んだ藤棚があり、その周辺に梅が植栽されています。

藤棚を囲む梅の花

藤棚を囲む梅の花

藤棚を囲む梅の花

藤棚を囲む梅の花

藤棚を囲む梅の花

藤棚を囲む梅の花

藤棚の傍らにもあずまやが設けられ、和の情緒が漲ります。

藤棚の傍らに設けられたあずまや

藤棚の傍らに設けられたあずまや

池の端を彩る梅の花の先に見る東京スカイツリー

藤棚をさらに奥に進むと、穏やかな水面を湛える池です。池の先には東京スカイツリーの姿を見ることができます。

向島百花園の池越しに見る東京スカイツリー

向島百花園の池越しに見る東京スカイツリー

池の端にも紅梅、白梅が初春の彩りを放っています。

池の端で初春の彩りを放つ梅の花

池の端で初春の彩りを放つ梅の花

向島百花園の池の端の梅花と東京スカイツリーのコラボ

向島百花園の池の端の梅花と東京スカイツリーのコラボ

向島百花園の池の端の梅花と東京スカイツリーのコラボ

文人墨客のサロンに漲る江戸の情緒

向島百花園は、江戸時代から文人墨客のサロンとなっていました。園内のいたるところに句碑が立てられています。敷地内に設けられた御成座敷には、江戸幕府第11代将軍の徳川家斉がお成りになったと伝わります。

園内のいたるところに立つ句碑

江戸幕府第11代将軍の徳川家斉がお成りになった御成座敷

庭門近くの広場の売店では、福甘酒を味わうことができます。

福甘酒を味わうことができる売店

「向島百花園梅まつり」の期間中には休日を中心に、江戸大道芸、すずめ踊り、庭さんぽ、梅を詠むなど、様々なイベントが企画されますが、2020年は大半が中止となってしまいました。

イベント中止の掲示

向島百花園は、1804年に造園され江戸時代から文人墨客のサロンとなっていました。開園当初には約360本の梅が植樹され、「新梅屋敷」と呼ばれていました。現在でも園内には数多くの梅が植栽され、毎年2月中旬から3月上旬にかけて「向島百花園梅まつり」が開催されています。

この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
2010年より旅行系のフリーライターとして各種メディアで記事の執筆を行っております。「おまつり」には各々の地域の歴史や伝統、文化が凝縮しています。関東地方で開催されている「おまつり」を中心に、その魅力を紹介して参ります。

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