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ナマハゲの観光活用や文化継承の取り組みとは?男鹿で聞いてみた!

2019/12/12
2024/5/7
ナマハゲの観光活用や文化継承の取り組みとは?男鹿で聞いてみた!

「ゔぉー!泣く子はいねがー!」猛々しい叫び声をあげながら子供に迫る「ナマハゲ」は、秋田県の象徴と言っても過言でないほどの認知度を誇り、2018年11月には「来訪神:仮面・仮装の神々」のひとつとしてユネスコ無形文化遺産に登録された。
この行事はもともと秋田県北西部の「男鹿半島」にて地区ごとに行われる小正月十五日の行事(現在は12月31日)だったが、昭和の時代から積極的に観光活用され、長きにわたって官民一体となった地域の盛り上げに貢献している。それと同時に、担い手に正しい知識を身につけさせた上で対外的に発信させる施策や、横断的なコミュニティを形成してノウハウを共有する取り組みなど、文化継承に対するアプローチにも積極的だ。

これらの中には、少子高齢化にあえぐ現代日本における、伝統文化の後継者問題に対する示唆が満載されている。男鹿の現地から、ナマハゲ文化に携わる人々の取り組みを紹介する。

正しい継承を。観光協会の取り組みとは

男鹿はナマハゲの観光活用には非常に積極的だ。このエリアでは至るところでナマハゲが観光客を出迎え、イベントへの参加等で全国へ出張していくなど、フットワークも軽い。昭和39年から行われている観光イベント「なまはげ柴灯まつり」などに代表されるよう、長きに渡るナマハゲの観光活用を経て、地元の理解もしっかりと獲得している。

その上で、ナマハゲの本質を正しく伝えるために、男鹿市観光協会が地元の観光関係者向けに始めたのが「ナマハゲ伝導士試験」だ。この試験はナマハゲを正しく学んでもらい、本質を対外的に伝えるために平成16年に始められたもので、ナマハゲ文化施設の視察研修や講義を経て試験を受ける1日プログラムである。この試験は十数回の開催を重ねる中で認知度が上がり、いまではご当地検定のような形で全国から人が訪れ、県外からの受験者は全体の44.7%にも上るという。ただ、男鹿市観光協会で事務局長を務める佐藤さんは「地元のひとにもっと受験してもらいたい」とも話す。

ナマハゲ行事は男鹿市全148町内の内、2018年12月31日は92の町内で行われ、その全てが異なる特徴を持つのが特筆すべき点だ。ナマハゲの面ひとつとってもそれぞれの地域で全く違うものをつけており、動きや持ち物も漁村と農村で大きく異なるなど、それぞれの地域毎に受け継がれるのが男鹿のナマハゲである。故に男鹿で育った人にとっては自分の地域のナマハゲが「当たり前のもの」として記憶に刻まれているため、包括的な知識を得るにはこの試験のような機会が必要となってくる。

ナマハゲは2018年の11月に「来訪神:仮面・仮装の神々」のひとつとしてユネスコ無形文化遺産に登録された。海外からの注目度も上がったことで、2019年に男鹿市を訪れる観光客は前年比2割増となる見込みだ。2月の「なまはげ柴灯まつり」にもたくさんの外国人が訪れ、会場は満員札止めとなった。観光立国を進める日本において今後も観光客の増加が見込まれる中、正しく文化を継承することで厚みのある発信を行うことは、価値のある取り組みではないだろうか。

ユネスコ無形文化遺産登録後に行われた2019年の「なまはげ柴灯まつり」では入場制限がかかった

地元の継承者たちの取り組みとは

観光協会主導のものだけでなく、男鹿の地では官民一体となった数々の取り組みが行われている。長年ナマハゲの研究を行なっている、菅江真澄研究会の天野会長に話を伺った。

ナマハゲの最初の記録は1810(文化7)年、江戸時代の紀行家であった菅江真澄が書き記したもの(「男鹿の嶋風」)が最も古い記録であり、同氏はそのほかにも幾多の貴重な文献を残した。天野会長はそれに関連し、地元の方々向けの勉強会や討論会にも深く関わっている。その一つがここ数年男鹿市で開催されている「今さらですが、ナマハゲしゃべりをしてみませんか」だ。このイベントでは各町内のナマハゲ行事に関わる関係者や一般市民が一堂に会して様々な意見を出し合い、お互いにナマハゲ行事を存続させていくための知恵を出し合い、悩みやノウハウを共有することができるそうだ。

菅江真澄出展:秋田県立博物館

少子高齢化にあえぐ現状は男鹿も例外ではなく、どの地域も担い手不足で苦労しているというが、時代に合わせてナマハゲ行事の形も少しずつ形を変えていると天野会長は話す。例えば、かつてのナマハゲ役は地域に住む独身の若者だけに限られていたが、若者の減少にともない少しずつ既婚者の割合が増えていったため、現在は既婚者が担うことは当たり前となっている。男鹿の外に出ていった二男三男が正月に帰省する際頼むなどの工夫をしている町内もあるという。

ナマハゲ役は今後さらに広く解放されていく流れにあり、ある町内ではナマハゲ役を地元以外の方や外国人に解放している地域もあるが、そういった際は必ず地元の経験者がメインのナマハゲ役を行い、ビジターは補佐的な役割になることで行事を成り立たせている。家に上がり込む際は信頼関係が重要となるためだ。新たな試みの中でも地域の理解を得ながら進めていくことが必要不可欠であり、そのためのノウハウ共有の意味でも「ナマハゲしゃべり」などの取り組みは有効となるに違いない。

天野会長はまた「かつては家に上がり込むのがあたり前であったが、ある町内では100世帯もあっても最近は玄関先だけで、上がり込むのは5、6軒程度」と話すように、時代とともに文化を取り巻く環境も形を変えてきている。向かい風も強い中、このように地域を横断的につなぐ後継者コミュニティの形成は、文化継承に向けたひとつの施策として大いに参考にすべき点があるのではないだろうか。

なまはげ館、伝承館の存在

男鹿半島の中央辺りには、ナマハゲに関する情報を学ぶことができる文化施設「なまはげ館」と、茅葺き屋根の古家で往年の暮らしを再現しながら当時の風習を体験できる「男鹿真山伝承館」がある。本物のナマハゲ行事に触れられるのは大晦日の1日だけであるため、1年を通じてナマハゲ文化を体感できるこの施設は観光誘客に重要な役割を果たしている。

「なまはげ館」はナマハゲに関する資料展示、動画による解説、150枚の面の展示などがある他、衣装を着れるコーナーが用意されているなど、観光客が体験を通じてナマハゲを学ぶことができる仕掛けが施されている。多言語対応も充実。キャッシュレス決済の導入も行われ、インバウンドの取り込みをしっかりと意識しているのも特徴である。

「なまはげ館」には地域ごとのナマハゲが展示されている「なまはげ館」には地域ごとのナマハゲが展示されている

隣接する「男鹿真山伝承館」ではこの施設が位置する真山地区で行われるナマハゲ行事を動作の一つ一つから忠実に再現し、大晦日の本番さながらの体験をすることが可能だ。男鹿に古くから伝わる曲家民家の中で古い民具に囲まれ、生きた歴史を体感できる再現性の高い歴史考証プログラムが用意されている。

上記2施設は1年を通じて誘客を見込めるだけでなく、インバウンド需要が高い体感型コンテンツをすでに提供できており、歴史考証の面でも充実した情報を提供できている点でも大きな価値を持つ。日本が観光立国を目指す上でも見本とするべき先進事例であり、ユネスコ無形文化遺産への登録を機にさらなる発展が見込めるのではないだろうか。

ナマハゲと男鹿をとりまく課題とこれから

ここまで紹介したように文化継承や観光活用で先進的な事例を持つナマハゲであるが、ナマハゲ本来の奥深さは十分に発信できていない課題もある。世間一般に包丁を片手に子供に迫る姿がナマハゲのステレオタイプとして存在しているため、地区ごとの特徴やミステリーに包まれた成り立ちなどが伝わらないままキャラクターのような存在として消化されてしまっているのは、地元にとって頭の痛い問題だ。

ナマハゲの語源は「生身剥ぎ」である。囲炉裏にあたって手足の皮が赤くなることをこの地の言葉で「ナモミ、ナマミ、ナマモ、ナムミョウ、ナマメ」などと言うのだが、ナマハゲは包丁を持ってその皮を剥ぎにくるものとされていたのだ。畑仕事のない冬の間、囲炉裏にあたってばかりの主人を諌める。つまり、ナマハゲは元来大人を対象にした行事であり、子供を泣かすのは「ナマハゲをなだめて山に帰すことで怠けた主人の威厳を取り戻すため」という見方がされているのである。

姿形も多くの人が思い浮かべるのは赤と青(緑)のペアであるが、実際には普遍的な「ナマハゲ」の存在は無く、地域によっては茶色い木の板の面を付けているものもいるなど多種多様である。素材も様々で、農村のナマハゲは農耕具を、漁村のナマハゲは漁具を使って作られる。「オロロロ」や「オロオロ」と呼ばれる地区もあり、しぐさにも四股を踏んだり踏まなかったりなどの違いが見て取れる。その多様さこそがナマハゲ最大の特徴でもあるのだ。

なまはげ館には150ものナマハゲが揃う。中にはパブリックイメージとかけ離れたナマハゲも。

このように、まだ世間一般に知られざるナマハゲ像が存在するが、地元では男鹿で正しくナマハゲを体験する魅力を発信し、今後はさらなるインバウンドの誘客にも繋げたいという想いを持っている。ナマハゲ行事は大晦日の日に各地区で一斉に行われ、地区ごとに伝承されるため、男鹿の人々にとって横断的にナマハゲを学ぶ機会は限られているが、それ故にナマハゲ伝導士試験やナマハゲしゃべりが意味を成す。他にも藁の編み方教室やふるまいなどの講習会を通じ、ナマハゲの正しい知識発信をできる人を育てていくのが今後の課題と捉えているとのことだ。

今回お話を伺った天野会長は「孫がいる人がナマハゲをやるなんて昔は考えられなかったけど、時代とともに変わるのも民俗なんだろうね」と語る。「ナマハゲしゃべり」などを通し、「自分たちの町内で困ったとき、他の町内の話を聞いてヒントを見出す」ことが天野会長が一連の取り組みに込める想いだ。また、「町内の行事が世界に認められたのは誇るべきこと」との言葉からは、私たちの土地に根付く文化の価値を示しているように思える。日本全国に点在する多種多様な民俗風習にも、そのように発展する可能性があるのではないだろうか。

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