3年ぶりとなった「新居浜太鼓祭り」。愛媛県新居浜市で毎年10月に行われ、四国三大祭りに数えられるこの祭りは、地域の人たちの手によってどのように守られ、受け継がれているのでしょうか?この記事では約1ヶ月間、川東地区の「田の上太鼓台」に密着して撮影した95枚の写真とともに、準備から祭り当日までの様子を振り返ります。
<田の上太鼓台概要>
平成14年新調(6代目)
飾り幕製作 合田縫師(金鱗)
上幕・・・日光東照宮(陽明門、輪蔵殿と鼓楼、神楽殿と眠り猫、唐門と虎)
高欄幕・・・名古屋城(龍頭、名古屋城、名古屋城金鯱、鷲)
管理運営・・・田の上自治会太鼓台運営部
所属・・・川東運営委員会(神郷小学校区)
市内最大級の太鼓台。大きく張り出した重に厚さ60cmに迫る布団締めが最大の特徴です。龍の顔つきや上幕・高欄幕の構図は主に先々代のものを踏襲しています。日光東照宮や名古屋城という飾り幕の題材は、その昔幕政への皮肉として取り入れられたといわれていますが、現在は太平の世を築き上げた日本の栄華の象徴としてその解釈を改めています。
先代・・・吉田縫師(昭和52年)
先先代・・・山下縫師(昭和3年)
先先先代・・・山下縫師(大正)
目次
太鼓の音が鳴り響く
朝夕の気温が下がり少し過ごしやすくなる9月の夜。新居浜市では各地で太鼓の音が聞こえはじめます。
新居浜太鼓祭りで使用される太鼓台は、もともと祭りの始まりを告げる報知の役割などを持った山車で、内部にはその名の通り2尺ほどの太鼓が収められています。祭り以外のイベントに出場しなければこの太鼓が叩かれるのは1年のうち、この時期だけ。市内の太鼓台は10月16日〜18日(大生院は15日〜18日)の3日間に向けて太鼓を毎日叩き込み、音を作っていきます。
地域の人たちに「いよいよ祭りが始まるな」と感じさせる秋の風物詩も3年ぶり。コロナ禍の間に太鼓の皮を新調した田の上太鼓台は、例年よりハリのある音を夜空に響かせていました。
裏方の仕事が本格化
事務局ではかき夫名簿の作成・整理・保険加入、関係各所へのご挨拶、備品や飲食物の手配などが進められていきます。自治会館では連日打ち合わせが行われ、調整事項は速やかに事務局が処理していくのですが、そのスピード感からは祭りへの熱意と愛情を感じます。
田の上の場合は大人が運行する太鼓台だけでなく子供太鼓もあるため、子供育成部の役員さんも総出で作業に当たるのですが、その中には新居浜市外から田の上に引っ越してきた人の姿も。取材に伺った日の自治会館には、移り住んできた人たちも地域の伝統行事にスッと溶け込んでいけそうな良い雰囲気が漂っていました。
太鼓台の点検
10月に入り、田上神社境内にある田の上太鼓倉では太鼓台の点検が行われました。3年ぶりの祭り開催。重さ2.5t〜3tといわれる太鼓台を3日間事故なく安全に運行するために細かい部分までチェックが入ります。
2022年の田の上太鼓台は重布の張り替えとかき棒の新調が予定されており、その確認作業も並行して実施されていました。皆さん真剣な眼差しです。
街が祭りモードに
垂れ幕や幟(のぼり)、献花台の設営は、その多くが人手を取れる週末に行われます。道には幟が立ち、各所に横断幕や御花御礼の垂れ幕が掲げられ、街の装いは祭り仕様に様変わり。新居浜にはハロウィンやクリスマスより祭り前のこの時期の街の雰囲気が好きという人も多いことでしょう。
田の上でも神社の清掃・飾り付け、子供太鼓の飾りの準備、重の運搬、横断幕・幟の設置が1日のうちに行われました。
仕舞い込んだ物がなかなか見つからないなど、3年ぶりの開催らしい小さなアクシデントがありながらも、自治会一丸となって準備を進めていきます。
太鼓台組み立て
9月下旬〜10月上旬には太鼓台の組み立てが行われます。組み立てに要する期間やその時期は地域によって様々で、中には1日で組み上げてしまうところもあるのだとか。
田の上の場合は太鼓台がすっぽり収まり、容易に組み立て・解体ができる「太鼓倉」があるため、数日かけて少しずつ行います。
ちなみにこのような組み立て・解体に特化した太鼓倉を作ったのは、新居浜で田の上が初めてだそうです。現在の太鼓台を新調したときに合わせて作られたものですが、当時はこの太鼓倉を見学に来る方も多かったとのこと。
大きな太鼓台を安全に組み立て・解体できる環境も、伝統文化の伝承には必要なのかもしれません。
新居浜太鼓祭りスタート
10月16日早朝、自治会館前では子供太鼓の飾り付けが行われていました。田の上の場合、子供太鼓は自治会館前(屋外)に据えられるので、飾りは夜露で濡れないよう毎日付け外しが行われます。
飾り付けが終わると子供太鼓は神事のため田上神社に移動。田上神社では太鼓倉から田の上太鼓台が出てきました。
神事が執り行われる
太鼓台と子供太鼓が集まると神社では神事が始まります。秋晴れの朝の爽やかな空気の中で行われる神事は最高の雰囲気。素晴らしい3日間を予感させてくれます。さあ祭りのはじまりです。
3年ぶりの凱旋
祭り期間中、市内の小学校では「お祭り集会」という行事が実施されます。地域の太鼓台が集まり、小学生が間近で太鼓台を見たり触ったりすることができる行事です。
市内には54台の太鼓台と約50台の子供太鼓がありますが、新居浜には約300の自治会があるため、地元に太鼓台がないところも多くあります。そういった地域で育つ子供たちにも祭りへの愛着や地元への誇りを持ってほしいという願いがお祭り集会には込められているようです。
田の上の学区である神郷小学校には5台の太鼓台と6台の子供太鼓が集まり、盛大に行事が開催されました。
垂れ幕の撮影
太鼓台の運営は多くの方のお力添えにより成り立っています。そういった方々に感謝の気持ちを伝えるのも太鼓台の役割です。田の上でも16日の昼間、新規に垂れ幕を作ってくださった方たちの記念撮影が行われました。
撮影された写真は後日、寄付してくださった方のもとへ届けられます。開催前後のこうしたやりとりも祭りの醍醐味。祭りが終わり店舗や施設に新しく飾られた太鼓台の写真を見て、思い出話に花を咲かせるわけです。
雨の日の太鼓台運行
あいにくの雨模様となった10月17日の新居浜市。太鼓台は飾り幕にラップを巻いたり、カッパを着せたりするなど雨養生をして太鼓倉を出ます。この日の川東地区は午前・午後ともに地区全体での統一行動が予定されており、早期の天候回復が望まれるところでしたが、国領川河川敷での「かきくらべ」を終える頃には雨も上がり、田の上太鼓台は午後から雨養生なしで運行を行うことができました。
太鼓の音を聞きつけて
統一行動では太鼓台が連なって各地区を回ります。幾重にも重なる太鼓の音を聞きつけ、徐々にかき夫の数、引き連れてくる観客の数は増えていき、かきくらべ会場に着く頃には太鼓台の周りに寄り付けないほどの人だかりができます。
こうして増えていく新居浜市民の3日間の歩行距離は恐るべきもので、私自身3日間で50kmほど歩いていました。
花束贈呈
17日午後は川東地区の太鼓台9台が揃って田の上入り。花娘の皆さんは榎本広場の献花台にスタンバイして太鼓台を待ちます。
榎本広場は田の上にとって特別な場所です。江戸時代後期から祭りに参加し、川東の中でも指折りの歴史を持つ田の上太鼓台ですが、歴史を紐解くと歴代で6台(7台という話も・・・)ある太鼓台のうち4台が榎本の庄屋さんがお金を出して作った太鼓台なのだとか。自治会で寄付を募り太鼓台を新調するようになった今でも、田の上太鼓台の運行の拠点となっています。
田の上太鼓台が先頭で榎本広場入りし、他の8台を迎えるこの催しももちろん3年ぶり。街に祭りの賑わいが戻ってきたのを感じます。
多喜浜駅前かきくらべ
多喜浜駅前かきくらべは川東地区の運営委員会が主催する最大規模のかきくらべです。
今年は16台の太鼓台が駅前に集まり、勇ましい演技を披露しました。
田の上太鼓台は14番目の入場。コロナ禍の影響で例年よりもかき夫が少ない中、市内最大級の太鼓台を見事に差し上げていました。
今年はどの太鼓台もかき夫集めに苦労されたそうです。観客は例年通り多くいたので、来年はかき夫にも戻ってきてほしいですね。
着車の様子
かきくらべが終わると太鼓台は再び着車します。人間の力で担ぎ上げられた太鼓台の下に車輪を滑り込ませ、タイヤをつける様子は緊張感がありますね。
かきくらべの後に
かきくらべの後は他の太鼓台とその余韻に浸ります。集まって観客を沸かせたり、端缶を合わせたりと夜が更けるまで観客を楽しませて帰路につきます。祭りも明日がいよいよ最終日です。
記念撮影
10月18日午前、子供太鼓は田の上地区内を運行し、田の上太鼓台は川東地区の太鼓台とともに統一行動を行いました。そして、空いた時間にみんなで記念撮影。
私はこれまで様々な場面での集合写真を見たり撮ったりしてきましたが、これだけの人数の自然な笑顔がこぼれる写真は太鼓台の前で撮る集合写真の他に見たことがありません。
太鼓台、子供太鼓ともに絶対に絶やしてはならないものなのだなとこの撮影で改めて感じました。
いざ八旛神社へ!
各太鼓台、祭りの中で「恒例」となるこだわりを持っています。田の上太鼓台の場合「休むことなく房を割り続けて八旛神社に向かう」というのがその一つです。
今年も元気なかけ声とともに房を揺らし続け、榎本広場から八旛神社までゆっくり運行する田の上太鼓台。かき夫の気持ちも昂まっていきます。
宮入り
田の上の皆さんは取材で、小さい頃に感じた「太鼓台に乗ってみたい、動かしてみたい」という気持ちが、年をとっても太鼓台に関わり続ける原動力とおっしゃっていました。しかし、その思いを実らせる「祭り」という場が過去2年奪われてしまった。
3年ぶりの宮入りする太鼓台・かき夫の皆さんからはそうした3年分の思いが溢れているように感じました。さあ宮入りです。
帰洛
統一行動を終えて無事帰洛した田の上太鼓台。要所要所で足を止め、観客を沸かせます。
名残り惜しいですが3日間の祭りもいよいよフィナーレです。
最後に
市民の生活のサイクルの中から突如奪われた新居浜太鼓祭り。今年も直前まで開催や統一行動の実施について様々な意見がありました。
3年ぶりの祭りを終え、新居浜全体に充足感のような空気を感じるものの、全体を通してみても全て通常通り・例年通りとはいかなかった今年。
祭りを愛する市民の気持ちはすでに2023年の祭り、そして未来に向いています。