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御頭祭をレポート!なぜ鹿の頭を捧げるのか?長野県諏訪大社にて

更新日:2021/5/18 いなむ
御頭祭をレポート!なぜ鹿の頭を捧げるのか?長野県諏訪大社にて

鹿の頭を75頭、神に捧げる祭りがあるという。縄文時代から脈々と続く祈りの形を今に伝えているそうだ。このような噂は、様々なところで聞いていた。詳しく調べてみたところ、現在は簡略化されており、捧げられる鹿の頭は剥製5頭のみのようだ。それでも、稲作伝来以前の狩猟採集民が行なっていた祈りを今に伝える貴重なお祭りであることは確かである。日本人の祈りと暮らしの原点を観たい。そのような想いで、2021年4月15日、長野の諏訪大社で行われる御頭祭(おんとうさい)に出かけた。

御頭祭とは?

御頭祭は毎年4月15日に行われる諏訪大社のお祭りで、諏訪大社上社前宮の十間廊(じゅっけんろう)という場所で行われる。当日のお祭りの行程としては、13時ごろ諏訪大社上社本宮から始まり、前宮の十間廊へ向かい、内御玉殿や若御子社を回ってから、再び諏訪大社上社本宮に15時半ごろに帰ってくる。その中でも、十間廊で執り行われる神事を「御頭祭」(又の名を酉の祭)と呼んでいる。

長く続く行列は前宮へと続く

まず、JR茅野駅から歩き、諏訪大社上社本宮に向かった。徒歩だと約45分の距離なので、もし時短を目指すならばJR上諏訪駅から出ているバスを利用するのが良いかも知れない。本数は少ないので、車がある人は車で向かうのが良いだろう。

13時ちょうどに上社本宮の拝殿に来ると、すでにもう祭りは始まっていた。列を整え、宮司をはじめとする方々はここらから歩いて上社前宮に向かう。

行列は非常に長く、先頭から最後尾まで見渡すのが難しいほどである。

供奉員(ぐぶいん・行幸や祭礼等の行列に加わる人)には、様々な持ち物がある。例えば、その1つが薙鎌(なぎがま)というもの。室町時代の書物である『諏方大明神画詞』には、諸々の魔を押さえつける効力を持つ劔と記されている。これは五穀豊穣のために実りの大敵ともなる大風を鎌で切って弱めるという考え方で、陰陽五行説に基づく。鎌の先は鳥の形をしている一方で、蛇体信仰に基づく羽根状のウロコが付いているとも言われる。時代とともに形が少しずつ変化してきているようだ。

とても晴れていて空気が澄んでいる。八ヶ岳がくっきりと見える中で、行列はゆっくりと進んでいく。

こちらが行列の先頭だ。前宮の鳥居をくぐり参道を歩いていく。

まず向かうのが前宮の十間廊である。この場所で御頭祭が行われる。

十間廊で行われる御頭祭

前宮は諏訪大社の4つの社の中でも最も古く、その中でも多くの神事が執り行われてきた十間廊(じゅっけんろう)は長方形の平屋建てで奥行が十間であったのがその名前の由来である。

御頭祭に使われる様々なお供え物が運ばれていく。お供え物は卵、海産物、野菜、お神酒など様々である。そして、ついに鹿も登場。長い首をそのまま残した鹿の頭の表情は静かだ。喜怒哀楽はなく、人間をただ見つめるように立っている。今から200年以上前、江戸時代の旅行家・菅江真澄が著した『すわの海』によれば、鹿の本物の頭が75頭、まな板の上に並べられていたという。その中に耳が裂けた鹿がいたそうだが、それは神様が矛で獲ったものだと考えられていた。今では剥製を使っている。

鹿を神様に捧げるとは、どのようなことを意味していたのだろうか。鹿の首をはじめとした様々な動物や植物などの幸を神に献ずることによって、神と人が一体となり饗宴を行う。つまり、自然を敬うとともに共存する狩猟儀礼と言えるだろう。

内御玉殿や若御子社を回り、再び本宮に戻る

御頭祭のあとは、内御玉殿(うちみたまでん)や若御子社(わかみこしゃ)でも神事が行われた。

こちらが内御玉殿。ここには、諏訪明神の祖霊が宿るとされている。御頭祭に比べると手短に行われ、内容としてはお供え物をする献饌(けんせん)、祝詞の奏上、玉串を祭壇に捧げる玉串奉奠(たまぐしほうてん)などであった。

次に向かったのがこの若御子社で、諏訪明神の御子達を合祀している場所だ。ここでも、献饌、祝詞の奏上、玉串奉奠などが行われた。

その後は上社前宮の鳥居をくぐり、再び上社本宮へと帰路に着いた。

上社本宮の拝殿にて神事が執り行われた。

最後は、15時半ごろに社務所前で整列をして終了。以上が祭りのほぼ全ての行程である。

自然の恵みを頂くということ

御頭祭を実際に見て感じたのは、普段生活の近くにある何気ない自然が私たちの暮らしを作っているということ。太陽があり、作物が実り、それを食す。自然から生まれて自然に還るという循環の中で私たちは暮らしていている。しかし、猟師でないかぎり鹿を撃つことが無いように、普段から自然に対する畏敬の念を抱くということは少なくなっている。必要性に迫られなければ縮小化してしまう。現在のお祭りや神事は比較的簡略化されており、その裏側にある意味を汲み取ることはなかなか難しい。それでも私は今回、縄文時代以前から脈々と続く祈りの形を知ることができ、稲作以前の日本を垣間見ることができた。

現在、生き物を殺すことが本当に良いことなのか?という議論さえあり、ベジタリアンの人もいる。縄文時代の日本人は少なからず今日明日の食料を確保することに必死だったはず。動物を殺めることもするし、自らの命を自然に捧げることもある。そういう暮らしの営みの中で、自然に敬意を払いながら共存してきたのだ。今ではフードロスの問題もあり、頂くはずの命を廃棄してしまうことさえある。もう一度暮らしの原点に帰り、身近なところから自然に感謝する心を取り戻さねばならない。そのように感じた1日だった。

この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
獅子舞マニアです。ライターやカメラマンをしています。趣味は、獅子舞の鼻を撮影することです。その他クレイジーな祭りにも潜入します。

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