流派に所属し、龍勢作りに携わる龍勢師。年に1度の「龍勢祭」にむけて、日々どのような思いで龍勢と向き合っているのでしょうか。巻雲流(けんうんりゅう)の宮前快志さん、上蹴翔舞流(じょうしゅうしょうぶりゅう)の冨田進さんに、若手とベテラン、それぞれの立場から龍勢作りや3年ぶりに行われる龍勢祭への思いを伺いました。
巻雲流 宮前快志さん
祖父、叔父、そして孫。3世代にわたって龍勢師として活躍している宮前快志さんは龍勢師になって5年目という若手のホープ。巻雲流の棟梁や保存会副会長も務めた祖父の黒沢安彦さんが若くして逝去された2016年の秋、宮前さんは龍勢師としてデビューしました。
——龍勢師としてデビューしたのは高校生だったそうですね。龍勢師になろうと思ったのはいつ頃からですか?
子どもの頃から龍勢を置いている場所から櫓(やぐら)まで担いでいく龍勢師さんたちが『かっこいい!』と思っていたので、大人になったら龍勢師になると決めていました。18歳から火薬の取り扱いができるようになるのですが、誕生日が8月だったので高校生で龍勢師デビューできました。その後、他の地域の大学へ進学したのですが、今は地元で働きながら、龍勢師もしています。
——小中学校で龍勢の伝承教育があったと思いますが、その時の思い出を教えてください。
小学校3年生の時は、『孫の私がいるから』という理由で、祖父も伝承サポーターとして教えに来てくれました。自分としては『学校で祖父に会える!』と楽しみにしており、学校で祖父にどんどん話しかけに行ったんです。そしたら、いつもより素っ気ない感じで対応されて『あれ……?』という切ない気持ちになったことを覚えています。学校には私だけでなく、他の児童もいるから、家と同じようにはいかないのは当たり前ですよね(笑)。
でも授業の後、祖父の家で授業や龍勢の話をたくさんすることができて、とても楽しかったですね。
それに、それまで龍勢を作る様子を目にしてきましたが、自分たちの手で作ったのは伝承授業が初めてでした。『自分たちの手で作った』ことが、とにかく嬉しかったです。
——龍勢師になってから、伝承教育についてはどのように感じていますか。
龍勢師1年目のときに、今度は逆に、妹の小学校で教える立場になったんです。そのとき、吉田の子どもたちって本当に龍勢が好きなんだなと感じることができました。
吉田は田舎なので都会に憧れる気持ちもわかりますが、自分の背中をみてもらって、子どもたちに憧れてもらえる存在になりたいなと改めて思いました。日本でもなかなか他の地域では見られないお祭りですしね。
——今、所属されている巻雲流という流派は、どのような特徴があるのでしょうか。
久長という地区で1970年に生まれた流派で、最高到達点で2つに分かれるという『分身の術』を、巻雲流オリジナルの伝統の技として持っています。この技は、もともと東雲流さんから祖父が教わって、みんなで研究して作り上げたと聞いています。
メンバーは、大ベテランから自分のような若い人まで所属しています。30代40代の方が最近入られたのですが、すぐに溶け込んでいました。最初から壁がない、仲の良いチームです。
——3年ぶりに行われる龍勢祭について、どのようなお気持ちでしょうか。
今年で龍勢師になって5年目ですが、途中は大学があったので、しっかり携われていなかったので、今年は改めて1年目の気持ちで取り組みたいです。
龍勢はあがって、落下傘がひらいておしまいと思われてしまうかも知れませんが、流派によってこだわりや特徴が絶対あります。ぜひ、流派ごとの伝統を見てもらいたいですね。
今年はネット配信があるとのことで、これまで龍勢祭を見たことがない人にも興味を持ってもらって、吉田へ足を運んでもらうきっかけに繋がれば。もしかしたら、龍勢をやりたいという人も増えるんじゃないかと期待しています。
上蹴翔舞流 冨田進さん
龍勢師の中でもベテラン中のベテランという冨田進さんは、上蹴翔舞流の初代棟梁。龍勢は「俺の生きがい」と断言し、頭の中は「365日龍勢のことでいっぱい」という冨田さんは「今年龍勢祭が開催されなかったら生きている甲斐がない」と思っていたほど。龍勢祭の再開を、誰よりも心待ちにしていた1人です。
——龍勢について冨田さんが記録し続けてこられたノートを見せて頂きましたが、火薬の配合や龍勢を飛ばすための抽選順など細かなことが記録されていましたね。こちらは龍勢の見本ですか?
これは龍勢の頭の部分なんですけどね、火薬を詰めた筒と18メートルある青竹にくくりつけて飛ばします。筒と青竹を切り離すことを、昔は『龍の首切りやがら止め』と言っていたのですが、龍=神様の首を切るっていうのはよくないっていうので、今では切り離しと言うんです。切り離さずに、着けたままにする方法もあります。それぞれ、紐の結び方が異なります。
また、この火薬の筒は、竹で『タガ掛け』というのを行います。このタガにあわせて、青だけの方も削って、ぴったり合うように削るんです。これが楽しいんだ!
落下傘に使う和紙は、四角い紙を25〜28枚くらい貼り合わせて使います。私が使い始めたときは100円だったのですが、今は300円くらいまで値上がりして。もう少し安いものにしようかという話もあったのだけど、今の棟梁が『俺たちはこれで始めたのだから』と、このまま使い続けることになったんです。
——少し伺うだけでも、龍勢づくりへの造詣の深さと愛を感じます。所属されている上蹴翔舞流の龍勢には、どのような特徴があるのでしょうか。
縦3つに傘が並ぶ『3段傘』が一番の特徴です。流派を興してから、7〜8年目になってようやく成功したんですよ。
今は息子が仮の棟梁をやっているのですが、龍勢を3回成功させたら正式な棟梁にすると話しています。最初はやっぱり失敗してね。俺に聞いてくれれば良いのだけど、身内だからか、なかなか聞いてこない。でも、ついに『親父がなんか言ってた』と聞いてくれました。今回成功すれば、仮ではなく、正式な棟梁になる予定です。『俺が生きてるうちに棟梁になれ』と言ってきたので、それが実現できるのではないかと期待しています。
——龍勢における成功や失敗とは、どのようなものなのでしょうか。
龍勢の基本は奉納です。櫓で点火出来ることが目標なので、それが出来た時点で『達成』。その先については自己満足の域です。とはいえ、良いものを作りたい。狙ったものができれば『成功』になります。
また、ほかの流派は競い合うと同時に仲間です。思い通りにいかなければ、『残念だったね』とねぎらいの声を掛ける相手なのです。
——冨田さんが龍勢師になったきっかけや理由を教えてください。
俺がお祭りごとが好きなんだろうね。それに、生まれ育った井上が龍勢の中では、1、2を争う龍勢好きの場所。中学の時には、すり鉢で硝石や炭を細かくする作業をやっていましたね。子ども用に2寸5分の龍勢を作ってくれたこともありました。
大人になって、親父に『龍勢は簡単に作れないのだから、生意気なことをするなよ』と言われていたから、最初は携わることはありませんでした。でも、やっぱり我慢できない。その頃は上町というところに住んでいたので、そこで仲間を募って、流派を作って龍勢作りを始めたんです。
いろいろ失敗もあったけど、龍勢をやるために大変なことや苦労はありませんでしたね。楽しくて。仕事よりも龍勢の方が好きなんです。
——3年ぶりに龍勢祭が開催されることになりました。どのようなお気持ちですか?
『待っていたぞ 俺の生きがい 龍勢祭』という気持ちですね。ちょっと字余りですが。
龍勢作りは1年でもやらないと、作り方が失われてしまいます。昔も本数が少なくて開催が取りやめになったことがありましたが、その時は東雲流、秋雲流、白雲流がそれぞれ何本も龍勢を作り、15本以上になるように頑張ったという歴史があります。もしかしたら、あのときに龍勢作りは消えていたかもしれないのです。
今はその時とは状況が異なりますが、今年は伝承のための龍勢作り。だからこそ、酒は飲んではいけない、ご飯を食べてはいけないなどのルールが作られているようです。そういった制限があってもいいので、今年は頑張って伝承のためにやらないと、続けていくことは難しいと感じています。
——龍勢を伝承していくために大切だと感じていることはありますか。
龍勢は好きじゃないとできないですよね。若い人も興味を持って参加してくれているけど、まだ深く踏み込めていないと感じます。もっと深く踏み込むと楽しさが出てくるんじゃないでしょうか。
それに、龍勢は使い回しができません。流派のみんなで覚えないと、受け継ぐことができないんです。年に1度しか作れないからこそ、火薬の取り扱いもタガ掛けのコツも、時が経てば忘れてしまう。今年のように制限があるなかでも、途切れさせないために続ける努力をすることが必要だと思っています。
Photographer/高橋昂希