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3年ぶりの有観客。コロナ禍だからこそ、古の西大寺会陽を今に再現

更新日:2023/3/13 minoshimatakako
3年ぶりの有観客。コロナ禍だからこそ、古の西大寺会陽を今に再現

国指定重要無形民俗文化財にも指定されている岡山県岡山市の奇祭、「西大寺会陽」(はだか祭り)。2月の夜、寒空の下でまわし姿の大勢の男たちが、2本の宝木を巡って争奪戦を行う姿は圧巻のひとこと。そんな祭りの安全を守り、スムーズな遂行を支えているのが、西大寺会陽奉賛会です。

今回、西大寺会陽奉賛会 会長の大森實さんと、別格本山西大寺住職の坪井綾広さんに、コロナ禍での西大寺会陽(はだか祭り)についてお話を伺いました。

大森實さん

国指定重要無形民俗文化財 西大寺会陽(はだか祭り)
西大寺会陽奉賛会 会長

坪井綾広さん

別格本山西大寺住職

——まずは西大寺の成り立ちについて教えてください。

西大寺境内西大寺境内

坪井住職「西大寺は751年、周防国(現・山口県)に暮らす藤原皆足(ふじわらのみなたる)姫が仏像を安置したことから始まります。777年、大和の長谷寺で修行されていた安隆上人が夢のお告げでサイの角を持って、お堂を建てて開山されました。その時は同じ読みでも『犀戴寺』と称していましたが、1221年に後鳥羽上皇がしたためた祈願文に『西大寺』と書かれていたことから、西大寺と称するようになりました」

大森さん「かつてこの地域は吉井川の水運が盛んで、室町時代以前より門前町として栄えてきました。地域に財力があったからこそ、大きなお寺ができたのです」

——昔から栄えた土地だったのですね。西大寺会陽(はだか祭り)はどのように生まれたのでしょうか。

坪井住職「会陽はもともと神仏習合の行事です。開山当時に旧正月に合わせて正月を修する『修正会(しゅしょうえ)』が伝えられ、その14日目の夜に結願行事として行われてきました。」

大森さん「1510年までの会陽では、守護札(牛玉紙(ごおうし))を村の長老や講頭といった人に授与していたようですが、次第にこの札を頂くと『厄が免れる』『豊作になる』と話題になり、多くの人が求めるようになります。最初は紙のお札で奪い合いが行われていましたが、すぐに破れてしまうため、宝木に巻くようになりました。」

宝木宝木

大森さん「江戸時代後期の絵を見ると、服を着ていたので、最初から裸だったわけではないようです。争奪戦の中で、怪我なく動きやすいようにと、次第にまわし姿になっていったのでしょう」

地域主体で運営される西大寺会陽奉賛会の役割とは

——奉賛会は、お祭りの中でどのような役割を担っているのでしょうか。

大森さん「奉賛会は祭りの運営を担う組織です。ただ飲酒チェックや刺青追放などの活動は主に明るいはだか祭りを守る会に行ってもらっているほか、警備や警察、消防とも力を合わせて進めています。また、安心、安全な祭りの遂行のために、さまざまな地域の団体の方と繋がっており、新しい理事や若い人にも参加していただいています。地域の祭りだからこそ、地域が主体となり、お祭りを実行しているのです」

——大森さん自身とお祭りの関わりについても教えてください。

大森さん「父が奉賛会の会長をさせていただいていたこともあり、小さい頃から慣れ親しんできた行事です。31歳32歳ころには、少年裸祭りで宝木の奪い合いをすることになり、父に対して説き伏せる役割も担いましたね。少年裸祭りもどんどん発展し、継続できています。少年裸祭りに出た方が、会陽に出るようにもなりました。ただ、少年裸祭りはコロナ禍で今回も中止となっています」

——子どもも参加できるようにされているのですね。女性も参加されるのでしょうか。

大森さん「女性は会陽太鼓を担ったり、女性だけの裸祭り『女会陽』も行われてきました。ただ、女会陽は子どもたち同様、コロナ禍で中止となっています」

古の姿を再現する、2023年の西大寺会陽

——通常、お祭りはどのように行われるのでしょうか。

大森さん「まずは会陽の19日前に、その安全を祈る『事始め』が行われます。3日後に宝木取り、翌日に宝木削りが行われます。また14日前から修正会の法要が毎日行われます。当日は、境内の垢離取場にて身を清める水垢離行を行い、四本柱という聖域を通ります。『地押し修行』といい、邪鬼を供養するために柱に囲まれた聖域を踏み鎮めるのです。22時には本堂の2階部分にある御福窓から宝木が投下されます。宝木が仁王門の外に持ち出されたのち、検分が行われ、その年の福男が決まります。そして、宝木は祝主に渡されるという流れです」

水垢離行の様子水垢離行の様子

地押しは疫病神を集めた四本柱の間を通り踏み固めることで鎮める意味がある地押しは疫病神を集めた四本柱の間を通り踏み固めることで鎮める意味がある

宝木が投下される場面では本堂の大床に人がひしめき合う宝木が投下される場面では本堂の大床に人がひしめき合う

——2023年のお祭りはどのように行う予定でしょうか。

大森さん「今回は3年ぶりに観客を入れて行いますが、宝木争奪戦は見送ります。19時30分から行われる裸(裸の男たち)による地押し修行の後、宝木を本堂の御福窓から投下し、祝主に直接授けます。この方法は2022年も行いましたが、奪い合いが起こる1000年前はきっとこういう形だったろうという方法を再現しました。会陽甚句の演舞や会陽太鼓、花火の打ち上げなどは行う予定です。また、すべての席を無料にいたします。」

坪井住職「今年は宝木争奪戦がなく祝主さんへの授与ですが、祝主となる企業にはたくさんの関係企業やその家族がいて、たどると何百何千何万と人のつながりがあるのです。昔は祝主をつけずにたった一人の福男が家に持って帰ったんですが、家族5人だったら5人で止まってしまう。地域全体に広げていくためには企業でないと、祝主でないといけない、そういう意味で祝主に直接投下するということは理にかなっていると思います。」

2023年の西大寺会陽(はだか祭り)への思いとは

——最後に、2023年の西大寺会陽(はだか祭り)への思いを聞かせてください。

大森さん「地押しは備前、備中、備後、美作といった岡山・広島県の疫病神を四本柱に集め、この地域の信徒がまわし姿になって水垢離をし、足で地面を踏み固めて鎮めます。お相撲さんの四股を踏む様な所作で、四本柱の中に入っている岡山県を中心とした4つの国の疫病神を集めて鎮めるという意味があります。また、修正会は正月元旦から修するものなので、その前の年に『疫病が流行った』などがあれば疫病平癒、戦争もありましたので世界平和という意味で天下泰平、いまでは商売繁盛と言いますが五穀豊穣を願い、『昨年は大変だったけど、今年こそは良い年になりますように』と、14日間念じながら結願となる会陽の日を迎えるものです。宝木争奪戦はなく、マスクをした上で声もあまり出さない形ですが、新型コロナウイルスを鎮めていくという願いを込めて、地押しだけはやらなきゃいけないと思っています。」

取材:2022年12月26日

西大寺会陽 特設ページはコチラ

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