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1月25日は初天神!天神信仰って何?怨霊から神になった学問の神さまとは?

1月25日は初天神!天神信仰って何?怨霊から神になった学問の神さまとは?

菅原道真は平安時代に実在した政治家・学者で、死後「天神様」と崇められるようになりました。
しかし、人気漫画『呪術廻戦』(芥見下々/集英社)でもしばしば言及されるように、道真は「日本三大怨霊」として歴史に名を残すほどの恨みを残して死んだとされる悲劇の人物でもあります。
そんな道真がなぜ現在のように学問の神様となっていったのでしょうか。この記事では道真と天神信仰の成り立ちについて詳述します。

菅原道真公肖像(国立国会図書館蔵)菅原道真公肖像(国立国会図書館蔵)

異例の出世と非業の死!左遷の黒幕は?

菅原道真(845-903)は、3代続く学者の家に生まれました。貴族としての身分は低かったけれども、幼い頃より詩歌に優れていたことから学問の才を認められ、18歳で文章生(もんじょうせい)に選ばれます。これは現在で言うと、歴史(主に中国の歴史)・漢文専攻の大学院生といったところです。

幼少時の道真詩歌を認める幼少時の道真。梅花を背景に。(国立国会図書館蔵)

そこから8年後、道真は文章博士となり、朝廷の文人として一目置かれる存在に。890(寛平2)年以降は、藤原氏の専横に楔を打ち込もうとした宇多天皇に重用され、政治的にも異例の出世を重ね、宇多天皇の息子・醍醐天皇の時代には当時の太政官制度で序列ナンバー3となる右大臣に任命されます。

ところが平安の貴族たちは、学者の家の出である道真の政界での出世が気に入りません。道真が宇多上皇と謀って、皇位をほしいままにしようとしていると醍醐天皇に讒言し、901年、道真は太宰府へと左遷されることになります(昌泰の変)。黒幕は当時の左大臣・藤原時平と言われています。

ここまでの中央政界での動きは歴史の教科書にも書かれています。

そして都落ちする道真が自宅の梅の木を前に詠んだ和歌「東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」。こちらは古文の教科書に出ていました。

道真は903年、太宰府で失意のまま死の床に着くことになります。

「御霊信仰」で怨霊に!雷神と一体化!?

てんじんき『てんじんき』より。都に災厄をもたらす雷神(国立国会図書館蔵)

道真の死後、都では奇妙なことが起こります。908年、時平に加担した藤原菅根が病死。翌年には当の時平が39歳で病死します。910年からは洪水、大火と毎年のように災害が起こり、913年には道真の後任であった源光が死去。口さがない京の人々はこれらが道真の怨霊だと噂しました。

「怨霊(おんりょう)」、つまり、恨みを残して死んだ者が祟りとなって、生きている人間に不幸をもたらすという考え方は日本に古来からあった考え方です。この考え方は、死んだものが悪さを起こさないよう、その霊を慰め、大切に祀るという発想に行き着きます。これが「御霊(ごりょう)信仰」です。これほどの大災厄を起こすことができるのは、生前から人並み以上の知恵を持っていた道真公に違いない、と当時の人々は考えたのです。

疫病の流行、渇水、洪水は引き続き、923年、皇太子・保明親王が薨御するに至って、朝廷は道真の処分を撤回し、正二位の官位をも贈りましたが、呪いは収まりません。

極め付けは930年、御所清涼殿への落雷です。この事故で道真の左遷に関わった藤原清貫が死亡し、醍醐天皇も体調を崩し、3カ月後に崩御。いよいよ道真は天候を操る「火雷天神(からいてんじん)」となって都を滅ぼそうとしているのだと貴族たちは恐れ慄きます。

ちなみに、都で一カ所だけ絶対に雷が落ちない場所がありました。それは、道真の屋敷があった桑原の地。雷が鳴り出すと、貴族たちは「くわばら、くわばら」とまじないの言葉を唱えるようになったそうです。

この頃、関東では後に道真と並び日本三大怨霊に数えられることになる平将門の乱が起こり、瀬戸内海では藤原純友の乱が起こるなど不穏さは増すばかり。かくして朝廷は、道真の怨霊を鎮めるため、道真を神として祀る社を建立することを決めます。都の西北・北野の地には、元々天気を司る火雷天神を祀る神社があり、ここを雷神となった道真を祀るに相応しいと定め、947年に神社が建立されます。これがのちの北野天満宮です。

『てんじんき』より、北野の地に祀られる道真。(国会図書館所蔵)

ここに至って、ようやく天変地異や怪死は収まりましたが、この最強の怨霊を慰めるため993年には、正一位左大臣、同じ年にはさらに太政大臣が贈られ、道真公は死して位人臣を極めることとなるのでした。

怒れる雷神が、なぜ学問の神様に?

牛のり天神像。一説に、道真の命日が丑の日だったことから、牛は道真の使いとされている。(神奈川県・久里浜天神社)

道真公が神として祀られた北野天満宮は、菅原家の管轄におかれました。前述したように菅原家は学者の家として尊敬されており、道真公の優秀さは都に響いていたため、北野天満宮はやがて学問の聖地として認識されるようになります。鎌倉時代や室町時代になると、北野天満宮で歌合わせや連歌の会などが頻繁に開かれるようになります。この頃にはすでに祟る雷神としての道真像は薄れ、逆に生前の詩歌に優れた大学者としての側面がクローズアップされるようになりました。

江戸期には勉強を教える寺子屋に道真公の絵が飾られるようになります。学問の神様として、そして道真公の書が素晴らしいことから書道の神としても尊敬を集めるようになったのです。

富山県の家庭では、学力向上や書道の上達を願って、お正月に天神像を飾る風習があります。12月25日から1月25日の間、掛け軸や木彫りの菅原道真像を飾り、お供えをします。この掛け軸は初孫が生まれた年末に妻の実家が贈ることになっています。この地域でこのような風習が伝わっているのは、一説には江戸時代に加賀国を治めた前田家が菅原道真の末裔であったことからではないかと言われています。

全国的にみても珍しい風習ですが、庶民の間でいかに天神様が大切にされてきたかを示す例ですね。

 

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道真公が天神さまになる以前にも、天神さまはいらっしゃいました。ただし、特定の神さまではなく日本神話にある高天原に住んでいた神々の総称として使われていた言葉です。地上に住んでいた神さまの対比として「天神」と呼ばれ、信仰の対象となっていました。

そして、北野天満宮の沿革を記した『北野天神縁起絵巻』によると、道真公は没後すぐに「天満大自在天」という神号で呼ばれています。元々古代信仰の「天神」を祀っていた北野の地に、「天満」の道真公が祀られたことによって、天神と天満宮が結びつき、やがて古代の天神信仰は薄れ、道真公の天満宮として広まっていったのです。今では道真公を祭神とする天満宮・天神社の数は1万2000社に上ります。

全国の天神社では、道真公の誕生日6月25日と命日である2月25日にちなみ、毎月25日に天神の縁日が立ちます。中でもその年の初めの1月25日は「初天神」として賑わいます。初天神の日には、「鷽替(うそかえ)」という神事も行われます。これは、前年に家に飾った木彫りの「鷽」という鳥を模った人形を神社へ返納し、新しいものと「とり」(鳥)替えることで1年の吉運を招くというもの。蜂に襲われた道真公を鷽が助けたというエピソードも残されているそうです。

時代を超えて愛される道真公

実は他にも、道真公はさまざまな神さま、仏さまと結びついています。

道真公の神号「天満大自在天」は、インドのバラモン教におけるシヴァ神の仏教における呼び名です。シヴァ神は白い牛に乗っている神さまであり、道真公が牛と縁深いものになっていることと関係があると言われています。

聖なる牛「ナンディン」に乗ったシヴァ神とその妻。

また、仏教では、道真公が観世音菩薩(観音さま)の化身であるという説もあります。観音さまはさまざまな姿で人間の前に現れるとされ、道真公の他、聖徳太子や藤原鎌足などすぐれた人物は、観世音菩薩の化身だと考えられていたのです。その関係から、かつては観音の縁日である18日に天神講が行われていたそうです。

さらに室町時代には、禅宗の間で「渡唐天神伝説」なるものが流行します。これは、道真公が中国に渡って禅の高僧から衣鉢を受けたという話で、中国服を着て梅の枝を持った道真公を描いた絵がたくさん残っています。禅宗は書画や芸術を尊ぶ気風があったことから、日本史上随一の文人である道真が尊敬の対象となったのです。

このように、道真公はさまざまな形で崇拝の対象とされてきました。それは、道真公の優れた人格や能力がいつの時代も憧れと尊敬の対象とされていた証なのです。

さらに時代を下って明治時代には、道真公は無二の忠臣としてたたえられるようになりました。ひどい処分を受けたにも関わらず、道真公が決して天皇を恨まなかったという面が強調されたのです。1888(明治21)年には、紙幣の顔にもなりました。その後も昭和18年までの間に、道真公は6回もお札の顔に選ばれています。

道真公の肖像に加え、北野天満宮と梅の花があしらわれている。

身近なところでは、あの著名な学生服ブランドも菅原道真公と関係があります。そう、「カンコー学生服」です。岡山県岡山市に本社を置く同社は、1929年創業。正式には「菅公学生服株式会社」と言います。同社では1月25日を「菅公学生服の日」と制定。「子どもたちの学業成就と健やかな成長を祈る日」としています。

受験シーズンもピークを迎える今月、1月25日の初天神に、道真公のご利益にあやかりに出かけてはいかがでしょう。

この記事を書いた人
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