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岩手・神秘の里で開かれた2023年「日本のふるさと遠野まつり」 !豊富過ぎる郷土芸能の祭典!

2023/10/18
2023/10/25
岩手・神秘の里で開かれた2023年「日本のふるさと遠野まつり」 !豊富過ぎる郷土芸能の祭典!

2023年9月16・17日、岩手県遠野市にて、「日本のふるさと遠野まつり」が行われました。

神秘的な昔話や伝説が数多く存在し、それらの民話を集めて編集した柳田國男『遠野物語』の舞台として有名な街、遠野市。遠野市は市内の郷土芸能団体の数が60団体と全国トップクラス。「遠野まつり」は、そのうち40団体が一斉に参加する本当に贅沢なお祭りです!多彩な郷土芸能が披露された充実の2日間をレポートします。

郷土芸能の宝庫!遠野まつりとは?

北上山地の真ん中にあり、豊かな山々に囲まれた遠野市は、しし踊りなどの郷土芸能が数多く伝わる地域です。

沿岸と内陸の間に位置するこの地は古くから交通の要所であり、宿場や交易が発達し、多くの人々が往来する過程で様々な文化が持ち込まれ、それが民話や郷土芸能の礎となっていたようです。

1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いの折、400年近く遠野を支配していた阿曽沼氏が失脚。無政府状態が続いて治安が悪化しましたが、1627年に八戸より南部直栄氏が移封になり、この地を治める事になります。
治安が悪く荒れ果てたこの地を立て直すため、考えたのが、神社での「お祭り」です。

武士には、八戸で行われていた流鏑馬を奉納させ、領民には、郷土に伝わる芸能を奉納させました。
武士と領民が同じ場所に集うことにより、分け隔てない交流が生まれ、それが日頃の不安や不満のはけ口となり、治安の安定に繋がります。
1661年頃からは、武士には「流鏑馬(やぶさめ)」を、町民には「南部ばやし」を、村人には「獅子踊り」を、それぞれ推奨し、例大祭などで披露されるようになったそうです。

かくして、各神社の例大祭などで分散していたお祭りでしたが、1968(昭和43)年11月に、明治百年記念行事として、市民参加型の郷土芸能祭が立ち上がります。
この芸能祭が好評で、翌年から8月に「とおの夏まつり」が開催されるようになり、1972年から「日本のふるさと遠野まつり」と改称、1973年から開催日を9月14・15日の遠野郷八幡宮例大祭に合わせて開催するようになりました。現在は、市外からの観光客が来やすいように、9月の第3土・日曜の開催になっています。

まつり1日目は遠野駅前通りがメイン会場になり、獅子踊りや南部ばやし、神楽などの郷土芸能のパレードや共演会が行われます。2日目は、遠野郷八幡宮がメイン会場になり、南部流鏑馬、馬場めぐり(郷土芸能パレード)が行われ、遠野の郷土芸能が集結する貴重な2日間となります。

【1日目】市中で繰り広げられる伝統文化の大行進!

初日の見どころは、遠野の郷土芸能が一堂に会するパレードです。

見ればハマる!勇壮な”しし踊り”

遠野市が誇る「しし踊り」いよいよ入場開始です。

「青笹しし踊り」勇壮な動きの舞です。

 

「山谷獅子踊り」。太刀振りが勇ましいです。

 

「駒木鹿子踊り」。レンガ造りの遠野駅の前で画になります。

 

「張山しし踊り」。遠野しし踊りの中で唯一、白幕を付けます。

しし踊りは各団体によって衣装が異なり、その違いを見るのも楽しいです。
15:45からは、市内11団体490名が駅前大通りで一斉に踊る、しし踊り大群舞が行われ、迫力に圧倒されます!

 

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太鼓の轟き、お囃子の響きが街中に鳴り渡り、見ている人の心を踊らせます。

その後も、街中の有名店の前で踊る「門付け」が行われ、街中のあちこちで踊られて賑やかです。

見る方も、休んでいる暇はありません!

何故岩手で?不思議なしし踊りの由来は?

岩手~宮城県北一帯に伝わる「しし踊り」。
花巻・江刺地方では、踊り手自らが太鼓を鳴らす「太鼓踊り系」、遠野地方では、踊り手は幕を持ちながら踊る「幕踊り系」に分かれます。各団体により、「獅子・鹿子・しし」と、名称が変わります。

太鼓踊り系のしし踊りは、踊り手が太鼓、踊り、唄全てを一人でこなしますが、幕踊り系は踊り手と演奏者が別なので、笛の演奏など様々な役割のメンバーで構成され華やかになります。
余談ですが、筆者である私自身、花巻市に伝わる春日流鹿踊の踊り手でもあります。

太鼓踊り系

「春日流鹿踊」(2018年「花巻まつり」にて)

幕踊り系

「青笹しし踊り」(2023年「六神石神社例大祭」にて)

幕踊り系は、白い和紙で作った「カンナガラ」を下げて、それを振り回しながら激しく踊る姿がとても勇壮的です。

起源については、太鼓踊り系と幕踊り系とでは違う説もあり、さらに幕踊り系の中でも諸説あったりと、確定していないのが現状です。ただ、京から伝わった説が各地にある事から、鹿を神聖視する京都・奈良の思想が根源にあるのは共通していると考えられています。太古の自然エネルギーが漂う岩手の山々に過ごす人々には、神聖な生き物=山の神に対する畏怖や敬意が根付いており、それがしし踊りが広まる要因になったのではと推測されます。

遠野しし踊り「長野系」と「駒木系」

遠野の幕踊り系しし踊りは、約400年前に、岩手県南の僧侶より伝わった「長野系」と江戸中期に、京都で見た踊りと地元の神楽などを融合させた「駒木系」とで大別されています。

その駒木系の中に、江戸後期に静岡県掛川で見た踊りを覚え、遠野の地で在来のしし踊りと融合させた「板澤しし踊り」もあり、その縁で、駒木鹿子踊りと板澤しし踊りの幕には、掛川の文字が書かれています。

祇園文化がみちのくへ!華やかな「南部ばやし」

「南部ばやし」は、遠野を治める事になった南部直栄氏が京都・祇園の文化を持ち込み、それを町人に推奨して発達した芸能です。鮮やかな着物をまとった女の子が舞い、後方の屋台が演奏するスタイルです。

市内には5団体の南部ばやしがあります。

紅色が特徴の「上組町」

「一日市」。それぞれの衣装が違うのは、交易で儲けた商家が独自に高価な着物で着飾った事に由来。

さんさに八木節まで!?郷土芸能が大集合!

パレードは続きます。これほど豊かな郷土芸能がある遠野の凄さを、ぜひ現地で体感してもらいたいです!

遠野で唯一の「太鼓系」、「行山流湧水鹿踊」。背中に背負う「ササラ」が鳥の羽根なのが遠野の特徴。

「早瀬さんさ」。盛岡市周辺で踊られているさんさ踊りが遠野にも伝わっています。

「神楽」

山岳信仰が盛んであった早池峰山への敬意から、神楽が多く伝承されています。市役所前の特設ステージで市内10団体の舞が披露されます。

「南部田植え踊り」。奥州市~北上市で踊られている田植え踊りも、遠野に伝わっています。〝田植え〟の名前とは裏腹に、派手な色合いの衣装が綺麗です。

パレードに神輿が登場!やはり遠野まつり、神輿もただの神輿ではなく、女子二人が上に乗り、餅やお菓子をばらまきながら進んでゆく、愉快なスタイル。

遠野まつりの神輿。

群馬県で踊られている「八木節」が登場します。
昭和50年代前半に、遠野市松崎町新張地区に住む八木節愛好者たちで踊られていたのが
地区全体に広がり、現在では新張地区の郷土芸能として受け継がれています。

「新張八木節」

もう何でも揃うのが遠野まつり!

七福神と宝船

夜は幻想的に…郷土芸能共演会

盛りだくさんのパレードでしたが、夜の部では、駅前通りが遠野にちなんだ名前を持つ5つのエリアに分けられ、各エリアで芸能が披露されます。

駅に近いエリアから順に、「てんぐ」「おしら様」「座敷わらし」「カッパ」「天人児(てんにんこう)」。『遠野物語』にも採録されている妖(あやかし)達の名です。

ちなみに、おしら様は、遠野地方に伝わる養蚕の神様です。馬と娘の悲恋の昔話が伝わっています。また、天人児とは天女の事。山から降りてきた天女と村の盗人との昔話が、この遠野の地に伝わっているのです。

5つのエリアで同時に踊るので、あっちもこっちも見たくてバタバタ動き回ってしまいます!

「駒木鹿子踊り」。”太刀振り”がカッコいいです!


 

「佐比内しし踊り」


 

「綾織しし踊り」


 

「張山しし踊り」。メス鹿を巡って、オス鹿が戦う「女じし狂い」という演目。「太鼓系鹿踊り」にも同様の演目がある。

面を被って舞台で踊る、いわゆるお神楽とは別に、遠野には大人数で剣舞を踊る神楽もあります。若い人を中心にした踊りで、剣を振りかざし、ラインダンスのようにリズミカルに舞います。

「飯豊神楽」

南部ばやしも、夜の方が華やかさが増します。

「穀町」

「仲町」

昼から夜まで、街中で絶え間なく、さまざまな芸能が堪能できる遠野まつり。あちこちと追いかけ回るのが醍醐味です。

【2日目】馬場で観る「遠野南部流鏑馬」と「伝統芸能」!

遠野まつりの2日目は、遠野郷八幡宮がメイン会場になります。

八幡宮の参道

360年の伝統!「遠野南部流鏑馬」

遠野郷八幡宮の馬場は、1661(寛文元)年に、現在の遠野市松崎町・光興寺にあった八幡神社を現在地に遷宮した際に造営されました。その際、遠野を治める南部氏が、出身地の青森県八戸・櫛引八幡宮で奉納されていた流鏑馬を、こちらでも奉納させたのがこの行事の始まりとされています。
馬場の長さは220メートルもあり、これだけの長さの馬場が藩政時代から残っているのはここと島根県・鷲原八幡宮の2ヶ所だけです。

開始前の馬場

開始前に、神主によるお祓い「馬場清め」が行われます。

的の位置などを入念にチェックします。

いざ出陣!

命中!

矢を射る「射手奉行」が走った後は、「介添奉行」と呼ばれる褒め役が「よう射たりや~」と馬に乗って叫びながら褒めたたえるのが南部流の流鏑馬です。介添奉行は矢を射ないとはいえ、そのぶん高速で走り抜けるので、手放しで乗るのはかなりの技術が必要ですね!

「介添奉行」

再び遠野の郷土芸能大集合!「馬場めぐり」

流鏑馬の終了後は、郷土芸能のパレードを馬場で行う「馬場めぐり」。
まずは、神殿の前で踊りを奉納します。

その他にも、場内の至る所でゲリラ的に舞が始まったりと、場内が静まる時間はありません。本当に賑やかで楽しいです!

「青笹しし踊り」


 

「板澤しし踊り」

1日目のパレードのように駅前通りで複数が同時に舞うのとは違い、それぞれの団体が順に巡ってくる形式なので、落ち着いて見られるのが、2日目の馬場めぐりの特徴です。

「佐比内しし踊り」

集落みんなで踊りを伝承するので、小さいころから踊りを覚えます。とても微笑ましいです!

遠野のしし踊りは全て「種ふくべ」と呼ばれるリーダーが先導します。全ての役柄を熟知しているベテランだけが、この大役を努めます。

「土淵しし踊り」。先導している中年男性が「種ふくべ」。


 

「綾織しし踊り」。綾織は「太刀振り」と呼ばれる女性の踊り手が独特。太刀振り同士での剣舞がある。


 

「細越獅子踊り」


 

「張山しし踊り」

 

遠野太神楽

幕末に伊勢より伝わった踊りを、地元の踊り名人が仕上げ、遠野独自のスタイルとして確立した太神楽です。


 

虎舞

「暮坪虎舞」。沿岸の釜石市大槌町に伝わる虎舞が内陸では唯一、遠野市の暮坪地区で伝承されている。

遠野のさんさ

盛岡地方で踊られているさんさ踊りは、比較的新しい時代に遠野に伝わりました。「下郷さんさ」は、1949(昭和24)年に下郷地区に伝わり、遠野独自の衣装とリズムになって進化しています。本当に華やかな衣装です。

 

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「山口さんさ」。大正初期に伝わった踊りで、桃色の衣装が特徴。

遠野の神楽

 

「大出早池峰神楽」。早池峰山の麓、遠野の里でも最も奥にある神秘的な集落、大出地区に伝わる神楽。大幣(お祓い棒)を持った子どもたちが輪になって踊る。

「鷹鳥屋神楽」

緑に映える「南部ばやし」

 

馬場で観る「南部ばやし」。昨日のアスファルトの通りとは違った雰囲気。緑に朱やオレンジ色の衣装が映えてとても綺麗です。

「上組町」

舗装された地面ではないので、山車を押すのも一苦労です。

「仲町」

「八木節」「神輿」も登場!

 

「新張八木節」

八幡宮でも、餅まき神輿は健在です。

こちらは少年が乗っています。小さいうちから、お祭りデビューですね!

締めはやっぱり「獅子踊り」!

 

今年の馬場めぐりの大トリを飾るのが、小友地区に伝わる山谷獅子踊りです。

「山谷獅子踊り」

本部前では、他とは違う演目も披露され、勇壮な舞に感激します。

「山谷獅子踊り」

八幡宮神楽殿では「神楽共演会」が同時開催!

馬場めぐりとほぼ同時に、遠野郷八幡宮本殿前の神楽殿では、市内神楽団体による演舞が行われています。

人口約2万7000人の里に、60もの郷土芸能団体がある奇跡的なまち、遠野。そのうち40団体が集まる遠野まつりは、郷土芸能団体の数が約1000団体と、沖縄と並び全国でもトップクラスに郷土芸能が盛んな岩手県においても、群を抜いています。

藩政時代から、凶作や圧政による飢えと貧しさと闘いながらも、各地で細々と伝承されていた郷土芸能が、生活が徐々に向上し始めた大正~昭和にかけて、市内各地で盛り上がり、衣装も華やかな物へと進化していきました。

動きの激しい踊りは、山の神への感謝の念とともに、闘い続けた魂を伝承しているように思えます。

妖怪が棲む街!?遠野の不思議な魅惑

遠野では、

・360度を山に囲まれ、山岳信仰が盛んだった不思議な空間であった。
・交通の要所であったため、人々の往来が多かった。

この二つの要因が融合し、既存の文化と外の文化が合わさったことで、昔話がたくさん生まれました。

山々が放つ太古のエネルギーは、妖怪という形で現出し、可視化され、さまざまな物語に登場します。遠野市は、妖怪がたくさん棲む街なのです!

遠野の昔話・文化・妖怪を楽しめる施設がたくさんあります。その施設を紹介します。

遠野市立博物館

映像機器などを用いた、近代的な展示スペースで、遠野の神秘的な民俗を知ることが出来ます。

とおの物語の館

遠野地方に伝承されていた民話をまとめた『遠野物語』の著者、柳田國男氏が滞在した旧高善旅館と、酒蔵を改築した建物に、柳田氏の生い立ちや妖怪の世界を体感できるコーナーを展示。

伝承館

養蚕の神様であり、馬と娘の悲恋の昔話もある「オシラサマ」がカラフルに1000体安置されているオシラ堂があります。1日目パレードのエリア名になっている「おしら様」の現物はこちらでご覧になれます。おしら様は、桑の木で作った素朴な人形に、端切れを重ねて着せた姿をしています。

遠野ふるさと村

江戸中期~明治初期に建てられた豪農の邸宅「曲がり屋」を7棟も移築。日本の農村の原風景が広がり、お馬さんにも会えます。

カッパ淵

遠野市土淵町にある、カッパが現れた伝説が残る小川。小さな社があります。

道の駅遠野 風の丘

遠野の里を一望できる丘にある道の駅で、テラスからの眺めが爽快です。遠野の産品やグルメがみんな揃います。

この他にも、遠野の息吹を感じられるスポットがあるので、1週間ぐらいかけてじっくり滞在するのもおススメです。

全国的に類を見ない、多種多様な郷土芸能を一気に楽しめる遠野まつり。お祭り好きだけでは無く、郷土芸能や民俗学、怪異物語が好きな方々も、存分に楽しむことが出来るお祭りです。ぜひ、実際に来てご体感ください!

※遠野市内は宿泊施設が少なく、遠野まつりの日はすぐ満室になるので、お早目の予約をおススメします。

遠野市へのアクセス

<東京から>
東京~新花巻⇒東北新幹線「はやぶさ」or「やまびこ」2時間40~3時間20分ほど。
新花巻~遠野⇒釜石線「快速はまゆり」or普通列車で42~54分。

<祭り会場まで>
1日目:遠野駅前で開催されます。
2日目:遠野駅から遠野郷八幡宮へのシャトルバスが運行しています。

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