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3年に1度の本祭り!新旧が交差する舞台で繰り広げられる「東京佃・住吉神社」の例祭をレポート

2023/8/15
2023/8/15
3年に1度の本祭り!新旧が交差する舞台で繰り広げられる「東京佃・住吉神社」の例祭をレポート

2023(令和5)年8月4日(金)〜7日(月)、住吉神社(東京都中央区佃)では例祭が執り行われた。本年は3年に1度の本祭。この記事では、本祭3日目(8月6日)の様子をレポートする。

新旧が交差する町と住吉神社

佃島の歴史は江戸時代までさかのぼる。NHKの大河ドラマ「どうする家康」で松本潤さん演じる徳川家康との機縁で、摂津国佃村(現・大阪市西淀川区)から江戸に移り住んだ漁民たちが築島した街。この島を故郷の摂津国佃村にちなんで「佃嶋」と命名した。

1646(正保3)年には、摂津国佃の住吉社の分霊(住吉三神)を祀るため住吉神社が創建された。祭神は住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)と、息長足姫命(神功皇后)と東照御親命(徳川家康)の5柱。

その後、明治から昭和にかけて埋立地が拡大するともに、住吉神社の氏子地域も、月島、新佃島、勝どき、豊海、晴海へと広がる。同地区は住宅地、高層マンション、オフィスビル、倉庫と様々な側面をもつ街へと発展してきた。

住吉神社の例祭は佃祭とも呼ばれ、落語の演目の一つにもなっている。「情けは人の為ならず」という諺をテーマに、夏祭りで賑わう佃島を描いた江戸の古典落語である。興味のある方は、ぜひこちらも視聴してほしい。

佃島に立てられる6本の大幟

住吉神社例祭(本祭)では、佃島に6本の大幟が立つ。例祭初日の8月4日午前10時に大幟が一斉に旗揚げされるとこの祭りの始まりとなる。

高さ18メートルにも及ぶ大幟は、1798(寛政10)年に幕府から建てることを許されたと伝わる。かつては江戸城からも見えたといわれ、その大きさで見る者を惹きつけてきたことだろう。

これらの柱は佃小橋の横、佃堀(佃川支川)の水底に埋められており、3年に1度の本祭りの度に掘り出さるという。今年は7月2日に掘り出され、8月27日に再び埋設される予定となっている。

本祭3日目は船渡御からスタート

古くから行われていた隅田川へ神輿を担ぎながら入る海中渡御は、防潮堤の建設や河川の汚染等の理由から、1962(昭和37)年の例祭を最後に廃止された。しかし、地元民の運動が功を奏し、1990(平成2)年には28年ぶりに船渡御が復活。現在でも例祭中最も重要な行事の一つとされている。

出社祭・宮出のあと住吉神社の宮神輿は佃公園のテラスから御座船に乗り、佃・月島・晴海の氏子地区を巡る。祭り囃子を奏でる供船を従え、住吉神社と書かれた旗や五色の旗を掲げた御座船が巡航する光景は、住吉神社の氏子にとって待ちに待った3年であろう。隅田川の河川敷からは多くの人らが見送っていた。

宮神輿が東京湾の晴海沖に到着すると「海上祭」が執り行なわれる。海運業をはじめとする多くの人々から海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めてきた住吉神社ならではの祭祀といえるだろう。

佃島を練り歩く八角形の宮神輿

住吉神社の宮神輿は八角形をしている。その形から八角神輿と呼ばれと親しまれている。八角形の神輿は東京では珍しく、天皇陛下の御座(高御座)を模したとのこと。

初代の八角神輿は、1838(天保9)年に製作されたが老朽化が進んだため、2011(平成23)年にあらたな八角神輿を新調。現在は祭り囃子を背景に、二代目の八角神輿が佃の町内を練り歩く。

午前中、佃の町内を練り歩いた八角神輿は、午後になると勝鬨の御旅所(お仮宮)へと発輦。リレー形式で各町会の氏子によって担がれた神輿は御旅所で一泊。翌日、再び道中の氏子によって還御する。

住吉神社へのアクセス

住吉神社へのアクセスは、東京メトロ有楽町線・都営大江戸線「月島駅」6出口より 徒歩で約5分。今回ご紹介できなかったが、5日(土)には町内神輿の連合渡御や獅子頭の宮出しも執り行われる。また、前述のとおり住吉神社の氏子地域は広いため、祭りを見物する場合は住吉神社周辺やもんじゃストリートなどポイントを絞るといいだろう。

住吉神社
〒104-0051 東京都中央区佃1丁目1−14

まとめ

この記事では、住吉神社例祭(通称・佃祭)について紹介してきた。住吉神社の氏子地域には晴海トリトンスクエアをはじめとするオフィスビルが多数存在する。エントランスに貼られたポスターで住吉神社の例祭を知った読者もいるだろう。自宅と勤務地の往復で終わるのは定期代がもったいない。3年後はぜひ、佃のお祭りを楽しんでもらいたい。

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