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うねめの里 冬花火。イベント開始から20年の節目、今後はどうなる?

うねめの里 冬花火。イベント開始から20年の節目、今後はどうなる?

毎年1月7日の日付固定で開催される福島県郡山市片平町のうねめの里冬花火のレポートになります。今年は、開催から20年の節目にあたり行ってきました。また奈良市で必要な写真を撮れる機会が得られた為、公開が遅くなってしまいました。

今回はお祭りの紹介だけでなく、最終項にはお祭りや花火大会が立ち向かう厳しい現実についても少し触れさせて頂きました。是非、自治体や公共団体の方に興味を持って貰いたい内容でもあります。

うねめとは?

うねめと言うあまり聞きなれない言葉は漢字で「釆女」と書きます。日本の朝廷において天皇や皇后の食事など、身の回りの雑事を専門に行う女官の役職です。この土地がうねめの里と呼ばれるのは、古くは奈良時代(約1300年前)にあった釆女伝説が関わって来るようです。

当時、この地域では冷害に悩まされ朝廷への貢物が滞っている状態が続いていました。その為、奈良の都から巡察使(今で言う国税庁)として葛城王(後の橘諸兄)が様子を見に派遣されます。里に住む人達は現状を訴え貢物の免除をお願いしましたが、その願いは当然ながら簡単には聞いてくれません。

とりあえず、その夜に葛城王をもてなす宴が開かれる事になり、その席に里長の娘である春姫も接待役を勤める事になります。春姫が心からもてなし、その様子を歌に詠んだ事で葛城王は大変気に入り、天皇の釆女となる事を条件に里の貢物を3年間免除する事を約束しました。春姫はみんなの為であればと奈良の朝廷に出向く事になります。

しかし、春姫には笛の名手でもある小糠治郎と言う相思相愛の若者がおり、どうしても彼の事が忘れられませんでした。ついには池に入って自殺したと見せかけて、里に逃げ帰ってしまいます。ようやく里にたどり着いた春姫ですが、治郎が一足先に悲しみに耐えきれず自殺してしまった事を知り、そのまま後を追うことになったそうです。

奈良に残るもう一つの伝説

さて、実はこの悲劇の舞台でもある朝廷の住む都があった奈良県奈良市にも采女伝説が残っています。郡山市の伝説では入水したと見せ掛けて里に帰りますが、奈良市の伝説では当然ながら逃げ帰ったのが見つかると連れ戻されてしまう為、猿沢池に飛び込んで亡くなってしまう所で終わっています。理由も忘れられない相思相愛の若者がいたからではなく、天皇の寵愛を受けられなくなったからだとされています。

そんな縁により、奈良県奈良市と福島県郡山市は昭和40年に姉妹都市を結びます。それ以降、毎年8月には郡山市でうねめまつり、9月には奈良市で釆女祭が行われています。

また、この池のそばには身を投げた采女を祀る為の采女神社が建てられています。この伝説を裏付けるかの様に神社の本殿が西向きで池や鳥居には背を向ける格好になっており、普通の神社ではまずありえないような構造の様です。これは采女の霊が自分が身を投げた池を見る事のない様にと気を利かせて建てられたそうです。

現在、この采女神社は縁結びの神様としての扱いもされています。通常時は無人で立ち入る事もできませんが、采女祭の当日などは神社が開放される場合があり、その際は「えんむすび守」などの授与が行われます。

会場の様子

話はうねめの里冬花火に戻ります。お祭りのイベント会場は片平ふれあいセンター広場になります。周辺には商工会青年部などによる飲食の屋台が並びます。どうやら地元価格に設定されているのか、非常に安価で提供されており、財布にも非常にやさしいです。主催者による挨拶なども行われ、これまでの20年間続けてきた想いなどが語られました。

よくある「じゃがバター」1個50円だったので、これで100円!

塞ノ神(神事・点火)

この地域に残る新年の伝統行事である塞ノ神。どんと焼きとも呼ばれており、各家庭で使い終わった正月飾りなどの縁起物を納めに行くお焚き上げの行事になります。

竹や藁で組み上げられた大きなやぐらの前では、無病息災や家内安全を祈願する神事が行われます。その後、納められた正月飾りなどと一緒にやぐらごと点火し、ある程度、火が安定してきたら長い竹竿に刺してある餅を焼いて食べます。この火で焼いた餅を食べると今年1年間病気にならない言い伝えがあります。

うねめ太鼓

8月に行われる、うねめまつり30周年を記念し、始まった和太鼓の演奏。釆女に因み、全国でも珍しい女性による編成の創作太鼓として活動しています。

また、青少年の成長を願い、平成13年から小若組を創設し、こちらは男女問わず子供達による和太鼓の演奏となります。今回はこちらの小若組のみの出演になり、雨天の関係で室内での演奏となりました。

 

うねめの里 冬花火

2014年には現在、会津若松市で開催されている会津花火の前身でもある競技大会を行った場所にもなります。担当煙火店は糸井火工による打ち上げです。最大号数は7号玉となり、単発打ちやスターマイン、約250発でのプログラムが行われました。

話によると今回の20回目を節目に花火を一区切りするかもしれないとの事で、花火屋さんも手の込んだ玉を持ってきていたりと贅沢な花火の打ち上げでした。ただ、あいにくの天候で花火が煙で隠れてしまったりと少々勿体なかったです。

今後について

上の項でも少し触れましたが、今年で花火大会は一旦終了になる可能性があるとの事です。伝統行事である塞ノ神などのイベントについてはおそらく継続されるそうです。まだ中止になる事が決定事項ではないのですが、原因はやはり予算不足によるものであり、この問題は全国各地で起こっています。

花火の費用は決して安いものではありません。ほとんどが町の予算だったり、個人や企業の協賛によるものであり、主催者側が収益を生まない無料で見られる河川敷の花火です。過疎化、少子高齢化、不景気、警備員の人件費高騰など、これだけの材料が揃っていれば、小さな花火大会から順番に消えてゆくのも仕方ありません。

それに、こうすれば良くなるなどの解決策があれば、とっくにどの自治体も行っており、そんなに簡単な話ではないのは重々承知ではあります。ただ、このまま何もせず廃れるのを待つのであれば、少しでも動いて解決策を探っていく事が必要な気がしてなりません。

オマツリジャパンでは、お祭りのコンサルタントを行っている会社です。この記事を書いている筆者も、これまで長い間、全国各地を巡って年間何十箇所も見続けており、おそらく花火大会については普通の人よりも視野が広く、経験値やアイデアを持っていると思います。一ヶ所でも多く、愛すべき日本の伝統文化が残る様なお手伝いができるのであれば、それはオマツリジャパンにとっても使命でもある気がします。

written by
蛭田 眞志

蛭田 眞志

花火専門カメラマン、ライターです。
日本の良質な花火文化を記録・応援しています!WEBサイト「花火の心得」も運営中。
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