未来に繋ぐ『はねそ踊り』:保護と継承、そして連携の可能性【オンライン座談会レポート】

株式会社オマツリジャパン
2025/3/21
2025/3/21
未来に繋ぐ『はねそ踊り』:保護と継承、そして連携の可能性【オンライン座談会レポート】

各地に受け継がれてきた「はねそ踊り」を未来へつなぐために、今、何ができるのか——。保存会、専門家、支援団体が集い、それぞれの課題を共有しながら、継承のあり方と支え合いの可能性を探る対談が実現しました。地域を超えた連携や新たな支援の形が生まれるのか。文化を守り、次世代へと託すための真剣な議論をお届けします。

(この座談会は、令和6年度福井県文化財活性化事業の一環として、2025年3月1日に実施されました)

<この記事のポイント>
継承の現状と課題の共有:各地の郷土芸能保存会が抱える普遍的な課題を明らかにし、活動の実情を共有しました。
連携と支援の可能性を探る:保存会同士の協力や支援団体の取り組みに加え、外部識者の知見を交えながら発展の道を模索します。
未来への展望を議論:専門家のアドバイスも踏まえ、次世代への継承を見据えた具体策に知恵を出し合い、郷土芸能保存会の共助のあり方を検討しました。

 

【はじめに:未来に繋ぐ「はねそ」踊り】

伝統芸能の保護と継承を考える場

司会者:皆さま、本日は、座談会「未来に繋ぐ『はねそ踊り』:保護と継承、そして連携の可能性」にご参加いただき、誠にありがとうございます。本座談会は、「はねそ」の縁を温め、民俗芸能の保護と継承をテーマに、各地の保存会の皆さまや専門家の皆さまをお招きし、現状の課題や今後の展望について意見交換を行う場です。

本日の座談会はオンライン収録形式で進めさせていただきます。録画・編集後、動画および記事として公開し、より多くの方に「はねそ文化」の価値を知っていただく機会になればと考えています。

それではまず、福井県交流文化部文化課副部長の三武紀子(みたけのりこ)様より、本座談会の趣旨についてご説明いただきます。

 

福井県文化交流部からのご挨拶

三武氏:本日は皆様お忙しい中、オンライン公開座談会「未来に繋ぐ『はねそ踊り』:保護と継承、そして連携の可能性」にご参加いただき、誠にありがとうございます。

福井県南越前町今庄地区に伝わる今庄羽根曽踊り(いまじょうはねそおどり)は、わが国の貴重な無形民俗文化財の一つであり、本県にとっても重要な文化的遺産です。しかしながら、今庄羽根曽踊りだけでなく他の地域の民俗文化財も、少子高齢化や地域コミュニティの変化、生活スタイルの変化、そして若年層の関心低下などの背景により、継承者が不足し、消失しかねないという深刻な問題に直面しています。

地域の魅力は、地域独自の民俗文化財や歴史、文化的な伝統にあると考えております。これらが他の地域との違いとなり、人を惹きつける魅力になると思っています。地域独自の伝統が失われると、地域の愛着や誇りが失われることにもなり、観光資源としての魅力も減少してしまいます。

課題は多く、すぐに解決することは難しいかもしれませんが、人材不足と資金不足の二つの壁が、地域民俗文化の次世代への継承を妨げているとお聞きしています。

本日の座談会では、各地の保存団体の皆様、専門家の皆様、お祭り支援に関わる皆様をお迎えし、地域民俗文化の保存と保護、継承をテーマに意見交換を行いたいと思います。まずは、保存会や支援者の皆様に現状や課題についてお話しいただき、意見交換を通じて、それぞれの課題や今後の展望を共有したいと考えています。次に、支援を行う事業者や有識者の皆様を交え、課題解決の方向性、保存会間の連携、相互協力の可能性などを探りたいと思っています。

本日お集まりいただいた三つの民俗文化保存団体の方々は、名称や歴史、文化的な共通点があると考えられます。こうしたことにも感慨を深めるプログラムになるよう努めてまいります。各団体の皆様には忌憚のないご意見をいただければと思います。本日はどうぞよろしくお願い申し上げます。

司会者:ありがとうございました。では続いて、本日ご参加の皆さまをご紹介いたします。

今庄羽根曽踊保存会の皆様、須原ばねそ保存会の皆様、丹土はねそ踊保存会の皆様、そして識者として日本民俗音楽学会の剣持康典(けんもちやすのり)様、京都「郷土芸能活性化してやろう」会の浅野高行(あさのたかゆき)様、本座談会の運営は株式会社オマツリジャパンが務めます。

【セッション1:保存会の課題を共有】

司会者:それでは早速、最初のセッションに移ります。このセッションでは、各地の保存団体の皆さまに、活動内容や現在の課題、そしてその解決に向けた取り組みについてお話しいただきます。

まずは、地元福井の今庄羽根曽踊保存会の川崎繁之(かわさきしげゆき)会長にお話伺います。よろしくお願いします。

今庄羽根曽踊保存会の現状と課題

川崎会長:皆様、本日はよろしくお願いします。まずは私たちの団体の状況報告をさせていただきます。設立は昭和8年で、当時NHKの番組に出演したことをきっかけに保存会が設立されました。現在の会員は32名おり、数は多いのですが、お年寄りが多く、年々欠けていく状況です。主な活動としては、次のイベントに出演しています:

・今庄そば祭り(5月の最終日曜日)

・今庄ふるさと夏祭り(8月の第2土曜日)

・街道浪漫・今庄宿(9月の第2日曜日)

・南越前町文化祭(11月の第1日曜日)

これらのイベントには毎年出演しており、年に4回の活動を行っています。また、6月から10月の間の土曜日に、月2回程度子ども向けの教室を10回程度開催しており、子どもたちの練習の成果を街道浪漫や文化祭で披露しています。さらに、5月から10月の第2月曜日には、今庄児童館に訪問して、子どもに踊りの指導を行っております。

司会者:ありがとうございます。大変優雅な踊りですが、由来や歴史も教えていただけますか。

川崎会長:はい、今庄の踊りは、今から1000年以上前に今庄の藤倉山にあった寺院で毎年稚児の舞が舞われたことが発祥とされています。江戸時代、参勤交代の頃には北国街道の重要な宿場町として旅人の往来が盛んとなり、その頃からこの踊りが宿場の踊りとして、盆踊りとして踊られるようになり、旅人の一夜の慰めとなったと言われています。情緒豊かで静かな踊りに旅人たちも一緒に踊り明かしたと言われています。

この踊りの特徴として、旅人、武士、虚無僧(こむそう)、女中、隠居といった様々な衣装があり、太鼓や三味線などの鳴り物を一切使用しない独特の音楽、優雅な踊りとして伝承されています。

司会者:宿場町のおもてなしの踊りになっているわけですね。先ほど伺ったように年に4回は必ず披露する機会があり、こども教室なども精力的に活動されているように思えるのですが、抱える課題とはどのようなものでしょうか。

川崎会長:まず、子どもたちの数が減ってきており、町や集落全体も同様の状況です。小学校は学年で10人前後になってしまい、子どもたちを集めるのも難しい状況です。さらに、スポーツ少年団や他の団体に参加する子どもたちも多く、忙しいので、その点でも苦労しています。

司会者:なるほど。確かにサッカーや野球などと競わなければならないというのは大変ですね。両方やってくれると理想的ですが・・・。事前に伺ったお話では、男性会員が少ないのも悩みということですね。

川崎会長:現在は32名の会員がいますが、そのうち男性は4名しかおりません。年齢層については、60代が多いです。特殊な例として、令和3年度に福井県が無形民俗文化財再生隊員を募集する事業がありました。団体の保存や継承が難しくなっている中、町外の人に再生隊員になってもらおうというものでしたが、その結果、今庄出身のご姉妹が隊員として応募してくれました。その事業が終わった後も彼女たちは保存会の会員として登録してくれ、今でもイベントに参加して踊ってもらっています。

司会者:前向きな出来事ですね。会員になるには条件はあるのですか?

川崎会長:いいえ、条件は一切なく、誰でも入れます。以前は地元中心だったのですが、今は町外からも来てほしいのでPRしている状況です。ただし、踊り自体が集落内のものなので、外に出ると知られていない、興味が持たれていないという現実もあります。できれば、集落内外でもっと宣伝して広めていきたいと思っています。

司会者:ありがとうございました。後継の確保が大きな課題になっていて、踊りの認知度を上げたいというお考えもあるとのことでした。

次に、長野県大桑村から須原(すはら)ばねそ保存会の皆様にお話伺います。

須原ばねそ保存会の取り組みと歌い手不足

上田会長:こんにちは。本日はお招きいただきありがとうございます。

私ども「須原ばねそ」と申しますが、20年以上前に福井県で行われた国民文化祭にも参加させていただきました。当時は10団体ほどが参加して、自由に踊りや歌を楽しんでいました。我々の踊りは楽器を一切使用せず、独自の方法で続けております。

長野県の南部、岐阜県に近い中山道の須原宿という地域で活動を行っております。我々は地域の様々なイベントに参加し、小学生にも運動会などで踊ってもらっています。村内ではお祭りの際に踊りを披露し、県外のイベントでも活動しています。もう20年以上、軽井沢のホテルで踊りを披露したりもしています。

練習は毎週行っており、昨年から若い会員が15人から20人ほど増え、現在は賑やかに活動しています。歌う人が少ないのが課題ですが、皆さんに勉強してもらい、踊りを続けてもらっています。一応このような状況です。どうぞよろしくお願いします。

司会者:2005年の国民文化祭で「はねそ」という名前の保存団体が福井に集まって公演したと伺っております。本日はその縁も温められたらということで皆様にお集まりいただきました。須原ばねそは大変歌が印象的なのですが、その歌い手の確保が課題になっていると伺っていますが、何か理由があるのでしょうか。

勝野副会長:勝野と申します。須原ばねその場合は、先ほどの今庄さんと同様に鳴り物なしで歌いますが、「よいこれ」、「竹の切株」、「甚句」という3曲が含まれています。やっぱりこの3曲を歌いこなすのが難しいのです。歌い手さんは高齢の方が多く、98歳や95歳の方がいらっしゃいまして、皆さんに引き続き支えていただきながら、若手の育成を図っております。

今後の課題として、踊り手や歌い手、そして少子化により次の世代への継承が難しくなっています。「須原ばねそ」も600年以上の歴史があり、小さな町で歌い継がれてきたこの踊りを次の世代に伝えることが一番の課題です。

昨年から地元の人々やその他の方々に一生懸命声かけを行った結果、現在「須原ばねそ」の会員は75名おります。会員には様々な方がいらっしゃいますが、若手の会員が増え、とても心強く思っています。

司会者:ありがとうございます。世代交代を積極的に進めていると伺いましたが、たくさんの人が参加されているというのは素晴らしいことです。そしてその次世代に芸能をどう伝えていくか、というところにもっとも関心があるということですね。

それでは、最後に兵庫県から丹土(たんど)はねそ踊保存会の皆様にお話し伺います。

丹土はねそ踊保存会:次世代への継承

岡田会長:丹土はねそ踊保存会会長の岡田でございます。よろしくお願いいたします。私どものはねそ踊保存会は昭和12年に設立され、昭和47年に兵庫県指定文化財の民俗文化財に指定されました。現在の会員数は12名と少ないのですが、活動を続けております。

主な活動としては、年中行事である盆踊りに8月14日、15日の2日間参加しています。また、近隣他団体からの要請、例えば但馬の牛祭りといったお祭りに参加することもあります。さらに、盆踊りの際には地元の小中学校がはねそ踊りを披露しますので、その指導も行っています。

司会者:ありがとうございます。こちらのはねそ踊りは前の2つと違って、刀や薙刀を持って踊るのがとても特徴的ですね。踊りの由来を教えていただいてもよろしいでしょうか。

岡田会長:戦国時代に地元の豪氏が自分自身を守るために始めたとされる踊りがあります。その後、安土桃山時代に歌舞伎の音曲を取り入れ、父の亡き後に仏壇に向かって踊り、供養したのが始まりとされています。この踊りは一時期廃れていましたが、昭和12年に保存会が設立され、昭和47年に県指定文化財に指定され、現在も活動を続けています。

司会者:なるほど、(先祖供養のための)盆踊りであることは共通していますね。

岡田会長:はい。かつては、初盆の家に行って踊りを踊っていたこともあります。

司会者:そうですか。では地域の方々にはとても親しみ深い、皆さんが一度は見たことがある踊りなのですね。しかし先ほど伺ったように、現在の会員は12人とのこと。

岡田会長:昔は20人くらいいたのですが、だんだんと減ってきて、特に女性の踊り手不足が課題になっています。以前は、近隣から嫁いでこられた方にもよく知ってもらえていたので、一緒に踊ってもらえていました。しかし、今はそういう方が少なくなり、勧誘するのが難しい状況です。

司会者:芸能自体に馴染みがないため、地域に新しくいらっしゃった方も参加しづらいのではないか、ということですね。

岡田会長:はい。多分そうだと思うんですけどね。

司会者:お子さんなどは、刀を振る踊りに興味持ってくれるように思います。

岡田会長:そうですね、子どもたちは興味を持ってくれますね。地元の小・中学校では必ず踊りを披露するのでみんな知っていますし、子ども会でもまとまって練習したりしています。

司会者:今庄、須原と異なり、歌い手に、囃子に、加えて踊りも複数人で行う踊りですが、それぞれのパートの確保もかなり大変にお見受けします。

岡田会長:はい、どれも後継者が足りませんが、特に歌い手=音頭が足りません。音頭の場合、若い人を勧誘するのは難しいところもありまして、子どもは声変わりなどがあり、一定の年齢で声が安定している人にお願いする必要があります。成人となると仕事などもあってなかなか活動してもらうのが難しいのです。

司会者:保存会に参加するのに、地元のゆかりの方でなければならないなどの制限はありますか?

岡田会長:いや、ありません。ただ、やはり多少見たり聞いたりした経験がある人でないと、参加しづらいと思います。

司会者:なるほど、やはり後継者問題が喫緊の課題であるということがわかりました。皆様、ありがとうございます。それぞれの保存団体が抱える課題や取り組みの状況がよく分かりました。

続いて、外部識者の皆さまの視点からご意見をいただいていきます。

【セッション2:専門家・識者の講演】

司会者:このセッションは、専門家・有識者のご意見を伺い、視野を広げたいというコーナーです。民謡を研究しておられる剣持康典さんに、「はねそ」の名がつく各地の伝統芸能の共通点や伝播の可能性についてお話しいただきます。私もそうですが、この座談会にあたって、一般的な感覚として浮かんだのは、どうして各所に名前の似た踊りがあるのだろう、という点ではないでしょうか。剣持さんはこの点について、歌の観点から考察しておられます。それではよろしくお願いいたします。

 

はねそ踊りのナゾ~伝承の広がりの魅力~

 

剣持氏:よろしくお願いします。過分にご紹介いただきましたが、私は自分の関心のある民謡について、印象的なポイントだけを指摘することしかできませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

まず、私は長野県の上田市に住んでいます。須原ばねそ保存会の皆様、初めましてよろしくお願いします。私、ばねそ大好きで、本当にいい歌だと思っています。このばねそを知って、まず「ばねそって何だろう」と思ったのがきっかけで調べ始めて、その後、北陸に「はねそ」があることに気づき、さらにはどうやら中国地方が発祥らしいということが分かってきました。こんな背景から、この「はねそ」の謎に迫ってみたいと考えました。今回は、民謡の音楽的視点、メロディ、歌詞、伴奏、踊り、装束といった周辺要素をリサーチしてみたいと思います。

 

北陸・富山県の「はねそ」の特徴

まず、北陸・富山県の「はねそ」ですが、富山県の東部、滑川市には「新川古代神(にいかわこだいしん)」があり、魚津市に「せり込み蝶六(ちょうろく)」という踊りがあります。名前として「はねそ」は出てこないのですが、踊りの中に「はねそ」があることが分かっています。地元の研究者からは、この歌が鳥取県鹿野町の「ばねそ」であると指摘されています。富山の「ばねそ」の特徴は、詩の形は口説きで、七七調の歌を繰り返し、テンポは比較的早めです。伴奏には三味線、太鼓、呼吸が入る賑やかなものです。ちょっと音源をお聞きください。富山の魚津の「羽根曽音頭」です。(🎵〜)

いかがでしょう。須原の「ばねそ」とはちょっと違うかもしれません。

西日本・鳥取県の「ばねそ踊り」の概要

次に、西日本、鳥取県の「はねそ」を調べてみました。鳥取県の伝統芸能アーカイブで「はねそ」を検索すると、鳥取市の鹿野町の踊りが因幡地方の「はねそ踊り」の発祥だと言われています。鳥取県の「はねそ踊り」は、七七の口説きで、ストーリー性のあるものを語り、テンポは中程度です。伴奏は太鼓のみ、または無伴奏のものもあります。踊りは鳥追いの笠をかぶって優雅に踊るものですが、亀井踊りだけは紋付き黒装束で踊られているそうです。丹土はねそ踊は、先ほど岡田会長からお話しいただいたように、詩の中身はストーリー性のある口説で、テンポはやや早めですね。伴奏は太鼓のみで、踊りは歌舞伎の場面を演じるもので、非常に豊かな内容の芸能です。

丹土はねそ踊と福井県今庄羽曽踊の比較

そして、ご当地・福井の今庄羽曽踊ですが、詩形は七七七五調で、テンポは遅め、伴奏はなしで仮装が特徴です。1番の歌詞に「はねをかやしゃれ」とありますが、この言葉には何か秘密があるのかもしれません。ぜひ後で教えていただければと思います。そして、同じ南越前町の上野の盆踊りにも似たようなものがあります。歌詞は七七七五調、または七七五調で、テンポは少し早めで軽快です。「須原ばねそ」の歌詞の形は七七七五調で、テンポは中程度、伴奏はなしで、踊りは緩やかなステップで、手を打ったり前方に伸ばしたりする所作が特徴です。私も挑戦しましたが、うまく踊れませんでした。どうやら福井と富山には、西日本の「はねそ踊り」が伝わったのではないかと考えられるのですが、これが果たして木曽の「ばねそ」にまで繋がるのか気になりました。ですから、要するに須原ばねそと例えば今庄羽根曽が似ているのかなというところをちょっと考えてみました。

須原ばねそと今庄羽曽の共通点

「須原ばねそ」と「今庄羽根曽」を楽譜で見るとこんな感じです。須原ばねそと今庄は結構共通点があります。まず都節音階(みやこぶしおんかい)について。音階というのは音の並びで、「ドミソ」といった音階です。都節音階は少し物悲しい雰囲気の音階です。また、歌のリズムのパターンが似ています。3つ目は音頭一同形式。1人が音頭を取り、その後に他の複数人が歌う形式も共通しています。加えて、「ホイ」の囃しについても今庄のものと須原のものは似ている印象です。

岐阜県郡上市苅安の「はねそ」の分析

しかし、福井と長野は地理的に離れていますね。そこで、両者をつなぐものはないだろうかと探してみたところ、岐阜県郡上市の苅安というところにも「はねそ」があったんです。歌詞は七七五調の形式で、テンポは中ぐらい、伴奏なしです。踊りは手を打ったり下駄を履いて踊るようなものです。ここでちょっと苅安はねそをみてみましょう。(🎵〜)

こんな感じで、少し似たような雰囲気があります。

そして、須原ばねそと苅安はねその歌詞を比べてみました。歌詞は七七五調、出だしに「ヨイコレ」といった共通点があり、返し方も同じです。楽譜にしてみると、共通点が多く、都節音階や歌のリズムのパターンが似ています。音頭一同形式も同じで、ホイの位置も同じです。形式的には須原ばねそと苅安のはねそは似ていると思います。

全体のまとめ:各地の「はねそ」の比較

それでは、全体についてもう一度考えてみましょう。まず、歌詞や詩形についてまとめると、西日本のはねそ踊りと富山の羽根曽には、長編の口説きがあります。外題もいくつかあります。一方、越前の羽根曽や須原ばねそは、七七七五調の甚句(じんく)系になっています。西日本や越前のはねそは、伴奏については、太鼓のみの伴奏、あるいは無伴奏のところがほとんどです。富山の羽根曽については、三味線、太鼓、そして富山民謡らしい胡弓(こきゅう)が入るのが特徴です。苅安と須原には伴奏がなかったようです。

次に速度についてですが、全般的には中ぐらいから遅めかなと思います。富山の羽根曽は少しテンポが早い感じですが、それ以外は、割とゆったりとした感じです。それが非常に優雅な雰囲気、古風な感じを醸し出しているのではないかと思います。

ここからは、私が印象的だと思った周辺要素についてお話ししたいと思います。まず中国地方のはねそ踊りの特徴、音楽の特徴ですが、西日本には盆踊り口説があります。これは念仏踊りに近く、外題に沿ってストーリーを延々と語っていくタイプです。西日本には大きな傘を出す芸能が多く、例えば鳥取県の「日置のはねそ踊」は、歌い手さんが破れた傘を持ち、臼の上に乗って歌うという特徴がありますが、大きな傘を出すのは、中国地方の芸能との関連があるのではないかと思います。

西日本の盆踊り口説でよく知られたものに、岡山県笠岡市の瀬戸内海の島、白石島の白石踊りは、西日本の盆踊り口説によく似ていて、歌の感じや手の動きもはねそと似ているように感じています。さらに、南越前町の上野の盆踊りには「はねそじゃねそじゃ ねそははねそのたばねそじゃ」という歌詞があります。意味はよくわかりませんが、ぜひ伝承者の方でご存じでしたら教えていただきたいと思います。そしてもう一つ、2番の歌詞には「足で九つ 手で七つ(ヨイショ)手で七つ(オイ)足で九つ 手で七つ」とありますが、これは須原ばねその1番と酷似しています。これは非常に驚きました。同じ系統のものが南越前町にもあるということは、須原と越前と繋がっている可能性があると思います。

最後にもう一度まとめますと、「はねそ」は中国地方に多いようです。「跳ねる衆」「跳ね裾」「跳ね候」という言葉が「ハネソ」の語源と伝承されていますが、踊りを見るとあまり跳ね踊る感じではないですね。ただ、上野の方では、「ススキの穂」であると伝承されています。確かに、手の動きとかススキが揺れているようにも思えてきます。須原では京都・随心院の「はねず踊り」随進の羽踊りの系統であると伝承されていますが、はねず踊りの「はねず」は、梅の花の色から来ていると言われているので、踊り跳ねる衆、とするには検証が必要だと思います。

私の発表は以上となります。「はねそ」について類似点よりも違いばかりを強調してしまったかもしれません。西日本には盆踊り口説がありますし、福岡県芦屋町にも「はねそ」があると聞いております。ぜひ、各地の伝承にもご尽力いただき、このはねその交流を継続していただければと思います。以上で、私の話を終わらせていただきます。

司会者:剣持様、ありがとうございました。なぜ「はねそ」がこんなにたくさんあるのか、という疑問が整理されながらも、さらに謎が深まるという大変ロマンを感じるお話でした。大変興味深いご考察、ありがとうございます。

それでは次に、今回のように、保存団体が横のつながりを持つことの意義について考えてみたいと思います。ここからは、京都「郷土芸能活性化してやろう会」の浅野高行さんのお話を伺いたいと思います。浅野さんは、京都嵐山の清涼寺に伝わる「嵯峨大念仏狂言(さがだいねんぶつきょうげん)」の担い手であり、また「新阿弥(いまあみ)」という名で表現活動もされておられます。浅野さんより、保存会同士の互助・共助の取り組みとして、京都の伝統文化支援の取り組みについてご紹介いただきます。それではよろしくお願いします。

 

伝統芸能保存会の連携の意義

浅野氏:京都「郷土芸能活性化してやろう会」の浅野と申します。よろしくお願いいたします。名前の通り、京都の郷土芸能を活性化することを目的に活動しております。

私自身は嵯峨大念仏狂言に、小学校6年生、12歳の時から携わっています。狂言を始めたきっかけは、幼い頃から能面や狂言面に興味を持っていたことです。3歳頃から面が好きで、地元の狂言が面をつける狂言だったことが縁で始めました。もし出会いが異なっていれば、面を作る側になっていたかもしれません。しかし、地元にいたことで、小学校の部活動として狂言を始める機会を得ました。

それ以来、約35年にわたり狂言を続けていますが、時代の変化とともに、少子高齢化や担い手不足といった問題が顕在化しています。嵯峨狂言の担い手は現在、10人にも満たず、裏方やスタッフを含めても30人ほどです。無形文化財としての担い手が減少しており、現状はすでに手遅れかもしれませんが、今できることを模索しています。

©︎mika sasaki

保存会の共通課題とネットワークの重要性

©︎mika sasaki

こうした課題は嵯峨狂言だけでなく、全国の郷土芸能や民族芸能団体にも共通する問題です。京都「郷土芸能活性化してやろう会」では、そうした課題を共有し、解決策を見つけるためのネットワークを作ることを目指しています。例えば、「うちはこういう問題を抱えている」と相談すれば、「うちも同じ経験をしたが、こういう取り組みで解決できた」といった情報交換ができます。こうした活動が評価され、京都市の「伝統芸能復活アーカイブアンドリサーチオフィス」とも連携し、民俗芸能交流会を開催することになりました。

交流会では、実演を交えながら課題を共有し、それぞれの団体の特色を掘り下げています。例えば、「うちの団体はセリフがある」「うちはパントマイムを主体としている」といった特徴を認識し、それを強みとして伸ばしていくことを目指しています。特に、伝統芸能においては、地域との関わりが重要です。ポスターを作成したり、地元の店舗に協力を仰いだりと、地域との連携を深めることで、伝統芸能の可能性を広げていければと考えています。そうして得られたものを、持ち帰ってですね、保存会の皆さんで、じゃあこういうことをしていこうかなっていうのを次の披露の機会などで発表することで、少しずつ活性化しているというのを実際に目で見て感じることができると思います。

最近では、獅子舞の団体同士でクロストークを行い、それぞれのアピールポイントを共有する機会も設けました。例えば、「狂言の中で獅子舞が登場するのはうちだけ」「坂道を登る演出が特徴的」など、ルーツや独自性を深掘りすることで、観客にも新たな発見を提供できるようになりました。だんだんその参加者の方も増えておられまして、別の機会があった時に、この前会いましたよねっていうことが実際に起こってきまして、それぞれが最後にみんなで仲良く写真を撮ったりとか、この「活性化してやろう会」という場でなくても、それぞれが交流できているということができてきたように思います。

嵯峨狂言の演目復活と若手育成の取り組み

©︎mika sasaki

そして私の嵯峨狂言では、30年途絶えていた「百万」という演目を昨年復活させました。これは嵯峨・清涼寺を舞台にしたもので、嵯峨狂言にとって大切な作品です。しかし課題としては皆様と同じく、今、若手の子が少ない。20代が1人、10代が1人で、それより上は40代から上なんですね。40代でも2、3人しかいないので、かなり少なくなってきています。また京都の中であんまり認知度もないもので、どういう風に活動していくかというところから手探りで活動している形ですね。

やはり集団芸なので、集団で動くとなると、やっぱり平日は動きにくかったり、土曜日、日曜日しか動けなかったりで、出張公演でも費用もかかってきますので、なかなか宣伝しづらいところがあります。そこで、一人の活動として行っているのが「新阿弥」という活動です。現在、京都の嵐山にある鹿王院でも公演を行い、夜間拝観の場で狂言を披露しています。観客の中には、突然現れる狂言師に驚く方もいますが、それをきっかけに狂言の存在を知ってもらえることが大きな収穫です。

伝統芸能の現代化と若い世代へのアプローチ

©︎mika sasaki

若い世代に伝統芸能を伝えるには、現代の感覚に合わせた工夫が必要です。僕も民謡の会に参加したりするんですけども、なかなかその民謡のコンサートの場に行っても、皆さん手拍子がないんですよね。民謡というのは民の歌ですから、みんなが歌えないといけない。でも、民謡のリズムの乗り方がわからない若者が増えているため、彼らにとって親しみやすい形で伝統芸能を紹介する試みも大事だろうと思っています。

若者がちょっとずつ伝統芸能から離れていっているというところであるならば、今、どうやったらそれを近づけられるのかっていうのが、1つのテーマになります。短い時間がいいのかもしれないし、もしかしたら、お面の顔が今風だったり、題材が身近なものであれば伝わるのかもしれないというのもあって、5分間ぐらいの舞とかを創作する形で、創作表現として演じております。

過日はデジタルアートというかたちの中で狂言を舞う機会をいただいたので、この写真のように、背景をデジタルアートが動いてるんですけども、この中で、5分間ぐらいの表現をいくつか行わせてもらった次第です。こうした取り組みを通じて、少しでも多くの人に郷土芸能の魅力を伝えていきたいと考えています。

海外文化とコラボレーション

©︎mika sasaki

また、今は海外の方、やっぱり日本の文化にすごく興味を持って日本に来られます。新阿弥では、スロバキア出身の三味線奏者と狂言と三味線というコラボレーションをさせていただきました。このコラボレーションでは、僕は英語が全くわかりませんけども、やっぱりその海外の方への芸能の説明などで大変勉強になることがありました。三味線奏者のコレニッチさんと言うんですけど、日本の文化、日本の芸能なのに日本人があんまり興味ないのを彼は問題だと思っていて、彼にもっとなんで大事にしないのっていうのを言われてしまうと、確かにそうだよなという気持ちでもっと頑張らなければと思いますね。

京都でいろいろな活動をしていますが、今回の座談会に参加させていただいて、これをきっかけに同じような課題を共有するところがあれば、ぜひ話に行ければいいなと思っております。どうもありがとうございました。

 

司会者:浅野さん、ありがとうございます。お話を伺いながら、本当に精力的にさまざまな方向で活動され、民俗文化の継承に尽力されていることに感銘を受けます。

また、新たな展開を生み出すアイデアについても、大変興味深く拝聴しました。特に、横のつながりが生まれることで、さらに広がりが生まれていくのだと実感しました。

 

担い手確保の先進事例を紹介

司会者:さて、ここで少しお時間をいただき、大きな課題となっている「担い手の確保」について、当社オマツリジャパンの事例も交えながら他地域での取り組みを私からご紹介したいと思います。文化の継承には人材の確保が最も重要です。皆さんの活動でも、若い人や子どもたちに民俗文化財への興味を持たせることが重要という点に大いに共感します。

 

八代妙見祭の「ちびっこ妙見祭」:若い世代の関心を育む

(オマツリジャパン https://omatsurijapan.com/blog/yatsushiro-myoukensai/)

例えば、熊本県八代市の八代妙見祭(やつしろみょうけんさい)はユネスコ無形文化遺産に登録された著名な祭りで、獅子舞や豪華絢爛な山車の行列が見所です。しかし、人口流出により若い担い手が減少しています。そこで2017年から「ちびっこ妙見祭」という取り組みが行われています。この取り組みでは、本番とは別の日に、子供たちが主役となって大人の祭りとほぼ同じ内容を披露します。地域一体となって準備し、子供たちに祭りや伝統に触れる機会を提供し、大人の祭りに対する関心を自然と涵養しようとしています。これが将来の地域行事への参加意欲に大きく影響するのです。國學院大学の石垣教授もこうした「ミニまつり」の効果を指摘しており、富山県の魚津たてもん祭保存会では30年以上にわたり同様の取り組みを行い、大いに効果があるとしています。

 

文京区の次世代担い手作りの取り組み

(https://omatsurijapan.com/feature/bunkyo-hanameguri/)

また、私たちオマツリジャパンでも、東京都文京区の複数のお祭りを舞台に次世代の担い手作りを目的とした事業を行っています。文京区では子供が大きくなると郊外に転出するため、一時的に暮らす、という意識の住民が多いのが課題と伺っています。そこで文京区では、住民に地域行事への参加を促し、定住意欲を高めるために工夫を導入しています。写真スポットを作って記念写真が撮れるようにしたり、消しゴムはんこのワークショップやクイズラリーを開催したりしています。特に若いママさんたちに好評なのは「切り絵御朱印」で、区内の梅祭りやツツジまつりで配布し、集めると一つの絵になるという楽しい取り組みです。

 

地域外からの担い手呼び込み:祭り留学の事例

©︎koki takahashi

一方で、地域に人がいない場合、地域外から担い手を呼び込む取り組みも行っています。例えば、当社で2021年に行った「祭り留学」は、秋田県男鹿半島のナマハゲを深く学ぶことを目的としたもので、約1年間かけてオンラインとオフラインのイベントを行いました。ナマハゲの座学から始まり、地域の名産品のオークションイベント、現地での伝統料理の調理体験、ナマハゲ行事の手伝い、そして2月に行われるナマハゲ祭りに参加するというプログラムです。この事業のポイントは、1年間かけて事前に地域の人と顔馴染みになることで現地を訪れたいという動機が生まれることです。実際、取り組みには約100人が参加し、最終的には2名ほど移住を考えるという方も出ました。また、地域会長さんも当初は外部の人にナマハゲを担ってもらうことに否定的でしたが、継続的に触れ合うことで気持ちが変わったそうです。

 

福岡県での人手不足解消の取り組み

©︎yukimasa inamura

最後に紹介するのは、福岡県で行われている、地域の伝統行事の人手不足を解消する取り組みです。福岡県の募集サイトに登録し、希望のお祭りでボランティアとして参加できる仕組みで、1年間で40人の派遣実績がありました。行政の支援は通常、資金提供が多いですが、こうしたマッチングの試みで交流人口を増やすことを目指しています。石川県でも同様に、能登地方の復興も絡めて、県が主体となって祭りの人手不足を解消する仕組みを作ったそうです。こうした取り組みは今後も広がっていく可能性があります。

以上、私からは各地の継承、特に後継者や担い手不足に焦点を当てた取り組みをご紹介しました。

 

【セッション3:伝統芸能の未来を語るクロストーク】

若手メンバーが急増!きっかけは地域の祭礼

司会者:さてこのセッションでは、今までの話を踏まえて、参加者の皆さんと共に考える時間としました。各保存会の皆様、そして外部識者の皆様から大変有益なお話を伺えました。まずは、各保存会の皆様に、ご感想やさらに詳しくお聞きになりたいことなど伺いたいと思います。では、地元福井の今庄羽根曽踊保存会の川崎会長、いかがでしょう?

川崎会長:質問の前に、先ほど剣持さんから質問があった歌詞のことですが、こちらでは「はねをかやしゃれ」という歌詞が出てきます。これは、昔は黒の島織、霧の衣羽織などを羽織って踊ったという話があります。ですから、羽というのは、その羽織のことだと言われています。そして、質問なのですが、須原ばねその皆さんのお話の際に、昨年、若い会員が15人から20人増えたとのことでした。ぜひどうやって増やしたのかを教えていただきたいです。また、75名の会員の中で賛助会員と正会員がいるというお話でしたが、賛助会員の役割についても教えていただきたいです。

須原ばねそ・長岡副会長:はい。私もその1人なんですが、若手が増えたというのは、地域の祭礼がきっかけでした。地域の、鹿島神社例大祭というお祭りの中で長持ち行列という催しがあるのですが、ここでの歌い手はこれまで須原ばねそ保存会の方にお願いしていましたが、やはりだんだん高齢化で歌い手が少なくなってきたのです。その時、私は公民館の役員をしており、他の役員の方々に「歌手としてやってもらえないか」と言われまして、それで先輩方からも「やらなければいけない」と言われて一生懸命覚えました。それがきっかけです。それで、ばねそもやっぱり高齢化でやる人が少なくなったため、我々がここでやらないと本当になくなってしまうよ、地域の伝統芸能がなくなってしまうよ、と。地域で楽しく暮らすためにはこういうことをやらなければならないよね、と飲みながら声をかけ続けていたんです。今では15名ほど、もう少し増えたのかな、若い人たちが増えたと思います。一番は、自分たちが楽しくやるために、歌も踊りも全て自己満足で良いと思っています。それが民俗伝統芸能だと思っており、これからもその意思を貫いていきたいと思っています。

川崎会長:そうですか。その増えた方々っていうのは、その長持だけでなくて、そのばねその活動も含めて全部に関わっているのですか。

長岡さん:そうです。はい。うん、基本はやっぱりやはり祭礼ですね。お祭りです。

須原ばねそ・勝野副会長:賛助会員っていうのはですね、地域の人たちなんです。昔から「ばねそ」はお盆や駅、祝い事の際にどこでも行われてきたもので、たとえ今、歌い手が不足していても、放送などで音が流れれば鼻歌ぐらいは皆さん歌えますし、踊りもそれぞれのやり方でやることができます。かつて歌ったり踊ったりしていた高齢の方々の中には、100歳近い方もいらっしゃいます。会費は300円なんですけれども、そういう方々が会費を払ってくださっているんです。村の先輩方のお気持ちでなんとか維持できております。もちろんそれだけでは賄いきれませんので、村からの助成金や公民館からの協力金をいただいています。「ばねそ」がこの大桑村の無形文化財として指定されたのが昭和48年のことで、75名の会員は地域を守るために支え合っています。近年、人材不足が深刻化していますが、昨年皆さんに声をかけたことで広がりを見せています。昔は地元の子どもしか参加できないなどのしきたりがありましたが、今の時代では変わりつつあります。会員数が多いのは地域の人たちの支えのおかげで、須原ばねそが存続できています。

川崎会長:なるほど、よくわかりましたありがとうございます。

「伝統を守ること」を再考する

司会者:それではこのまま、須原ばねその皆さんはどんなご感想でしょうか。

勝野副会長:私たちが今、伝統芸能の奥深さをこうして感じているように、今私たちが次の世代にしっかりと繋げていかなければならないと思います。新しい会員の皆さんも入ってきていますが、それが自然と繋がってくれればありがたいです。そして、どの地域の保存会も同じだと思いますが、人材不足で大変です。今こうして皆様とお話しさせていただいて、自分たちのばねそも少しでも続けていければありがたいと思っています。皆様との交流の場でとても刺激を受けました。今回、良い機会を与えていただき感謝しています。

司会者:ありがとうございます。それでは丹土はねそ踊保存会様はいかがでしょうか。

丹土はねそ踊・岡田会長:今日、色々と皆さんの取り組みを見せていただいたり、お聞きする中で、伝統芸能を続けることにもっと取り組まなければと少し反省しています。現有戦力の中で続けてきた結果、人が少なくなっているわけで、もう一度、続けることの意義を考え直さなければならないと思っています。特に、会員は成人ということもあって、小中学校の子どもたちに対しては見せて教えてやるぐらいしか考えていませんでしたが、これからは小中学校を含めた次の世代の育成についても、これからも丹土はねそ踊を続けていく視点に立って、物事を進めていかなければならないと考えています。

「子どもが興味を持つ工夫を」

司会者:ありがとうございます。そうですね・・・。浅野さん、結構嵯峨念仏狂言では中学生の参加者もいると伺っていますが、何か勧誘の秘訣などあるのでしょうか。

浅野氏:嵯峨狂言に関して言えば、実際のところ受験などもあって、中学生以降は離れていく傾向があり、なかなか正解が見つからない状況です。方程式のような明確な答えがあればこちらが教えてほしいくらいで、難しい問題だと感じています。

今回、3つの団体の踊りをご紹介いただきましたが、例えば踊りを継承していくことが最終的な目標であるとしても、子どもたちが興味を持ちやすい形に工夫することも重要だと思います。たとえば、小学生でも口ずさみやすいリズムに置き換えてみるなど、伝え方を工夫することで関心を引くことができるのではないでしょうか。

それぞれの団体が持つ特徴も異なります。私自身、立ち回りや刀を使った演技を行うことがあるのですが、例えば丹土はねそ踊のように立ち回りから入る方法や、刀を持つことに興味を持つ子どもたちを引き込む形も考えられますね。さらに、演目の流れに沿って体験できるような形にするのも効果的でしょう。

私もぜひ一度丹土はねそさんにお邪魔して、踊りを教えていただければと思っています。踊れるようになれば私一人でも戦力になれたら嬉しいですよ。

また、今庄羽根曽さんは、富山のおわら風の盆のような、ゆったりとした民謡の流れがありますよね。こうした民謡は、一方では評価されクローズアップされていますし、YouTubeなどでもよく見かけます。今庄さんの持つゆったりとしたリズムは、聴いていて非常に心地よく、まるで海風を浴びながらそこに佇んでいるような気分になります。こうした魅力をさらに掘り下げ、クローズアップしていくのも一つの方法ではないかと思いました。

司会者:それぞれの魅力により焦点を当てたり、アレンジしたり。海風で思い付きましたけれども、披露する場所を変えることでも新たな魅力が引き出されたりしますね。新阿弥のプロジェクション演出もすごい例でした。いろいろなアイデアをありがとうございました。剣持さんはいかがですか?

剣持氏:色々なお話を伺い、ありがとうございました。

実は私、元教員です。地元の須原ばねそなどがそれぞれの学校で実施されていると伺い、とても良いことだと思いました。確か須原・大桑・野尻小学校三つが統合して今の大桑小学校になった経緯があります。そのため、須原ばねそが学校で継続できるのか気になっていました。このような合併の問題は他の地区にもあると思います。須原ばねそが継続されているのは非常に意味があり、価値のあることだと思います。地区ごとの活動が制限されがちな中で、それが乗り越えられているのは素晴らしく、須原ばねそという踊りの魅力の表れでもあると感じました。

また、次世代への継承については、教員の経験から言うと、子どもたちにはできるだけ早い段階で慣れさせることが大切です。先ほど子どもなりのアレンジについても話がありましたが、もっと早く、保育園の時期から親しませるのも良いかもしれません。

学校の事情で言えば、現在は地域と学校が一緒に学校運営に取り組む「コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)」という仕組みがあり、地域の方々が関わる機会も多いと思います。ぜひ学校に直接働きかけて、具体的には教頭先生などに話を持ちかけ、「須原ばねそをやるんだ」「この地域の伝統を守るんだ」と積極的に伝えていくのが良いと思います。校長先生に直接伝えて、「うちの学校ではこの伝統を受け継ぐ」と明確に決めておけば、子どもたちも自然と慣れていくでしょう。ただし、子どもたちは完璧にできなくても問題ないと思います。理想的なのは、30代・40代になったときに「小学校でやったな」と思い出し、戻ってくることです。先ほど、どこかの保存会で「憧れ」という言葉がありましたが、その感情を持たせるには、できるだけ早い段階で体験させることが大事です。

伝統は変化と共に—文化財の未来を考える

司会者:教育者の目線でも貴重なご意見ありがとうございました。さて、話はつきないのですが、大変恐縮ながら時間となりましたので、最後に福井県の三武様から今日のご感想いただきたくお願いします。

三武氏:本日は貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。私たちも大いに参考にさせていただきたいと思っております。

伝統や歴史に根差した指定文化財は、その指定理由となる本質的な部分を守らなければならないと考えていました。しかし、その本質を大切にしつつも、子どもや若い世代が楽しみながら参加できるよう、柔軟にアレンジを加えることも重要なのではないかと感じました。例えば、須原ばねそさんのように多くの会員を抱える団体の取り組みは、大変参考になると感じています。また、「はねそ」を通じたつながりについても非常に興味深く、面白いと感じました。残念ながらハネソの謎は解明できませんでしたが、こうした座談会をきっかけに、今後さらに交流を深められたらと思っております。

改めまして、本日はありがとうございました。

「はねそ」を通じた新たなつながりへ

司会者:皆様ありがとうございました。本日は、「はねそ」をゆかりにして、各地の保存団体の皆様、専門家の皆さまに様々な視点からお話しいただきました。保存・継承に向けて大変有益な知見が共有されたとともに、副題である「連携の可能性」につきまして、保存団体同士が横につながることで、継承・発展に向けた新たな取り組みが生まれる可能性を感じさせるものとなったと感じております。本座談会が、新たなつながりのきっかけとなり、今後の皆様の活動の一助となれば幸いです。

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