警備費や資材費など運営経費の高騰が、全国の祭り主催者を悩ませている。こうした中、茨城県が2024年度に始めた「民俗文化財活性促進事業補助金」は、文化財保護の観点から「祭りの開催」を支援する先駆的な試みだ。従来の文化財に対する補助事業とは異なり、警備・設備・練習環境など「開催の場」を支える運営経費にも光を当てる。文化財を「残す」だけでなく「続ける」ために──新しい文化財支援のかたちが生まれている。茨城県教育庁文化課の江本春美氏と関隆一郎氏に、制度創設の背景や運用の状況を聞いた。

茨城県教育庁総務企画部文化課課長補佐・江本春美氏

茨城県教育庁総務企画部文化課文化財保護主事・関隆一郎氏
取材・文/小島雄輔(オマツリジャパン)、トップ写真 ©︎Yuma Takahashi
目次
祭りを“続ける力”を支援──茨城県が始めた文化財補助金の背景
「石岡のおまつり」(石岡市)の見どころの一つ「おっしゃい隊」。町内の女性たちが祭りを盛り上げる。©︎Yuma Takahashi
――まずは、「民俗文化財活性促進事業補助金」について概要を教えてください。
関 この補助金は、県内の祭りのうち、歴史的・文化的価値を有し、地域の振興にも寄与するモデル的な5件のおまつりを対象として、年500万円を上限に、開催や運営にかかる経費を補助するものです。
一義的には、文化財保護の趣旨で行っていますが、総合的な効果として地域振興につながることも期待し、2024年度に対象のお祭りを選定しました。従来の補助では対象になりにくかった「運営経費」にも光を当てている点が特徴です。
江本 文化財への補助事業というと、その多くが建造物や衣装・道具の修理について補助するものでした。しかし、祭りという文化は、継承していくことが重要です。少子高齢化や担い手不足のなかで、地域の人たちが「また来年もやろう」と思える環境を整えることが、長い目で見れば文化財を守ることにつながると私たちは考えました。
――制度を立ち上げるきっかけは何だったのでしょうか。
江本 やはりコロナ禍が大きかったです。開催中止や縮小が続く中で、改めて「祭りを実施する際のハードル」が浮き彫りになりました。ご承知のとおり、近年は警備費や仮設トイレなどの設備費、資材費などの高騰が続き、運営経費の確保が難しいという声が多く聞かれました。文化課としても「文化財を公開し続けるための環境を支援しなければ、継承されなくなってしまう」と危機感を持ったのです。
――「続けるための支援」は大変画期的です。
関 そうですね。神事や宗教行為に踏み込まないことを前提にしながらも、開催するための“場の維持”を支援することはできる。そうした線引きを丁寧に整理して、制度化にこぎつけました。
江本 文化財保護のポイントは、保存と活用の両輪です。祭りの場合、開催することで地域が元気になり、人が集まり、その祭りが次の世代に引き継がれていくものですから、この補助金は、まさに「文化財の保存と活用」を支えるもの。文化を残すだけでなく続けるための支援になると考えています。
どんな祭りが対象に?──文化財を「開催の場」から支える新制度の仕組み
民俗文化財活性促進事業補助金(伝える、結ぶ、広がる“茨城のおまつり”)に選定された5つの祭り
――制度の具体像について伺います。初年度となった2024年度には、5つの祭りが選定されました。
関 はい。選ばれたのは、日立さくらまつり(構成文化財:日立風流物、日立のささら)、石岡のおまつり(石岡ばやし、富田のささら)、常陸大津の御船祭、潮来祇園祭禮(潮来ばやし)、みなと八朔まつり(那珂湊の獅子とみろく)の5件。いずれも茨城県を代表する行事です。
江本 この選定にあたっては、有識者による検討委員会で慎重に議論を行いました。県内で継承されている祭礼行事を含むものであること、近世以前から続いていること、国や県指定等の無形民俗文化財を含むこと、そして1万人以上の来場者があり地域振興に寄与していること。この4つの要件を満たすものが選定されています。つまり、文化的価値と地域性、そして規模を兼ね備えた祭りを選定したということです。
「日立さくらまつり」(日立市)。山車に人形が載った「日立風流物」で人形芝居が行われる。(写真:日立市提供)
――どの行事も、地域の誇りを背負って続けられてきたものですね。
関 はい。実際に担い手の皆様にヒアリングをすると、どの地域でも共通して挙がる課題が、やはり開催経費の負担でした。
今回の制度では、山車や衣装の修理、記録映像の作成など、従来から支援してきたものだけではなく、開催運営にかかる経費も対象にしました。警備費、会場設営費など、開催を支える部分を補助対象としています。
江本 この制度は、派手なイベント化を促すものではなく、「文化財としての祭りを続ける」ことを支援するものであり、行政としても新しい視点で制度設計に臨みました。
――現場の課題に寄り添った、新しい文化財支援のかたちですね。
関 そうですね。運営経費を補助することで、地域が「来年も開催しよう」と思える、その後押しになる。結果的に、保存や修理に充てられる資金も多くなり、文化財の保護にもつながっていくと期待しています。現場では「助かった」「継承への意欲が高まった」といった声も聞かれます。
江本 この補助金は、単なる経費支援にとどまらず、今まで以上に行政が現場と向き合いながら文化財を支える仕組みの第一歩だと考えています。
祭り現場で何が変わった?──継承へのモチベーションアップを後押し
「常陸大津の御船祭」(北茨城市大津町)。2025年12月、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」に追加登録された。
――実際に制度を利用した主催者の皆さんからは、どのような反応がありましたか。初年度を振り返って、成果や変化を教えてください。
関 まず、「開催できたこと自体がありがたかった」という声がありました。これまで町内会や保存会が、ややもすると赤字になりながらやりくりしてきたところも多く、警備費や資材費などの高騰で「もう続けられない」という話がありましたから、今回の補助によって、運営上の大きな負担を減らすことができ、「気持ちが前向きになった」という声をいただきました。
江本 やはりそのようにモチベーションが上がった、と言っていただけたのが一番嬉しいですね。続けるための経費に支援があることで、地域の方々が安心して祭りを開けるようになったという実感があります。警備を増員したり、仮設トイレを増やしたりなど、安全面・衛生面の改善につなげた例や、看板を増やして来場者の利便性の向上を図った例もありました。
――支援の対象範囲については、線引きが難しい部分もあったのではないでしょうか。
関 そうですね。市町村も間に入っていただき、よく相談した上で申請を行っていただきました。今年度は、さらに円滑に制度を運用できていると思います。
――具体的な支援の内容について、いくつか教えていただけますか。
関 たとえば、祭りでは助っ人(近隣や親戚など)の参加も多く、その方々のための衣装が必要になります。1セット数万円かかることがあり、助っ人用のレンタル衣装も支援の対象にしています。
また、テントの購入を認めた例もあります。自前で保管できる環境がある場合にレンタル費が抑えられるためメリットが大きいからです。地区ごとの幟や交通規制の案内看板なども、祭りの安全な開催を実現するために採択しました。
江本 テントもそうですが、継承・公開のための経費としては、祭りの練習などの会場利用料は目的次第で対象にしています。飲食代のような雑費は不可ですが、楽器などの購入は補助対象です。
子どもの体験講座を実施するに当たって、楽器を増やして一度に練習できる環境を整えたという報告もあり、大変有意義だと感じています。
――練習環境を整えることが文化財の継承につながっていますね。
江本 この制度で継承への機運が高まった、という反応は多かったですね。若者、とくに山車の引き手など、担い手として参加する若い女性の参加が増えたという報告もありました。一般的に、お祭りといえば勇壮――ある意味荒々しいイメージもあると思いますが、補助制度を活用して、より洗練されたデザインのポスターを作成したことで、祭りのイメージが変わり、安心感を伝えられたことが奏功したと思われます。
令和7年度「みなと八朔まつり」(ひたちなか市)ポスター。祭りの優美さに魅せられる。(https://www.3710839.com/より)
関 コロナ禍で中高生の時期に祭りを見られなかった世代の若者がいて、先輩からの継承が一時的に途切れたという課題もありましたが、子ども向けの太鼓講座などの再開を検討・実施する動きも出ています。結果として「来年もやろう」という気持ちが保存会の中に生まれており、私たちとしても手応えを感じています。
江本 行政としても、祭り主催者の皆さまの現場での工夫や意識の前向きな変化に励まされています。補助金を出すことが目的ではなく、地域と一緒に“続けるためのかたち”をつくっていくことが大切だと考えています。行政が現場に寄り添いながら、継承のサイクルを支える。その積み重ねが、結果的に文化財保護につながっていくと感じています。
――制度の理念が確実に現場に届いているようですね。
江本 はい。文化財を“残す”だけでなく“続ける”ために、これからも現場と一緒に考えながら制度を育てていきたいと思っています。
文化財を“残す”から“続ける”へ──行政と地域が描くこれからの文化財支援
「潮来祇園祭禮」(潮来市)。山車に乗った囃し手が奏でる「潮来ばやし」も〝聞きどころ〟の一つ。(写真提供:潮来市教育委員会)
――今後、対象の拡大や制度の改定を検討されている部分はありますか。
関 現時点では未定です。令和7年度も引き続き同じ5件の祭りを対象としています。初年度に一定の成果が見られたので、継続しながら課題を整理していく段階です。まずは効果検証を重ねたいと考えています。
江本 新しい取り組みほど、制度を安定させるために慎重な運用が必要です。現場の声を丁寧に聞きながら、次の展開を考えたいと思っています。祭りにはそれぞれの事情がありますので、一律ではなく、個別の状況を見ながら対応していくことを大切にしたいですね。
――この制度、全国的にも注目されていますが、他県や自治体からの問い合わせも多かったのではありませんか?
関 制度創設の発表時から新聞など多くのメディアに取り上げていただいた影響もあり、他県の文化財担当者などから「制度の詳細を教えてほしい」とお問い合わせをいただくことはありました。「運営経費を対象にできる文化財補助」という考え方自体に関心を持っていただいている印象です。
江本 やはり全国どこでも、運営面で苦労されている祭りは多いと聞いております。文化財保護の補助制度は、時代の流れとともに「文化財を継承するためにはどうすればよいか」という視点が求められるようになっていて、茨城の取り組みが、その新しい考え方の一助になれば嬉しいです。
――私たちオマツリジャパンも全国のお祭り関係者とお話をする中で、近年「観光」「インバウンド」という掛け声が盛んな一方で、受け入れる地域、そして文化を支える方々が疲弊しているというギャップを感じることがあります。自治体の文化財部局としての視点から、どのようにそのバランスを取っていけるとお考えでしょうか。
江本 繰り返しになりますが、文化財の世界では「保存と活用」という言葉がよく使われます。この「活用」をどう具体化していくかが課題です。今回の制度では、まさにその実践として、文化財を活用しながら地域を元気にし、さらに文化財を守る流れをつくることを意識しています。
観光との連携で言えば、単に観光資源として活用するだけではなく、地域が誇りとする文化財の見せ方を工夫することも重要だと思います。観光や地域振興の担当課との本格的な連携はこれからですが、情報共有の在り方を含め横のつながりを広げていきたいと考えています。
関 そうですね。今後も、現場で出てきた声を丁寧に拾いながら、どうすれば地域が主体となって祭りを続けていけるかを考えていきたいと思います。運営体制の工夫や地域間の学び合いなど、現場から生まれる取り組みを後押ししていけたらと考えています。
江本 文化財を残すだけでなく続けるために何ができるか、これからも現場と一緒に制度を育てていきたいと思っています。
――本日はありがとうございました。