Now Loading...

なぜ“型がない芸能”が生き残れるのか?――「紙芝居」に見る民俗継承の核心

2025/12/8
2025/12/5
なぜ“型がない芸能”が生き残れるのか?――「紙芝居」に見る民俗継承の核心

紙芝居は、お祭りの境内や縁日の片隅で、子どもたちを惹きつけてきた素朴な芸能。庶民の暮らしの中から自然に育まれ、語りと絵と“間”だけで世界を立ち上げる、日本独自のストーリーテリング文化です。
しかし、歌舞伎や能楽、あるいは神楽・郷土芸能のように体系化された“型”を持たず、文化財指定もない。いわば、最も弱い立場に置かれた民俗芸能の1つと言えます。

それでも紙芝居は消えませんでした。江戸期の絵解き文化を源に、昭和の街角で爆発的に広まり、“電気紙芝居”=テレビの登場を乗り越え、民衆の手によって支持されてきました。

そして、その“生き抜き方”には、担い手不足や継承の危機に直面する祭りや民俗芸能にとって、重要なヒントが隠れています。

筋ジストロフィーという難病を抱えながら紙芝居の可能性を切り拓く紙芝居師・小川さんの実践は、まさにその象徴。型ではなく「場」と「席」を渡す——。紙芝居という小さな芸能は、民俗を未来へつなごうとする人々に、大きな示唆を与えてくれます。

闇を照らす「声」の灯火——難病・筋ジストロフィーと孤独を乗り越える紙芝居師・小川よしのり物語

紙芝居にアートを取り入れた作品「ゆらぎのみちへ」。子供たちに伝わるか、ドキドキしながら上演。

料理人の夢を奪った、18歳の孤独

京都市下京区に生まれた小川佳訓(よしのり)さん。かつて彼の夢は、イタリア料理のシェフでした。しかし、専門学校に入学してすぐ、その未来は突然、断ち切られます。献血検査で告げられた病名は「筋ジストロフィー」。それは徐々に全身の筋力が衰えていく難病でした。

たった数日の間に生活が一変し、地獄へ落ちたような状況に

治療のため、小川さんは入院生活を送ることに。もっとも辛いのは激しい痛みよりも、それまでの友人関係から切り離される「痛いくらいの孤独」でした。

薬の副作用による猛烈な痛みと、誰にも会えない孤独。「これからどうなってしまうのか。」そんな恐怖が続く中、ふと「痛くても死ぬことはない。」と小川さんは気づきます。そして「怖いけど痛みと向き合い、味わいつくそう。」と思いなおすと、不思議と痛みが軽くなったと言います。さらに「心が痛いというのは本当で、その痛みに向き合いたくないから嘘ついたりするんだ。」と感じ、だんだんと客観的に俯瞰できるようになったのだそうです。

この地獄のような孤独こそが、彼の第二の人生のゆりかごとなったのです。誰とも会えない病室で、彼はSNSに絵本のシナリオを書き始めました。タイトルは『ポキールの時計』。それは、孤独と向き合い、未来へのわずかな希望を託した、魂の記録でした。

「ポキールの時計」は、筋ジストロフィーによる筋力の衰えを、徐々にゼンマイが緩むねじまき時計に重ねて描いた物語

怒りの底にある「1割の悲しさ」と、紙芝居への転身

筋力の衰えは進み、夢だったイタリア料理人の仕事からも離れざるを得ませんでした。
料理の技術と反比例して、筋力は徐々に衰えていく。料理が難しいならと、比較的、力がなくてもできるシフォンケーキ専門店を経営していたものの、ケーキを作ることすらも難しくなり、やがて小川さんは在宅勤務になります。

そんな中、彼を救ったのは、入院中に綴った物語でした。

地元のお祭りでの「子供向けに紙芝居でもできないか」という要望が、彼の人生を変えるきっかけになります。書き溜めていたシナリオを紙芝居に仕立て挑んだ、たった15分の初舞台。

ーー結果は大盛況。

小川「舞台を見てくれた人が感動してくれて、『コロナの時期に鬱になりそうだったけど、舞台に夢中になって不安が全部飛んで、久しぶりにほっこりしました。またやってくださいね!』と喜んでもらえたんです。その日のうちに、たくさんの公演が決まりました。それまでは家でパソコンをするか、買い物に行くだけだった日常が本当に一変しました。」

それまでの小川さんは、障がいのため就職がしづらく、社会と断絶されたような気持ちで日々を過ごしていました。しかし、この舞台の経験は「両手両足は衰えても『声』は使える。声だけで社会貢献が出来る!」という喜びをもたらしたのです。そして「プロになれるかもしれない」という小さな希望は、小川さんを再び奮い立たせました。

プロバイオリニストさんとのコラボ。3月に東日本地震津波の作品を上演。津波や街が流されていくシーンは、バイオリンの音が入る事で立体感が生まれ、観客それぞれの心に震災の記憶が立ち上がる。

紙芝居の「読み聞かせ」が「芝居」になるとアートになる

紙芝居師としての道を歩み始めた小川さんは、人形劇と紙芝居師の「人形劇のまるさん」という、主にヨーロッパで活動する中島香織さんに弟子入りします。そこで彼は、紙芝居に対する常識を完全に覆されました。

中島さん「あんたのは読み聞かせや。裏の文字を見てるやろ、それは絵本でも出来る。紙芝居は『芝居』やねん。」

中島さんが求めたのは、物語を読むことではありませんでした。

中島さん「紙芝居は瞬時におじいさん、おばあさんになるんや。」

声を聴くだけで、その人の健康状態や気持ちや人柄、人間関係も分かる。その、にじみでる『生活感』が大切なのだと教わりました。

京都漫画ミュージアムでアート紙芝居を上演。「ヤッサン一座」は街頭紙芝居のスタイルで、紙芝居の前に子供たちの大好きな水あめやカードがたくさん並んでいる。

演劇・落語・オペラが融合した「一人芸術」としての紙芝居の真髄

中島さん「身振り手振りしすぎると、あんたが主役になってしまう。紙芝居は絵に芝居をさせるんや。それができたらあんたは紙芝居師や。」

細かい技術的なことは何も教えてくれない「師匠」。しかし、大事な芯の部分である「止まっている絵を動かすことが紙芝居師」ということを教わった小川さんは、身振り手振りを抑え、読み聞かせでも大げさなミュージカル風でもなく、「声だけでキャラクターを動かす」という独自の境地に達します。

筆者はこの「声色を真似るだけではなく、生活感をにじませてキャラクターを動かす」という話を、紙芝居だけでなく、演劇や落語、オペラ、能など、さまざまな芸能にも繋がる内容だと感じました。中島さんも、普段は人形劇の活動をするのがメインですが、腕がなまらないようにと紙芝居をしているそうです。人形劇と紙芝居の二刀流で活躍することで、出演の機会を増やし、声に特化して技術を磨くことにつながります。しかも紙芝居に必要なのは紙だけ。多くの芸能は資金に困っていることも多いようですが、コストをかけずに1人で舞台ができるのも紙芝居の利点です。能の演目のように、「難しい」と思われがちな芸能でも、紙芝居のように物語として噛み砕くことで、現代の観客にも届く形に翻訳できる。これは伝統芸能を知ってもらうきっかけにもなります。

後ろの大きな装置は、紙芝居のもとになった『のぞきからくり』という娯楽。江戸から大正時代まで、人々の1番の娯楽でした。畳一畳ある絵を滑車で切り替えてストーリーを展開します。その絵を、のぞき穴から見るという、これまた日本らしい伝統芸能です。小川さんも子供たちと絵を描き、子供たちが上演しました。

世界と現代の価値観を変える「アート」としての紙芝居

小川さんが追求する紙芝居は、日本で一般的にイメージされる街頭紙芝居の枠を超えています。

美術館を巡って抽象絵画に共感した小川さんは、紙芝居を「難解なアートをかみ砕き、分かりやすくなる」メディアだと捉えます。

彼の舞台では、キャラクターさえ描かれていない「15秒の真っ暗闇」のような作品も登場します。

小川「言葉はリズムの中で旅したようになり、絵で頭の中が真空になるのです。20分間も子どもが静かにいるのは初めてと言われたこともあります。紙芝居を見た後に何かが残っている。それが人によって全然違うんです。」

〈体験〉が人を惹きつけ、芸能を未来へ渡していく点は、祭り・民俗芸能とも共通している。

彼の作品は、観客の状態を意図せず変え、想像力を掻き立てる抽象絵画を見たときのような体験を生み出します。

この革新性はすぐに認められ、「紙芝居師ではなく『絵芝居師』と名乗ってほしい」とまで評価されました。そして、海外(イタリアやフランス)では紙芝居がアートとして扱われていることを知り、彼の確信は深まります。

小川さんは声に特化し、絵や音楽は得意な人が分担して行うという、アート紙芝居という新しい分野に挑戦をはじめました。

プロジェクター投影や音楽を併用したアート紙芝居に挑戦

継承の型破り論「場」と「席」を渡せ!難病を力に変えた紙芝居師が示す、民俗芸能の未来図

難病の発症後、社会から断絶されたと感じた小川さんですが、紙芝居という表現を手に入れたことで、人生は大きく広がりました。公演スケジュールは埋まり、NHKやテレビ東京などの取材も受け、海外からも声がかかるようになりました。

そんな小川さんの現在の最大のテーマは、この奥行きのある紙芝居の世界を、次世代に継承することです。

彼は、50代でも若手と呼ばれる紙芝居の世界の「若返り」を訴えます。

小川「紙芝居の世界では若手でも40代、50代。僕が最年少といっても来年40代なんです。僕がやるのもいいけれど、若い世代に席をゆずるのが僕の役目なんです。」

彼が行うのは、若い世代や子どもたちに自分の舞台の時間を譲り、公演の挨拶や経緯の説明、紙芝居の公演まで全てを任せること。最高の緊張を味わわせ、その経験を通じて言葉ではないメッセージを伝えることです。

小川「本当に芸能が好きで、次を育てようと思ったら席を渡せるはずです。若い世代には、最高の舞台で、緊張感も含めて紙芝居の全てを味わって欲しいです。」

その一つの例として、こんなお話しがあります。とあるイベント会場でダウン症の子どもに出会い、その子の夢は女優であることを知ります。しかし彼女は漢字が読めない。そこで小川さんは「アンパンマンをやってみない?ひらがなだけだから読めるよ。」と提案しました。その女の子は即座に「やってみる!」と答え、真剣な表情で紙芝居に取り組みます。小川さんはその日の自分の出演時間を彼女に譲り、紙芝居を演じてもらいました。「その光景は本当に素晴らしかった。」といい、筆者に携帯で撮影した動画を見せてくれました。
ーーまっすぐに心に響く声。そこには年齢も障がいも関係なく、いただいた舞台の機会を堂々と演じる女の子の姿がありました。紙芝居を演じる女優に彼女はなれたのです。
体験を通じて継承を感じる一場面が、たしかにそこにありました。

子どもたちが書いたシナリオや絵を使った発表会も行う

ピカソが目指した境地? 子どもが描く「むちゃくちゃな絵」が紙芝居で動く

ほかにも小川さんは地域の子どもたちと一緒に、紙芝居を作って演じてもらう活動もしています。たとえば京都の亀岡では、自然教室の体験を絵に描いてもらい、紙芝居にして発表する体験学習をしたこともあります。自分が演じるだけでなく、作る工程から一緒にするというのはご家族との経験が活かされています。

小川さんはケーキ屋さんをしていた時に結婚し、3人目の子どもにも恵まれました。筋肉の衰えもあり、在宅勤務になったときには、子どもたちの世話もしていました。小川さんが紙芝居をするようになってからは、幼稚園や小学生になった子どもたちは「わたしも!わたしも!」と、一緒に絵を描いたり、紙芝居の舞台になる木枠を作ったり、小川さんの真似をして物語も書くようになりました。子どもたち自身が楽しんで作るようになっていく姿を見て、小川さんは「紙芝居は子育てにもいい!」と感じるようになります。

小川さんは、この子どもの描く絵にこそ、真の芸術性を見出しています。

小川「パソコンで描いたような綺麗な線は動かない。むちゃくちゃな絵、子どもの絵は動くんです。子どもの線は、技術を超えたエネルギーを持っていて、紙芝居という媒体を通すことで、その『動く線』の力が最大限に引き出されます。これは、写真のようにリアルな絵ではなく、絵として成立していることが重要であるという哲学に基づいています。いまは写真みたいな絵が人気ですが、それは写真でいいんです。美大の先生が描けない絵が、子供には描ける。これはピカソがやりたかったことですね。」

このようにお子さんたちとのコラボレーションも紙芝居活動の重要な要素となっています。

紙芝居は得意分野が集まる「総合アート」

小川さんは、子どもたちの描いた絵をデジタルでコラージュするなど、それぞれの得意分野を集約する手法も取り入れています。紙芝居を「総合アート」と捉えることで、自分よりも子どもたちの方が適任だと感じれば、話し手の役も任せています。ここにも発表する「場」を与えることで「継承」を進めている姿をみることができます。

小川さんが紙芝居で目指すのは、単なる娯楽ではなく、観客の心に深く作用する体験です。

感受性豊かな人がピカソの絵を見て涙するように、紙芝居もまた、観客の価値観や感受性を揺さぶる力を持っているのです。そして、このアートの場には、障がいも健常も関係ありません。

小川「アートとしてのピースが埋まれば、障がい者のほうが凄い!となることもあります。」

小川さんが追求する紙芝居は、完成された表現の奥にある「優しい部分」を伝えることです。

小川「障がい者も健常者もみんなが、その位置にいられるのが嬉しい。」

脳を活性化させる介護レクリエーションとして介護向けの学会で紙芝居を発表。人権学習で90分から120分ほどの講演の講師をつとめる。

小川さんは、自らの難病や車椅子という要素を、紙芝居の主役にはしません。

小川「声で聴かせる紙芝居。絵が芝居をしているので、そこに俺はいません。」

彼の目標は、「車椅子の紙芝居師」「難病の紙芝居師」ではなく、障害の有無に関係なく、芸術として評価されること。子どもたちの「動く絵」と、小川さんの「芝居」をさせる声が融合したとき、紙芝居は誰もが平等に感動を共有できる、真の人を超えたアートとなるのです。

小川「すごいおもちゃを手に入れた!という感覚を味わっています。これから『もし寝たきりになってもアーティスト』でいられる。」

紙芝居を構成するものは1.絵 2.ストーリー 3.芝居。

紙芝居の良さはさまざまな難解なアートをかみ砕き、分かりやすくなること。
そして紙芝居の表現は、時代と共に変化するように、常に改良の余地がある。

小川「お寿司も50年前は冷たいものが良かったが、今は人肌や炙りなどもある。文化は、完璧だと思っていても時代によって変わっていく。新しい紙芝居の表現にどんどん挑戦すれば、伝えられるものの幅が広がります。」

音楽とのコラボレーションなど、新しい表現に挑戦しつつ、小川さんは「生まれたいものは生まれたいようにしてやる」という哲学で、文化を創造し続けています。

孤独の闇から生まれ、声という光を得て、紙芝居を「アート」の領域まで高めた小川よしのりさん。

この小川さんの人生の物語を通して、筆者は、紙芝居が声優、オーディオブックの朗読などにも繋がる、夢のある職業だと感じました。紙芝居は型がないからこそ、自由な表現の幅を持ち、他の芸能にも応用がきくところが多い。彼の人生の物語は、誰もが一緒に活動できる優しい世界を作りながら、これからも次世代に継承されていくことでしょう。
そして、続いていく芸能とは、人が集まり、笑い、心が動く場がある芸能ではないでしょうか。小川さんの活動はそのことを、静かに、しかし力強く教えてくれるようです。紙芝居という小さな芸能は、民俗芸能の継承のあり方を映しているように感じています。

義太夫三味線、和太鼓、和笛などとのコラボ。作品は100年前に上演が止まってしまった人形浄瑠璃の演目を紙芝居にして復活させたもの。地元の方々はこの珍しいイベントに300人以上も集まり上演後は作品が図書館に寄贈され、失われた作品が保存される事になった。

「紙芝居2.0(kamishibai 2.0)」公演スケジュール

伝統が未来を繋ぐクリエイティブハブ「紙芝居2.0(kamishibai 2.0)」というチームで、今後はオリジナルのアート作品を展開しながら、様々な文化や現代音楽、アーティストとコラボした作品を発表していく予定をしております。

2026年2月11日 Kyoto演劇フェスティバル 京都府立文化芸術会館
2026年2月23日 奈良100年会館 パーカッショングループと紙芝居イベント
2026年3月14日 宝塚ぷらざコム 紙芝居イベント
2026年3月20日 京都創造ガレージ 現代アート紙芝居xプロジェクションマッピング

2025年12月21日に処女作「ポキールの時計」出版されます。ご希望の方は小川よしのりInstagramやFacebookのメッセージや、一般社団法人てづくり紙芝居館にご連絡ください。

タグ一覧