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米作りの過程を七段の舞いに、暴れ牛の登場も!静岡県袋井市の田遊祭の奥深い魅力に迫る

2023/1/18
2023/1/18
米作りの過程を七段の舞いに、暴れ牛の登場も!静岡県袋井市の田遊祭の奥深い魅力に迫る

米作りの過程を七段構成で表現した舞がある。ネット検索で動画を拝見したところ、牛役が登場して暴れるなど見どころが満載で、その舞い方の由来や奥深さに大きな魅力を感じた。

このようなきっかけがあり、2023年1月7日に静岡県袋井市で行われた法多山尊永寺の田遊祭を訪れた。まずは田遊祭の歴史的な背景や概要に触れたのち、行列、七段の舞、放ち矢の神事、福餅投げまでの祭りの雰囲気をお伝えしながら、それぞれの舞いの見所などをお伝えする。田遊祭の奥深い魅力をぜひ知っていただきたい。

法多山 田遊祭とは?その歴史や背景

法多山尊永寺は遠州三山に数えられる真言宗のお寺。本尊の観世音菩薩は神亀年間(724~729年)に聖武天皇の勅命により、僧の行基が造ったと言われており、厄除観音とも言われる。毎年1月7日に室町時代からの恒例と伝えられる盛大な田遊祭が行われる。県の無形民俗文化財や国記録選択民俗文化財にもなっている。

この田遊祭は新年に際して、鎮守の白山権現の祭事とされており、災厄除去、五穀豊穣を祈願する意味が込められていると伝わる。この祭りは繁雑さがあるとして明治時代の中頃に一時休止の状態に追い込まれたこともあったが、住職である純教師の力によってこれを今日まで継続してきた。

行列、七段の舞、福餅投げ

さて1月7日の田遊祭の当日、法多山尊永寺に行ってきた。観光駐車場から徒歩で20分ほどで、この本堂がある地点まで上がることができる。

田遊びが始まる前、行列が本堂前まで上ってきた。この時に大導師(住職)が乗る籠があるが、坂や石段が多いので常に空となっている。

本堂前まで来ると、寺方の行列は本堂に入って大法要を行い、村方の行列は本堂右の大師堂に入り田遊びを行う。ゆえにお互いの行事を見ないらしい。

田遊びは尊永寺の中の大師堂で行われた。演目は7つあり、伴奏の演奏が太鼓だけである。演奏が太鼓だけの田遊祭は珍しいらしい。

村の15歳から40歳までの男子が行う決まりとなっている。ここでは、7つの舞いの奉納が行われた。

太刀の舞

田遊祭はまず、清めの舞いである「太刀の舞」から始まる。
年寄り一人が襷、袴に白足袋姿で太刀を持ち、舞台を清めて前後左右に舞う。太刀で五方固めを行う所作はあるが歌はない。

棒の舞

次の「棒の舞」も清めの舞いである。
演者一人が飾りがついた棒を持ち、太鼓に合わせて舞う。こちらも五方固めを行う所作があるが、歌はない。太刀の舞いを含め、厳粛な雰囲気が漂う舞いだと感じた。

白鍬

ここからは夢が叶っている未来を前もって喜び、先に祝うことで実現を引き寄せる意味がある「予祝の芸」である。「おめでとうございます」という言葉を発してから、舞いが始まる。

白鍬とは清浄な鍬のことだ。若者2人が白い幣のついた柳の小枝を配り、白鍬の歌を歌いながら、一節ごとに両手で小枝をいただく。派手な所作は特になく、淡々と続いていく。

牛ほめ

田遊祭の大きな見所の1つとなっているのが、この牛ほめの演目だ。田打ち2人、惣領の女房(ひるいもうと)1人、牛役2人で行う。

最初、田打ちの2人が鍬をかついで総代の前で歌い、鍬の楔を入れる動作をしてから、田を打ち込む所作を3回する。肩を組んでうたう。次に太鼓を中央に置き、一人がたもとから椀を出すと、他の一人がそれに瓢(ふくべ)からお酒を注ぎ、酒盛りをして歌う。

すると新婚の家から借りてきた衣装を着た女房(女装をした男性)が上手から牛を引いてやってきた!牛がのそのそと歩いてきて、観客はざわつき始める。

牛頭は籠に紙を貼りつけ目鼻を描き、他を黒く塗りつぶして、籠のふちに角をつけて、紅白紐を前につけて作られている。牛の胴体の中には2人の男が黒布を被って入っている状態だ。この牛、どこか獅子舞にも見えてくるが、その関連性は定かではない。

牛が登場するときはモーと鳴く。それから舞台で暴れるが男によってしずめられて、太鼓の傍らに座らせられ、首を太鼓の上に乗せる。

女房は一堂に酒をすすめ、さらに田打ち2人や牛にまですすめる。やがて、女房が退き、田打ちは牛の両側に立って歌う。最後に、一人の田打ちが諸道具を持って牛をひき、他の一人が牛に乗ろうとするが、牛が暴れて乗ることができない。

それから退場した牛は境内に乱入して暴れる。疲れた牛は本堂方向へと帰っていく。牛ほめには様々な所作が含まれていたので、動画も参考までに添付する。

のっとう

のっとうとは祝詞(祭典に奉仕する神職が神様に奏上する言葉)のことで、袴、脇差を持った中若2人が手を懐に入れて、太鼓の回りを廻って唄う。

太鼓の上には厄除けのゴウホウ(牛王宝印、田遊祭のお札のこと)が置かれて、白紙包の米2袋が三宝にのせてある。この場面で種下しの動作がある。

種籾を撒いて、参詣者はこれを競って拾っていた。これを持ち帰り植えると、豊作の年になると言われている。まさに、農業が盛んな土地でのお祭りということを改めて実感した。

鳥追い

太鼓を中心として、裃をつけて刀を差した中老5人が、鳥追いうたを歌いつつ右回りに廻る。袴の中に手を入れる。そぞろ歩きをするような担い手たちの姿から、どこかのんびりした雰囲気が感じさせられた。

早乙女

早乙女は「そうとめ」と読む。白山権現の前に祀ってある大弓矢を早乙女が楽堂前に運び、祈りを捧げることから始まる。花笠、襷かけ、袴をつけて田植え歌を歌う。

花笠を被った若衆10人が東西に分かれて歌をうたい、中央には頬被りをして襷をかけ背中に太鼓を背負った「かっこう」が苗運びの役を演じる。

楽しそうなこの最終演目は、子供達も喜んで見物していたのが印象深かった。

演目が終盤に近づくにつれて、若衆はかっこうが背負う太鼓を少しずつ叩き破っていく。この叩き破るという所作に対して、毎回のように笑う子供もいた。この破るという動作は、「孕み」の意味を持っており、これは豊穣予祝であることの現れだ。

餅投げに参加する

田遊祭も最終盤で投げ矢の神事があった。これは白山神社で行われる験競べ(修行して得た法力の競い合い)の的弓である。一の矢、二の矢に続き、広場の群衆に向かって大矢が放たれ、人々は拾おうと争う。ここで使われる矢は破魔矢といい、魔を破除するという神事用の弓でもある。

その後の投げ餅では、大きな赤いお餅と白いお餅が撒かれ、大きな赤いお餅を拾った人はご祈祷済みの破魔矢と交換することもできた。終始大勢の人々で賑わい、賑やかなお祭りであった。

田植えに込めた願いを想像する

このように法多山の田遊祭には七段それぞれに歴史ある舞いが伝わっており、その由来まで深掘りしていくととても面白い。元々は田植え前の神事として数多くの地域で受け継がれてきた舞いだったはずだ。しかし、現代に至るまで簡略化が進み、ここまで忠実に伝統をつないでいる田遊祭は少ない。国記録選択民俗文化財とされている理由も見えたような気がする。

現在は田植えをすることも農業機械によって簡単に実施することができ、時間は切り詰められるとともに、時間の余白のようなものもなくなっていった。これは田植えに関するお祭りの衰退とも大きく関わっているだろう。法多山の田遊祭の舞いを見る面白さは、昔の人が田植えにどれだけの願いを託し、それに向き合ってきたのかを想像できるということだろう。

さて、田遊祭が終了後、寺方と村方は再び集まり、行列を作って山を降りていった。大勢の人々に見守られながら、厳粛なその空気感は見るものを圧倒させる力があると感じた。

田遊祭の伝承は他の地域にも

田遊祭は法多山以外にも、静岡県や愛知県を中心に他の地域でも見られるようだ。ただしこの行事をしっかり伝承している神社は数が少ない。静岡県内では三島市の三嶋大社、周智郡森町の小国神社、浜松市の息神社などに伝承されている。

法多山で登場した牛ほめの牛の造形を比較するのも面白い。例えば三嶋大社の「田祭・お田打ち神事」では、牛の役は子供が四つん這いになる仕草で伝わっているそうだ。

また、全国的に存在する田植え踊りや田楽などと見比べてみるというのも興味深い。それぞれの地域ごとの特色が表れており、違いに着目してみるのも面白いだろう。

<参考文献>
小川龍彦、他『ふるさと百話 第六巻』昭和47年
佐藤章、他『土のいろ集成 第10巻』昭和62年
飯尾哲爾『土のいろ 第7巻 第5号』昭和5年
静岡県教育委員会『静岡県の無形民俗文化財』昭和55年
静岡県教育委員会『ふるさと静岡県文化財写真集第4巻民俗文化財・無形文化財編』平成6年

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