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ねぶた師・北村麻子さんの夏。コロナ禍から3年間に渡って青森在住カメラマンがみた姿と、心の変化

2023/9/21
2024/3/7
ねぶた師・北村麻子さんの夏。コロナ禍から3年間に渡って青森在住カメラマンがみた姿と、心の変化

コロナ禍によって全国の祭りの中止や規模縮小が相次いだ3年間、祭りに関わる人々は何を思っていたのでしょうか。日本を代表する祭り「青森ねぶた祭」は、今年ようやく通常の規模で開催。全国各地から集ったハネトの姿と鈴の音が、青森の街に戻りました。

幼い頃から青森ねぶた祭が大好きだったカメラマン・成田恭平さんにとってコロナ禍の3年は、「ねぶたを見つめる視点が変わった3年間」でした。

そのきっかけをくれたのは、ねぶた師・北村麻子さん。2020年~2022年の3年は中止、代替イベント、縮小開催と続き、ようやく今年「フル開催」された青森ねぶた祭。成田さんは2021年から、北村さんが制作を担当する「あおもり市民ねぶた実行委員会」のねぶた小屋に赴き、制作や祭り本番の北村さんの活動の様子を写真に収め続けています。

成田さんが撮影してきた4年分の北村さんの写真と共に、沿道で観覧するだけでは見えなかったコロナ禍の青森ねぶた祭の姿を探ります。

みんなから愛される北村さんが背負うもの

北村さんはコロナの3年を振り返り、「ねぶたが作れるだけでありがたいと思うようになった」と話します。

歴史や神話、様々な物語が描かれた色とりどりの巨大な灯籠が北国・青森の街を練り歩く、青森ねぶた祭。その「ねぶた(=山車)」の制作を生業とし、青森市の文化を守り続けるのが「ねぶた師」。

北村さんは、青森ねぶた祭の長い歴史の中で初めての女性のねぶた師。2012年から「あおもり市民ねぶた実行委員会(市民ねぶた)」のねぶたの制作を担い、2017年に「紅葉狩」で最高賞のねぶた大賞、コロナ禍の影響で代替イベントが行われた2021年は「雷光と電母(でんぼ)」で最高賞の金賞を受賞。青森市民のみならず、多くのねぶたファンが北村さんのねぶたに期待を寄せます。

撮影:mamo

撮影:成田恭平

祭り期間中は、ねぶた小屋には記念写真やサインを求めて北村さんのもとを訪れたり、運行中の沿道からは「麻子さーん!」と声をかける人も多かったりと、北村さんの周りにはいつも笑顔があります。

「生きている感じ」がした、青春時代の青森ねぶた祭

成田さんは青森市出身で、現在は、撮影のために県内全域を飛び回る日々を送ります。

撮影:mamo

成田さんにとって青森ねぶた祭は「青森市民が誇れる、いちばんの祭り」。幼少期から家族で青森ねぶた祭を見に行っていました。

青春時代は祭りの初日から最終日まで毎日ハネトとして参加。祭り初日のお囃子が鳴り始める高揚感を「生きている感覚がした」といい、足が痛くなっても跳ね続けた祭り最終日は「早く来年になって欲しいと思った」と振り返ります。

幼い頃からねぶたを見てきた成田さんにとって、北村さんからの撮影依頼は驚きでした。市民ねぶたで活動するお知り合いの紹介で、北村さんから依頼を受け、2021年から北村さんの活動を撮影するようになりました。北村さんや周囲の人々にカメラを向けた日々は、祭りを見つめ直し、思いを強くするきっかけとなったようです。

コロナ禍、たった6分の運行で終わった2021年。

ねぶた師が制作する「ねぶた」(=山車)は、多くの市民・観光客の期待を背負っています。祭り期間はこの「ねぶた」を依り代に多くの人が集まり、青森の街を熱気で包みます。

北村さんは、約10年にわたって市民ねぶたの制作を手掛けてきました。

2021年、コロナ禍の影響で開催の可否が決まらないまま制作を続けた北村さんの活動を、成田さんは撮り続けました。すでに制作が始まっていた6月、主催者は祭を中止し、代替イベントを開くことを発表。8月、観光施設「アスパム」の前で行われた代替イベントは無観客でした。

撮影:成田恭平

1台の運行時間はたった6分。成田さんは、大勢の観客の姿もハネトの鈴の音もない中を練り歩く大型ねぶたと北村さんの表情を、必死に追いかけました。

撮影:成田恭平

祭りの未来のみならず、青森の地域社会が今後どうなるのかも見えなくなってしまったコロナ禍。いつもの「熱気」とは異なる空気の中で練り歩くねぶたを見て、「(コロナで祭りが中止になっても)この6分のためにねぶたを作ったのかと思うと、胸が熱くなった」と当時の心境を語ります。

2022年、3年ぶりの開催で見た夕日と、優しさ

2022年、祭りは規模を縮小して開催。ハネトの参加を制限して、3年ぶりに街にねぶた囃子が戻ってきました。

撮影:成田恭平

成田さんはこの年、何度もねぶた小屋に通い、北村さんの活動を追いかけました。「この年の北村さんのねぶたが初めて街を練り歩いた8月2日の夕日が、忘れられない」と話します。

北村さんが制作した大型ねぶた「琉球開闢(かいびゃく)神話」は、ねぶたではあまり使われない淡い色の波が全体を包んだ優しい雰囲気。沖縄の本土復帰50周年に合わせ、島造りをする琉球の神の姿と、魚たちが戯れる様子が描かれました。

撮影:成田恭平

祭り初日、観客の待つ運行ルートに向かって夕日を浴びながら「出陣」していく琉球開闢神話。成田さんは、オレンジ色に染まる青森の街に溶け込んでいくその様子に、レンズを向けました。

撮影:成田恭平

ファインダーの中に見えたその様子は「出陣ではなく、みんなに見守られにいくと感じた」と成田さん。

「琉球開闢神話」には、人類が繰り返してしまう戦禍がまさに起こっている中、美しい地球・平和な世の中を未来に繋ごうという想いが込められていました。その「優しさ」を表現したねぶたに初めて火が灯った瞬間の北村さんの表情は、「ねぶたを見て育った少女そのもの」と感じたと言います。

撮影:成田恭平

縮小開催とはいえ、3年ぶりに開催された祭りで見た、北村さんの嬉しそうな表情。青森の街に優しさを広めるようにして進んでいく琉球開闢神話。

撮影:成田恭平

審査の結果は、3番目の市長賞でした。成田さん曰く、審査の結果を聞いた北村さんは少し悔しさを滲ませたようですが、一方で、コロナ禍に耐えながらねぶたと向き合い続けた北村さんの「優しさ」がねぶたから垣間見えた年でもありました。

そして2023年、力強さと笑顔が溢れた、4年ぶりのフル開催

そしていよいよ今年、青森県が世界に誇る「青森ねぶた祭」は、ハネトの自由参加が解禁され、「フル開催」に至りました。成田さんは北村さんとその周りの人たちに、「笑顔」を見つけ、一瞬一瞬を撮り続けました。

今年の北村さんのねぶたには「強さを感じた」と成田さん。今年のねぶたは、昨年の優しい雰囲気とはまた違った、激しい戦いの場。タイトルは「土蜘蛛(つちぐも)」。苦悩や災をもたらす蜘蛛を、神の加護を受けた剣を持った源頼光が退治する様子が描かれました。

撮影:成田恭平

4年ぶりのフル開催。北村さんの周りには様々な市民・観光客が訪れ、サインをもらったり、記念撮影をしたりと、多くの笑顔が戻りました。ねぶたの「足」となって運行を担う「引き手」も、北村さんの労いを受けて笑顔を浮かべます。

撮影:成田恭平

ねぶたを動かす扇子持ち、「ラッセラー」の掛け声を叫ぶ女性、「祭」と書かれた巨大うちわを持って駆け巡る人、4年ぶりのフル開催を心から楽しむハネト、そしてそれらを包み込むようにして笛・鉦・太鼓を奏でる囃子方。

撮影:成田恭平

撮影:成田恭平

撮影:成田恭平

撮影:成田恭平

撮影:成田恭平

4年ぶりの熱気の笑顔が溢れる中、北村さんと制作メンバーは涙を浮かべました。成田さんにも語られない、メンバーだけにしかわからない思いが垣間見えた瞬間だったようです。

撮影:成田恭平

撮影:成田恭平

受賞を逃した、北村さんの強さ

審査結果が発表された8月5日、残念ながら「土蜘蛛」は受賞を逃しました。北村さんにとっては2014年に続いて2度目の受賞を逃した経験となりました。

この日の運行後、ねぶたの前で休憩していた市民ねぶたのメンバーを前に北村さんは「こう言う結果にはなったけど、これはチャンスだと思っています。また新しいステップに行けると思います。悔しい思いをしないと、人は成長できない」と話しました。

撮影:成田恭平

そして、「私は逆境に良いタイプ。まだまだもっといいねぶたが作れると思っています」と力を込めると、市民ねぶたのメンバーは「そうだそうだ!」と声を揃え、北村さんに拍手を送りました。

コロナ禍が教えてくれた、本当に大切なこと

北村さんは「コロナ前、ねぶたは自分にとって勝負の世界だった」と振り返ります。「コロナは、ねぶたが作れるありがたさや、自分にとってねぶたがどう言う存在なのかを考える時期にもなって、制作に対する考え方も変わった」「今は、ねぶたが作れるだけでありがたい」と心境の変化を話しました。

コロナを経て「勝ち負けじゃなく、このねぶた文化を繋いでいかなければという意識も強くなった」とも話し、ねぶたの未来を見据えるようにもなりました。

成田さんは「青森市ではねぶたが終われば冬になる」と冗談半分に話します。北村さんは「ねぶたは青森市全体の活力になるもの」「ねぶたがあるから、冬の雪かきも頑張れる。雪が溶ければねぶたがあるって思えるから、頑張れる」といいます。そう、雪深い青森市の市民にとっては、ねぶたが終わればもう「冬」なんです。

撮影:成田恭平

「ねぶた」の存在はまさに、青森の短い夏を彩る、エネルギーそのもの。今年、祭りは「フル開催」されましたが、北村さんは受賞を逃す年となりました。それでもきっと、入賞を逃すことによって「強さ」を見せた北村さんは、「ねぶた」をより一層前へと推し進めて行くことでしょう。そしてきっと、コロナ前「勝負の世界」だったねぶたを「繋いでいくこと」の大切さを胸に、これからもねぶたを制作して行くのではないかと思います。

撮影:mamo

成田さんは2021年から3年間、北村さんの姿、市民ねぶたの姿にカメラを向け続けることで、この祭りが「青森市民が誇れる、いちばんの祭り」と感じるようになったと話します。それは、ハネトとして参加していた学生時代には感じたことのない感覚だったようです。

今年の審査結果の発表後、駐車場に向かう途中で成田さんは「針金の状態から見てきたから、やっぱり土蜘蛛が一番だと思う」と漏らしました。そして翌朝、成田さんの事務所に伺うと、北村さんに送るLINEを書いている最中でした。北村さんにどんな言葉をかけたら良いか相当迷い、1通のLINEを送りました。その内容はあえて聞きませんでしたが、「今は、麻子さんのカメラマンは自分じゃなきゃダメだという気持ち。これからも麻子さんの姿を撮り続けていきたい」と話し、コロナ禍の中でも良いねぶたを作るために活動し続けた北村さんをこれからも追いかけていこうという思いをより強くしたようです。

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