「お香」を焚くと、お部屋が優しく柔らかい香りに包まれ、とても癒されますよね。体の芯からリラックスでき、アロマとは違った深い香りを楽しめます。
ところで、皆さんは日本におけるお香の起源についてご存じですか?
歴史をたどってみると、なんと、教科書にも登場するあの偉人が関係しているとわかりました。
この記事では、日本で初めてお香を鑑定した人物や「お香の日」について解説します。
4月18日は「お香の日」!
あまり知られていませんが、4月18日は「お香の日」です。1992年、全国香物線香組合協議会により制定されました。
日本に初めて香木が伝わったのが4月であったことと、「香」の字を分解して並べると「一」「十」「八」「日」つまり「十八日」となることに由来しています。
お香は、主に香木、いい香りのする樹木を元に作られます。一方、よく似たアロマは、植物や果実から抽出した精油を用います。
日本で初めてお香を発見した人物とは?
時は遡り飛鳥時代。「日本書紀」によると、595(推古天皇3)年4月、淡路島に大きな流木が漂着しました。それを拾った海辺の人々は、薪木にしようと火を焚いて、流木を燃やします。すると周囲に漂ったのは、なんとも上品で清らかな香り。
人々は火を止め、流木を回収して朝廷へ贈ります。
日本初のお香を鑑定したのは聖徳太子!
淡路の人々から献上された流木は、ある人物の元に届けられました。その人物とは、時の推古天皇の摂政・聖徳太子。聖徳太子といえば、冠位十二階や十七条憲法制定といった政治改革を行い、数々の伝説を残した古代の偉人。日本国紙幣に肖像画が使用されていた影響もあり、現在も広く国民に知られていますね。
太子は届けられた「良い香りがする流木」を見ると、それが香木として珍重されている「沈香(じんこう)」であるとすぐに見抜きました。仏教を厚く信仰していた太子は、遣隋使の責任者であったこともあり、大陸の文化に精通していたのです。
このエピソードは伝記『聖徳太子伝略』にも記されていて、太子はその後、流木の一部を使って「手箱」と「観音像」を作ったとされています。本当に、なんでもできる人ですね。
ちなみに、香木は白檀(びゃくだん)、沈香の二つに大別されます。そして沈香の上品が伽羅(きゃら)と呼ばれ特に珍重されています。日本一有名な香木として、正倉院に収められている「蘭奢待(らんじゃたい)」という名前の香木がありますが、こちらも沈香の一種です。この蘭奢待は、長い歴史の中で権力者を虜にしてきた香木で、古くは藤原道長も取り出して見物したと言われており、足利義政、織田信長、そして明治天皇の3者が一部を切り取って香りを楽しんだと伝わっています。信長は、千利休と今井宗久にも蘭奢待の一部を分け与えたそうです。どんな香りがしたのでしょうか。
お香と縁の深い「枯木神社」
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そして前述した日本初の香木は、現在も、淡路島の「枯木神社」に御神体として納められているそうです。天児屋根命(アメノコヤネノミコト)を御祭神とするこの神社は、パワースポットとしても有名。平安時代末期~鎌倉時代には、源義経の愛妾・静御前がしばしば参拝に訪れたそうです。
また、お香伝来の地となった淡路島には、今もその名残が色濃く残っています。全国におけるお香・線香生産量のうち、淡路島が占めるシェアの割合はなんと約7割。島を代表する産業の一つとなっています。
聖徳太子の霊を慰める「聖霊会舞楽法要」
聖徳太子によって建てられた「四天王寺」では、同寺最大の法要「聖霊会(しょうりょうえ)」を毎年行っています。太子の命日をしのんで4月22日に行われるこの法要では、天王寺楽所による舞楽や、僧侶らの声明法要による慰霊が行われます。
国の重要無形民俗文化財でもある舞楽は可憐かつ厳かで、一見の価値ありといえるでしょう。
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まとめ
この記事では、「お香の日」や関連エピソードについてご紹介しました。お香の日本伝来に聖徳太子が関わっていたことを意外に思った方は多いのではないでしょうか。
ちょっとした豆知識を合わせて知ることで、今までよりもさらに、お香を楽しめるようになるかもしれませんね。もし枯木神社や四天王寺を訪れる機会があれば、ぜひこの記事のことを思い出してみてください。