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火伏せ祭り。地獄の中に神も仏もない。それでも大震災を乗り越え、千年の歴史を今も紡ぐ。

2023/3/30
2024/2/29
火伏せ祭り。地獄の中に神も仏もない。それでも大震災を乗り越え、千年の歴史を今も紡ぐ。

寒い中、法被に白足袋を履いた若者たちが民家に水をかけて回る、福島県南相馬市の「火伏せ祭り」。火の安全と無病息災の祈りが込められています。

コロナ禍で開催できない時期が続きました。しかし、2023年1月に3年ぶりの開催ということで、地域の関心は高まりつつあります。長年このお祭りを地元で支えてこられた鹿島御子神社の宮司である森昭文さんに継承に関するお話を伺うことができました。

森 昭文(もり あきふみ)さん
千年以上の歴史がある神社・鹿島御子神社の宮司を務める。幼少の頃から、火伏せ祭りを見て育った。

火伏せ祭りの歴史

このお祭りは鹿島神宮の御祭神の子・天足別命(あめのたらしわけのみこと)を祀る鹿島御子神社を拠点として行われます。その由来は「賊徒がこの天足別命の仮宮に放火したところ、数頭の鹿が現れ付近の川で笹を濡らして持ち寄り、水を掛けることで火を鎮めたこと」に始まるのだとか。

天足別命は日本神話に登場する神様ですから、相当歴史が古いことが伺えます。それ以来、火伏せは千年以上この地で受け継がれ、江戸時代から明治時代にかけて頻発する大火などを乗り越えながら継承されてきました。

取材に伺った福島県南相馬市の鹿島御子神社

それでは、この神社の社務所にて、宮司さんに伺った火伏せ祭りの継承に関するお話を振り返ります。

お祭り運営の秘訣とは?寒いからこそ頑張るという魅力

まずは火伏せ祭りの基本情報を伺いました。担い手の年齢は20代から40代が多く、総勢100人を超えるとのこと。なぜここまで多くの人が関わるのでしょうか?お祭りの魅力や運営方法についてお話いただきました。

――このお祭りの魅力は何でしょう?

火伏せー!火伏せー!と大きい声を出して、最後までやり抜くという魅力があるのでしょう。寒いからこそ頑張れるんです。お酒を飲んでないとやってられなくて、そのお酒を飲むのが楽しいということもありますね。あとはストレスの解消にもなりますよ。

――どのような運営方法をとっているのですか?

地域住民が5~10人単位で隣組という名前の組織を作っています。隣組は昔でいう結(ゆい/小さな集落や自治単位における共同作業の制度)の名残で、お祭りの日は組ごとにお祓いの榊とか塩とかを用意します。組長がまとめ役となり、連絡網としてもきちんと機能しているんです。神社近くの6つの町に100近くの隣組があり、お祭り文化を支えています。

昔、お祭りは出会いの場だった

今と昔で、お祭りに対する考え方は違いました。昔のお祭りは今以上の賑わいがあったそうですが、それはなぜでしょうか?火伏せ祭りを長い間見てきた宮司さんならではの視点を伺いました。

――ずっと火伏せ祭りを見てこられたと思いますが、昔と変わったことはありますか?

昔はもっと荒かったですよ。柄杓に水ではなく石を入れて、それを投げていたずらをする人もいました。あと昔はお酒が高かったのですが、お祭りに行けば思う存分飲めるということで人が集まってきたんです。

女性はいつも家庭にいて、お祭りのような日でなければ表に出られないという事情もありました。女性が表に出てくれば、男性も気合いが入りますよね。だから、お祭りが出会いの場にもなったんです。

――なるほど、出会いの場ですか。

昔は祭りを見るためにわざわざ宮城県まで自転車で行ったこともありました。お祭りは開放的だったので他の地域の祭りに行きましたし、逆に他の地域から人が来ることもありました。そういうふうにして、お祭りが出会いの場になっていたんです。今ではゲームなど楽しいことがいっぱいあるので、祭りだけが楽しみではなくなってしまいました。

地獄の中に神も仏もないと感じた、東日本大震災

ところで、お祭りの歴史の転換点は震災でした。千年以上続く古社の宮司さんから見た東日本震災とはどのようなものだったのでしょうか。

――ここの地域は東日本大震災の影響はありましたか?

鹿島御子神社は幸い常磐線の線路よりも内陸側で流されずにすみました。ただ線路よりも海岸の地域は、津波の影響を大きく受けてしまって……。丸印のある家には、死体があるということで、その家の前を通るのが怖かったです。お師匠さんもまつり道具も全部流されて、神楽がどんどんできなくなっていきました。まつり道具は県の文化財課の補助などもありましたが、それでも復活が困難なところは多いですね。

津波で生き残った方々が神社に来てくださることがありましたが、「大変だったね」とか「頑張ってね」とか、そういう言葉は禁句でした。だからただお話を聞くことしかできません。東京から来た人が「大変でしたね。頑張ってください」と声をかけてくれますが、「どういう風に頑張れば良いの?」というのが地元の人が考えていたことです。地獄の中に神も仏もありません。そういう言葉はとにかく禁句だったんですね。

東日本大震災の後、海に向かって祈りを捧げる

それでも、千年続いているお祭りをやらないわけにはいきません。それで、翌年の火伏せ祭りも実施しました。ただ、祭りをするだけではなくて(何かできることをさせていただきたいという思いで)避難所にはお供物の甘いものを数百個持参して、ボランティアで来ている方に渡しに行くということもありました。

新しい祭りへの動き、継承のために

東日本大震災から11年。今、火伏せ祭りは伝統をしっかりと繋ぎながらも、少しずつ変化している事もあるようです。これからの祭りの継承のために、私たちは何ができるのでしょうか。

2023年の火伏せ祭りに向けた話し合いの様子

――地域外から火伏せ祭りに参加する人はいますか?

地域外の方でも、お祭りを見て参加したいと言ってくれるようになりました。それは、最近になってからのことです。震災ボランティアでこの地域を訪れ、次の年に祭りに参加してくださる方もいました。遠方からだと長野県からお越しになった方もいたくらいです。他の地域から参加する方々がいることで、祭りが存続できているということもありますね。そういえば、テレビ取材を通してお祭りの存在を知ってくださった方もいました。テレビが来ると逆に、地元の若い人たちのテンションが上がって、祭りに積極的に参加してくれるようにもなります。

――お祭りがこういう風になっていくといいなというのはありますか?

やっぱり、伝統芸能は人数がどうしても足りないので担い手を増やしたいですね。特に神楽の人数が足りません。演舞には1時間以上かかるものもあり、練習が大事です。12年に1度の「御浜下り」のお祭りをしていますが、ここで神楽の披露ができない状況となってしまいました。火伏せ祭は難しい所作を繋いでいるわけではないですが、伝統芸能はみっちりと練習しないといけませんからね。

(そういう意味では、火伏せ祭りは「気軽に参加しやすいお祭り」と言えるかもしれません。)

次回の火伏せ祭りに向けて

2023年1月14日に無火災と無病息災を願い、法被に白足袋を履いた若者たちが柄杓で民家に水をかけて回る「火伏せ」が行われることが決まりました。また翌15日は豊作や一年の安全を願い、御神燈を持った行列や大蛇神楽などが披露される「天燈籠」も実施されます。

今回、14日に行われる柄杓や桶は奥にしまってあり撮影までは難しかったのですが、翌日15日の天燈籠の大蛇神楽で使う獅子頭を見せていただくことができました。黒い獅子頭で、耳の形がとても珍しいです。眉毛は動かすことができ、その胴体は五色でカラフルな色をしていました。火伏せはもちろん次の日の天燈籠含め、火伏せ祭りの本番がとても楽しみになる取材でした。

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